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雍也第六 7 季氏使閔子騫爲費宰章

126(06-07)
季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰、善爲我辭焉。如有復我者、則吾必在汶上矣。
季氏きしびんけんをしてさいたらしめんとす。びんけんいわく、ためせよ。われふたたびするものらば、すなわわれかならぶんほとりらん。
現代語訳
  • (家老の)季さんが閔子騫(ビン・シケン)を費の町の差配にしようとした。閔子騫がいう、「うまくことわってください。もし二度とこられたら、わたしは国境に逃げますから。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • たい季氏きしが、領地の代官だいかんにしようと思って、閔子騫をまねいた。閔子騫が使者に言うよう、「どうぞ私のためにおことわり申してください。もし今一度お召しになるようなことがあると、私は必ずぶんかわむこうに参ってしまいますぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 魯の大夫季氏がびんけんの代官に任用したいと思って、使者をやった。すると、閔子騫は、その使者にいった。――
    「どうか私にかわってよろしくお断り申しあげて下さい。もしふたたび私をお召しになるようなことがあれば、私はきっとぶん水のほとりにかくれるでございましょう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 季氏 … 魯の国の大夫、季孫氏。三桓の中で最も勢力があった。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 閔子騫 … 前536~前487。姓はびん。名は損。あざなは子騫。孔門十哲のひとり。孔子より十五歳年少。魯の人。徳行にすぐれ、また孝行者でもあった。ウィキペディア【閔子騫】参照。
  • 費 … 地名。季孫氏の領地。
  • 宰 … 代官。
  • 善為我辞焉 … どうか私のためにお断りして下さい。
  • 辞 … 断る。
  • 復 … もう一度そうとする。繰り返しすすめる。
  • 汶 … 川の名。斉の南、魯の北の国境にある。
  • 上 … ほとり。
補説
  • 閔子騫 … 『孔子家語』七十二弟子解に「閔損びんそんひとあざなは子騫。孔子よりわかきこと十五歳。徳行を以て名を著す。孔子其の孝なるをたたう」(閔損魯人、字子騫。少孔子十五歳。以德行著名。孔子稱其孝焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「閔損、字は子騫。孔子より少きこと十五歳。孔子曰く、孝なるかな閔子騫。人、其の父母昆弟こんていの言をかんせず、と。大夫に仕えず、くんの禄をまず。如し我をふたたびする者有らば、必ずぶんほとりに在らん、と」(閔損字子騫。少孔子十五歳。孔子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言。不仕大夫、不食汙君之祿。如有復我者、必在汶上矣)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 季氏使閔子騫爲費宰 … 『集解』に引く孔安国の注に「費は、季氏の邑なり。季氏は臣たらず、而して其の邑宰数〻しばしばそむく。閔子騫の賢なるを聞きて、故に之を用いんと欲するなり」(費、季氏邑也。季氏不臣、而其邑宰數叛。聞閔子騫賢、故欲用之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「弟子の閔損なり。費は、季氏の采邑なり。時に季氏の邑宰叛く。閔子騫の賢なるを聞く。故に使いを遣わして之を召し、費の宰たらしめんとせしなり」(弟子閔損也。費、季氏采邑也。時季氏邑宰叛。聞閔子騫賢。故遣使召之、爲費宰也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「閔子騫は、孔子の弟子、名は損。費は、季氏の邑」(閔子騫、孔子弟子、名損。費、季氏邑)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 善為我辞焉 … 『集解』に引く孔安国の注に「季氏の宰と為るを欲せず。使者に語りて曰く、善く我が為に辞説を作り、復び我を之に召さざらしむるなり、と」(不欲爲季氏宰。語使者曰、善爲我作辭説、令不復召我之也)とある。また『義疏』に「子騫賢にして、悪人の為に宰と為るを願わず。故に季氏の使者に謂いて云う、汝還りて好く我が為に辞を作せ、と。季氏に辞するの道、我宰と為るを欲せざるの意なり」(子騫賢、不願爲惡人爲宰。故謂季氏之使者云、汝還好爲我作辭。辭於季氏道、我不欲爲宰之意也)とある。
