雍也第六 5 子曰回也章
124(06-05)
子曰、回也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。
子曰、回也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。
子曰く、回や、其の心三月仁に違わず。其の余は則ち日に月に至るのみ。
現代語訳
- 先生 ――「回くんは、三つきでも道徳的であり得た。ほかの人は、日に一度か月に一度がせいぜいだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「顔回は幾月も引き続いてその心が仁をはなれぬが、ほかの連中は、ある月ある日にたまたま仁までゆくかと思うと、じきに脱線してしまう。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「回よ、三月の間、心が仁の原理を離れなければ、その他の衆徳は日に月に進んでくるものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 回 … 前521~前490。孔子の第一の弟子。姓は顔、名は回。字が子淵であるので顔淵とも呼ばれた。魯の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
- 也 … 「や」と読む。「~よ」と訳し、呼びかけの意とする説と、「~は」と訳す説とがある。
- 其心 … その心。「其」は、顔回を指す。
- 三月 … 「三か月」の意とする説と、「久しく、常に」の意とする説とがある。
- 不違 … 離れない。そらさない。
- 其余 … ほかの門人たち。顔回以外の弟子たち。なお、伊藤仁斎は「文学や政事」と解釈している。
- 日月 … 日に一度、月に一度。
- 而已矣 … 「のみ」と読む。強い断定の意を示す。「而已」をさらに強調した言い方。「…だけだ」「他にはない、ただこれだけだ」の意。「而已焉」「而已耳」も同じ。
補説
- 『注疏』に「此の章は顔回の仁を称す」(此章稱顏回之仁)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 顔回 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。字は子淵。孔子よりも少きこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
- 其心三月不違仁 … 『義疏』に「仁は是れ行いの盛んなるものなり。仁を体するに非ずんば、則ち能くせず。能くせざる者、心必ず之を違う。能く違わざる者は、唯だ顔回のみ。既に違わざれば、則ち応に身を終うるべし。而るに止だ三月のみを挙ぐるは、三月一時、天気一変為ればなり。一変尚お能く之を行えば、則ち他時能く知る可きなり。亦た引汲せんと欲す。故に多時と言わざるなり。故に苞述云う、顔子仁に違わず、豈に但だ一時のみ、将に以て群子の志を勗めしめんとせん。故に其の階を絶たざるのみ、と」(仁是行盛。非體仁、則不能。不能者、心必違之。能不違者、唯顏回耳。既不違、則應終身。而止擧三月者、三月一時、爲天氣一變。一變尚能行之、則他時能可知也。亦欲引汲。故不言多時也。故苞述云、顏子不違仁、豈但一時、將以勗羣子之志。故不絶其階耳)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「三月を一時と為し、天気は一変す。人心善を行わんとするも、亦た多くは時に随いて移変す。唯だ回のみ、其の心は一時を経て復た一時となると雖も、而も変移して仁道に違去するをせず」(三月爲一時、天氣一變。人心行善、亦多隨時移變。唯回也、其心雖經一時復一時、而不變移違去仁道也)とある。また『集注』に「三月は、其の久しきを言う。仁とは、心の徳。心仁に違わずとは、私欲無くして其の徳有るなり」(三月、言其久。仁者、心之德。心不違仁者、無私欲而有其德也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 其心 … 宮崎市定は「惎」の一字であったと推測し、「惎うる」と読んでいる。詳しくは『論語の新研究』75頁以下参照。
