公冶長第五 19 季文子章
111(05-19)
季文子三思而後行。子聞之曰、再斯可矣。
季文子三思而後行。子聞之曰、再斯可矣。
季文子は三たび思いて而る後に行う。子、之を聞きて曰く、再びすれば斯れ可なり。
現代語訳
- 季文さんは、三べん思案してからなさる。先生がそれをきかれ ―― 「二へんでいいんだよ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 季文子は三度考えてから行った。孔子様がおっしゃるよう、「二度でよかろう。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 季文子は何事も三たび考えてから行なった。先師はそれをきいていわれた。――
「二度考えたら十分だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 季文子 … ?~前568。魯の国の家老。姓は季孫、名は行父、文子はその諡。宣公・成公・襄公の三君のときの宰相であった。孔子の誕生以前に死去している。ウィキペディア【季孫行父】参照。
- 三思 … 三度考え直す。または、何度もよく考えること。
- 而後 … 「しかるのち」と読み、「そうしたあとで」「そうしてはじめて」と訳す。事柄・時間の前後関係を示す。
- 再斯可矣 … 二度考えれば、それでいいのに。「斯」は「則」の意。
補説
- 『注疏』に「此の章は魯の大夫季文子の徳を美む」(此章美魯大夫季文子之德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 季文子三思而後行 … 『集解』に引く鄭玄の注に「季文子は、魯の大夫、季孫行父なり。文は、諡なり。文子は忠にして賢行有り、其れ事を挙ぐるに過ち寡し。必ずしも三たび之を思うに及ばざるなり」(季文子、魯大夫、季孫行父也。文、諡也。文子忠而有賢行、其舉事寡過。不必及三思之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「言うこころは文子は賢行有り、事を挙ぐること必ず三過之を思うなり。一通有りて云う、言うこころは再過とは、二び思えば則ち可なり。季彪曰く、君子の行は、其の始めを謀り、其の中を思い、其の終わりを慮る。然る後に允に事機に合す。挙げて遺算無し。是を以て曾子三たび其の身を省みる、南容は白圭を三復す、夫子其の賢を称す。且つ聖人教訓の体を敬慎し、但だ当に重んずること有るべきのみ。固に減損の理有るに縁ること無きなり。時人季孫を称す。名其の実に過ぐ。故に孔子之を矯す。言うこころは季孫事を行いて闕くこと多し。其の再思を許せば則ち可なり。乃ち三思に至るに縁ること無きなり。此れ蓋し矯抑の談のみならん。称美の言に非ざるなり、と」(言文子有賢行、舉事必三過思之也。有一通云、言再過、二思而則可也。季彪曰、君子之行、謀其始、思其中、慮其終。然後允合事機。舉無遺算。是以曾子三省其身、南容三復白圭、夫子稱其賢。且聖人敬愼於教訓之體、但當有重耳。固無緣有減損之理也。時人稱季孫。名過其實。故孔子矯之。言季孫行事多闕。許其再思則可矣。無緣乃至三思也。此蓋矯抑之談耳。非稱美之言也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「文子は忠にして賢行有り。其の事を挙ぐるや、皆三たび之を思い、然る後に乃ち行い、常に過咎寡なし」(文子忠而有賢行。其舉事、皆三思之、然後乃行、常寡過咎)とある。また『集注』に「季文子は、魯の大夫、名は行父。事毎に必ず三たび思いて後に行う。晋に使いして喪に遭うの礼を求めて以て行くが若きも、亦た其の一事なり」(季文子、魯大夫、名行父。每事必三思而後行。若使晉而求遭喪之禮以行、亦其一事也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子聞之曰、再斯可矣 … 『義疏』に「孔子之を美めて言う、文子の賢の若きんば、三たび思いを仮らずとも、唯だ再び思いて此れ則ち可なり。斯は、此なり」(孔子美之言、若文子之賢、不假三思、唯再思此則可也。斯、此也)とある。また『注疏』に「孔子之を聞きて曰く、必ずしも三たび思うに及ばず。但だ再び之を思いて、斯れ亦た可なり、と」(孔子聞之曰、不必及三思。但再思之、斯亦可矣)とある。なお、原本では「乃三思」に作るが、『義疏』に従い改めた。また『集注』に「斯は、語辞なり」(斯、語辭)とある。
- 再斯可矣 … 『義疏』では「再思斯可矣」に作る。
- 『集注』に引く程顥または程頤の注に「悪を為すの人、未だ嘗て思うこと有るを知らず。思うこと有れば則ち善を為す。然れども再びするに至れば則ち已に審らかなり。三たびすれば則ち私意起こりて、反って惑う。故に夫子之を譏る」(爲惡之人、未嘗知有思。有思則爲善矣。然至於再則已審。三則私意起、而反惑矣。故夫子譏之)とある。
- 『集注』に「愚按ずるに、季文子の事を慮ること此くの如し。詳審にして宜しく過挙無しと謂う可し。而れども宣公簒立するに、文子乃ち討つこと能わず。反って之が為に斉に使いして賂を納る。豈に程子の所謂私意起こりて反って之に惑うの験に非ずや。是を以て君子は理を窮むるを務めて果断を貴ぶ。徒らに多く思うを之れ尚しと為さず」(愚按、季文子慮事如此。可謂詳審而宜無過舉矣。而宣公簒立、文子乃不能討。反爲之使齊而納賂焉。豈非程子所謂私意起而反惑之驗與。是以君子務窮理而貴果斷。不徒多思之爲尚)とある。簒立は、臣下が君位を奪い、その位につくこと。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「然れども政を為すは明決果断より善きは莫く、優游不決より善からざるは莫し。……夫れ事の千条万緒、固に一思を待たずして得る者有り。或いは千思万想して猶お決し難き者有り。而して季文子事毎に必ず三たび思いて而る後に行えば、則ち是れ徒爾の思惟にて、決断することを知らず。夫子の之を譏らるる所以なり」(然爲政莫善於明決果斷、莫不善於優游不決。……夫事之千條萬緒、固有不待一思而得者矣。或有千思萬想而猶難決者矣。而季文子每事必三思而後行、則是徒爾思惟、不知決斷。夫子之所以譏之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「季文子三思して後に行うと、是れ或いは季文子自ら言い、而うして魯人之を誦する者、故に子之を聞くと曰うなり。再びすれば斯れ可ならんと、是れ孔子の其の妄なるを断ずるのみ。……事の小にして近きは、思わずと雖も可なり。大にして遠きは、之を千百思すと雖も可なり。何ぞ必ずしも再三することか之れ有らん。大氐宋儒の深遠の思いに乏しきは、其の見る所の之を誤るが為のみ」(季文子三思而後行、是或季文子自言、而魯人誦之者、故曰子聞之也。再斯可矣、是孔子斷其妄已。……事之小而近、雖不思可也。大而遠、雖千百思之可也。何必再三之有。大氐宋儒之乏於深遠之思也、爲其所見誤之已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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