  • 如有復我者 … 『集解』に引く孔安国の注に「我をふたたびすとは、重ねて来たりて我を召すなり」(復我者、重來召我也)とある。
  • 則吾 … 『史記』仲尼弟子列伝には、この二字なし。
  • 必在汶上矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「去りて汶水のほとりき、北のかた斉にかんと欲するなり」(去之汶水上、欲北如齊也)とある。また『義疏』に「汶は、水の名なり。汶は魯の北、斉の南に在り。子騫時に魯に在り。使者に謂いて云う、若し又た来たりて我を召さば、我当に北のかた汶水の上を渡りて、往きて斉に入るべし、と」(汶、水名也。汶在魯北齊南。子騫時在魯。謂使者云、若又來召我、我當北渡汶水之上、往入齊也)とある。また『集注』に「汶は、水の名、斉の南、魯の北の境上に在り。閔子、季氏の臣たるを欲せず。使者をして善く己が為に辞せしむ。言うこころは若し再び来たりて我を召さば、則ち当に去りて斉に之くべし」(汶、水名、在齊南魯北境上。閔子不欲臣季氏。令使者善爲己辭。言若再來召我、則當去之齊)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「仲尼の門、能く大夫の家に仕えざる者は、閔子曾子数人のみ」(仲尼之門、能不仕大夫之家者、閔子曾子數人而已)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「学者能くいささか内外の分を知れば、皆以て道を楽しみて人の勢いを忘る可し。況んや閔子、聖人を得て之に依帰するを為す。彼れ其の季氏の不義の富貴を視ること、ただ犬彘けんていのみならず。又た従いて之に臣たるは、豈に其の心ならんや。聖人に在りては、則ち然らざる者有り。蓋し乱邦に居り、悪人に見ゆるも、聖人に在りては則ち可なり。聖人より以下は、剛なれば則ち必ず禍いを取り、柔なれば則ち必ず辱しめを取る。閔子豈に早く見てあらかじめ之を待つこと能わざらんや。由や其の死を得ず、求や季氏の為に附益するが如きは、夫れ豈に其の本心ならんや。蓋し既に先見の知無く、又た乱に克つの才無きが故なり。然らば則ち閔子は其れ賢なるか」(學者能少知内外之分、皆可以樂道而忘人之勢。況閔子、得聖人爲之依歸。彼其視季氏不義之富貴、不啻犬彘。又從而臣之、豈其心哉。在聖人、則有不然者。蓋居亂邦、見惡人、在聖人則可。自聖人以下、剛則必取禍、柔則必取辱。閔子豈不能早見而豫待之乎。如由也不得其死、求也爲季氏附益、夫豈其本心哉。蓋既無先見之知、又無克亂之才故也。然則閔子其賢乎)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「而して閔子の人と為りや、従順淵黙、物とさからうこと無し。剛果決烈の気無きに疑いあり。然れども其の使者に答うるの言を観るに、詞かたく意直く、毅然として犯す可からず。……孔門の諸子、愕然として以為おもえらく、くわだて及ぶ可からずと。乃ち此を記して以て学者の標準と為す。……論に曰く、先儒おもえらく、仲尼の門、能く大夫の家に仕えざる者は、閔子曾子数人のみ、と。非なり。蓋し君臣の義は、人の大倫にして、貴賤の別は、位の定分なり。故に当に其の義・不義の如何を論ずべくして、概して大夫に仕うるを以て非と為す可からざるなり。……若し夫れ出ずるを卑しめ、処るを崇び、隠るるを貴び、顕るるを賤しみ、高踏遠引、斯の世に志無き者は、亦た閔子の罪人なり」(而閔子之爲人也、従順淵默、與物無忤。疑乎無剛果決烈之氣。然觀其答使者之言、詞確意直、毅然不可犯。……孔門之諸子、愕然以爲、不可跂及。乃記此以爲學者之標準。……論曰、先儒謂、仲尼之門、能不仕大夫之家者、閔子曾子數人而已。非也。蓋君臣之義、人之大倫、而貴賤之別、位之定分也。故當論其義不義如何、而不可槩以仕大夫爲非也。……若夫卑出、崇處、貴隱、賤顯、高踏遠引、無志於斯世者、亦閔子之罪人也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「程子曰く、仲尼の門、能く大夫の家に仕えざる者は、閔子・曾子数人のみ、と。仁斎先生乃ち曰く、概して大夫の家に仕うるを以て非とす可からず、と。然れども程子の言を味わうに、豈に必ずしも此れを以て非とせんや。蓋し諸侯に仕うる者は、一国のこころざし有る者なり。大夫に仕うる者はしからず。其の志瑣瑣ささえんたる者なり。程子は乃ち其の大なる者にくみするのみ」(程子曰、仲尼之門、能不仕大夫之家者、閔子曾子數人而已。仁齋先生乃曰、不可槩以仕大夫之家爲非也。然味程子之言、豈必以此爲非乎。蓋仕諸侯者、有志於一國之治者也。仕大夫者否矣。其志瑣焉者也。程子乃與其大者已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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