- 其余則日月至焉而已矣 … 『集解』の何晏の注に「言うこころは余人暫く仁に至るの時有るも、唯だ回のみ時を移りて変わらざるなり」(言餘人暫有至仁時、唯回移時而不變也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「其の余は、他の弟子を謂うなり。仁を為すに並びに能く一時ならず。或いは一日に至り、或いは一月に至る。故に日月に至るのみと云うなり」(其餘謂他弟子也。爲仁並不能一時。或至一日、或至一月。故云日月至焉而已也)とある。また『注疏』に「其の余は則ち蹔く仁に至る時有るも、或いは一日或いは一月のみ」(其餘則蹔有至仁時、或一日或一月而已矣)とある。また『集注』に「日月に至るとは、或いは日に一たび至り、或いは月に一たび至る。能く其の域に造れども久しきこと能わざるなり」(日月至焉者、或日一至焉、或月一至焉。能造其域而不能久也)とある。
- 『集注』に引く程顥または程頤の注に「三月は、天道小変の節、其の久しきを言うなり。此を過ぐれば則ち聖人なり。仁に違わずは、只だ是れ繊毫の私欲無し。少しく私欲有れば、便ち是れ不仁なり」(三月、天道小變之節、言其久也。過此則聖人矣。不違仁、只是無纎毫私欲。少有私欲、便是不仁)とある。
- 『集注』に引く尹焞の注に「此れ顔子の聖人に於いて未だ達せざること一間なる者なり。聖人の若きは則ち渾然として間断無し」(此顏子於聖人未達一間者也。若聖人則渾然無間斷矣)とある。
- 『集注』に引く張載の注に「始学の要は、当に三月違わずと、日月に至るとの、内外賓主の弁を知り、心意をして勉勉循循として、已むこと能わざらしむべし。此を過ぐれば、幾ど我に在る者に非ざるなり」(始學之要、當知三月不違、與日月至焉、内外賓主之辨、使心意勉勉循循、而不能已。過此、幾非在我者)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「其の余は、蓋し文学政事の類を指して言う。猶お其の余は観るに足らざるのみの意のごとし。……言うこころは仁を為すは天下の至難なり。唯だ顔子の心、能く仁に合いて、三月の久しきに至りて、亦た自ら違わず。其の他文学・政事の類の若き、彼れ力を用いずと雖も、日月を以て自ら至るのみ。豈に賢ならざらんや。……蓋し嘗て之を譬うるに、心は猶お薪のごとき、仁は猶お火のごとし。薪は火を得て其の用を成す、火は薪に因って其の徳を見わす、然れども薪に能く燃ゆる者有り、湿りて燃え難き者有り。而るに天下の薪、燃えざる者有ること無きは、此れ其の性の同じからざること有りと雖も、而れども其の皆以て善を為す可きは則ち一なり。孟子の性善を言うは是れなり。故に顔子三月仁に違わざるは、燥きて燃え易き者なり。世の頑冥不仁なる者、湿りて燃え難き者なり。是に由りて之を弁ずれば、則ち仁や、心や、性や、其の別分明にして、弁ずることを待たず」(其餘、蓋指文學政事之類而言。猶其餘不足觀也已之意。……言爲仁天下之至難也。唯顏子之心、能合於仁、而至於三月之久、亦自不違。其他若文學政事之類、彼雖不用力、以日月自至焉而已矣。豈不賢哉。……蓋嘗譬之、心猶薪也、仁猶火也。薪得火而成其用、火因薪而見其德、然薪有能燃者、有濕而難燃者。而天下之薪、無有不燃者、此其性之雖有不同、而其皆可以爲善則一也。孟子之言性善是也。故顏子三月不違仁、燥而易燃者也。世之頑冥不仁者、濕而難燃者也。由是辨之、則仁也、心也、性也、其別分明、不待辨矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「仁に違わずとは、仁に依るなり。……然れども先王の道は、民を安んずるの道なり。安民の徳、之を仁と謂う。……三月とは、仮に設けて其の久しきを言うなり。……仁斎先生、其の余は観るに足らずを引いて其の誤りを弁ず、特見と謂う可し。……且つ文学・政事は、豈に至ると言う容けんや。……又た按ずるに論語、唯だ此の章のみ心を以て之を言えり。聖門には唯だ仁を心法と為す。一言一動、一事一物、皆先王安民の徳と相応ぜんことを欲す。……而うして仁は心の徳と曰う。其の老・仏に流れざる者幾くも希し」(不違仁者、依於仁也。……然先王之道、安民之道也。安民之德謂之仁。……三月者、假設而言其久也。……仁齋先生引其餘不足觀也而辨其誤、可謂特見。……且文學政事、豈容言至乎。……又按論語、唯此章以心言之。聖門唯仁爲心法。一言一動、一事一物、皆欲與先王安民之德相應。……而曰仁者心之德。其不流於老佛者幾希)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
こちらの章もオススメ!
学而第一 | 為政第二 |
八佾第三 | 里仁第四 |
公冶長第五 | 雍也第六 |
述而第七 | 泰伯第八 |
子罕第九 | 郷党第十 |
先進第十一 | 顔淵第十二 |
子路第十三 | 憲問第十四 |
衛霊公第十五 | 季氏第十六 |
陽貨第十七 | 微子第十八 |
子張第十九 | 堯曰第二十 |