公冶長第五 2 子謂子賤章
094(05-02)
子謂子賤、君子哉若人。魯無君子者、斯焉取斯。
子謂子賤、君子哉若人。魯無君子者、斯焉取斯。
子、子賤を謂う、君子なるかな、若き人。魯に君子者無くんば、斯れ焉くにか斯を取らん。
現代語訳
- 先生は子賤のことを ―― 「りっぱだなあ、あの人は。この国に人物がいなければ、かれもああは成れまいて。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様が子賤を評しておっしゃるよう、「君子であるかなこの人は。さすが魯の国には君子の先輩が多いからで、それでなければどうしてかような若者が出ようぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師が子賤を許していわれた。――
「こういう人こそ君子というべきだ。しかし、もし魯の国に多くの君子がいなかったとしたら、彼もなかなかこうはなれなかったろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 謂 … ここでは、批評するの意。
- 子賤 … 孔子の弟子。姓は宓、名は不斉、子賤は字。魯の人。魯の単父(現在の山東省菏沢市単県)という町の宰(長官)となり、琴を弾いてよく治めたという。ウィキペディア【宓不斉】参照。
- 若人 … 「かくのごときひと」と読む。
- 君子者 … 君子と言える人物。
- 斯焉取斯 … 前の「斯」は、子賤を指し、後の「斯」は、君子の徳を指す。
- 焉 … どこで。どこから。どうして。
- 取 … 取得する。身につける。
補説
- 『注疏』に「此の章は子賤の徳を論ずるなり」(此章論子賤之德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子賤 … 『孔子家語』七十二弟子解に「宓不斉は魯の人、字は子賤。孔子より少きこと四十九歳。仕えて単父の宰と為る。才智仁愛有り。百姓欺くに忍びず。孔子之を大なりとせり」(宓不齊魯人、字子賤。少孔子四十九歳。仕爲單父宰。有才智仁愛。百姓不忍欺。孔子大之)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「宓不斉、字は子賤。孔子より少きこと三十歳。孔子、子賤を謂う、君子なるかな。魯に君子無かりせば、斯れ焉くんぞ斯を取らん、と。子賤、単父の宰と為り、孔子に反命して曰く、此の国に不斉より賢れる者五人有り、不斉に治むる所以の者を教えたり、と。孔子曰く、惜しいかな。不斉が治むる所の者小なり。治むる所の者大ならば則ち庶幾からん、と」(宓不齊字子賤。少孔子三十歳。孔子謂子賤、君子哉。魯無君子、斯焉取斯。子賤爲單父宰、反命於孔子曰、此國有賢不齊者五人、教不齊所以治者。孔子曰、惜哉。不齊所治者小。所治者大則庶幾矣)とある。反命は、使者が帰って来て報告すること。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く孔安国の注に「子賤は、魯人なり。弟子の宓不斉なり」(子賤、魯人。弟子宓不齊也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「子賤は、孔子の弟子、姓は宓、名は不斉」(子賤、孔子弟子、姓宓、名不齊)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子謂子賤 … 『義疏』に「亦た子賤を評するなり」(亦評子賤也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 君子哉若人 … 『集解』に引く包咸の注に「若き人は、此くの若き人なり」(若人、若此人也)とある。また『義疏』に「若き人は、此くの若き人なり。言うこころは子賤は君子の徳有り。故に君子なるかな、此の若き人と言うなり」(若人、如此人也。言子賤有君子之德。故言君子哉若此人也)とある。また『注疏』に「此れ評論の辞なり。因りて魯に君子多きを美む。故に曰く、君子の徳有るかな、此くの若き人や」(此評論之辭也。因美魯多君子。故曰、有君子之德哉、若此人也)とある。
- 魯無君子者、斯焉取斯 … 『集解』に引く包咸の注に「如し魯に君子無くんば、子賤安くんぞ此の行いを得て之を学び行わん」(如魯無君子、子賤安得此行而學行之)とある。また『義疏』に「言うこころは若し魯に君子無くんば、子賤安くんぞ此の君子の行いを取りて之を学ぶを得んや。言うこころは魯に君子多きに由りて、故に子賤学んで之を得たり」(言若魯無君子、子賤安得取此君子之行而學之乎。言由魯多君子、故子賤學而得之)とある。また『注疏』に「魯国に若し更に君子無くんば、斯れ子賤安くにか斯の君子の徳行を取りて、之を学び行うを得んや、と。魯に君子多し、故に子賤学びて君子と為るを得たるを明らかにするなり」(魯國若更無君子者、斯子賤安得取斯君子之德行而學行之乎。明魯多君子、故子賤得學爲君子也)とある。また『集注』に「上の斯は、此の人を斯とし、下の斯は、此の徳を斯とす」(上斯、斯此人、下斯、斯此德)とある。
- 『集注』に「子賤は蓋し能く賢を尊び友を取り、以て其の徳を成す者なり。故に夫子既に其の賢を歎じて、又た言う、若し魯に君子無くんば、則ち此の人何ぞ取りて以て此の徳を成す所あらんや、と。因りて以て魯の賢多きを見すなり」(子賤蓋能尊賢取友、以成其德者。故夫子既歎其賢、而又言、若魯無君子、則此人何所取以成此德乎。因以見魯之多賢也)とある。
- 『集注』に引く蘇軾の注に「人の善を称して、必ず其の父兄師友に本づくるは、厚きの至りなり」(稱人之善、必本其父兄師友、厚之至也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ賢師友薫陶の益甚だ大なることを賛するなり。夫子の人を取る、毎に其の質の美を称せずして、深く其の学を好むことを称す。顔子を言うが若き是れなり。今子賤に於いて先ず其の徳を美めて、而る後に専ら之を師友薫陶の功に帰す」(此贊賢師友薫陶之益甚大也。夫子之取人、毎不稱其質美、而深稱其好學。若言顏子是也。今於子賤先美其德、而後專歸之於師友薫陶之功)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「仁斎先生曰く、賢師友薫陶の益甚だ大なることを賛するなり、と。朱註に勝ること甚だし。説苑に曰く、……我を之れ人に任すと謂う。……舜の無為は、人に任すればなり。……孔子其れを君子なるかなと謂うは、此を以てなり」(仁齋先生曰、贊賢師友薫陶之益甚大也。勝朱註甚。説苑曰、……我之謂任人。……舜之無爲、任人也。……孔子謂其君子哉、以此)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
こちらの章もオススメ!
学而第一 | 為政第二 |
八佾第三 | 里仁第四 |
公冶長第五 | 雍也第六 |
述而第七 | 泰伯第八 |
子罕第九 | 郷党第十 |
先進第十一 | 顔淵第十二 |
子路第十三 | 憲問第十四 |
衛霊公第十五 | 季氏第十六 |
陽貨第十七 | 微子第十八 |
子張第十九 | 堯曰第二十 |