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為政第二 18 子張學干祿章

034(02-18)
子張學干祿。子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤。多見闕殆、愼行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。
ちょうろくもとめんことをまなぶ。いわく、おおきてうたがわしきをき、つつしみてあまりをえば、すなわとがすくなし。おおあやうきをき、つつしみてあまりをおこなえば、すなわすくなし。げんとがすくなく、おこないにすくなければ、ろくうちり。
現代語訳
  • 子張は役人志願。先生 ――「聞いてよくたしかめ、たしかなことだけをいえば、まず無難だ。見てよくたしかめ、たしかなことだけをすれば、まず安心。そうバカをいわず、あまりヘマをやらねば、自然に出世するさ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ちょうの学問は求職のための気味きみがあったので、孔子様がこう言ってさとされた。「なるべく多く聞いてその中で疑わしい事はとりのけ、残りの確かな事だけをしんちょうに言えば失言がすくない。なるべく多く見てその中で疑わしい事はとりのけ、残りの確かな事だけを慎重に行えば、後悔こうかいがすくない。言うことに失言がすくなく、することに後悔がすくなければ、俸禄ほうろくはその事自体に存するのであって、それが絶好の求職であるぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ちょうは求職の方法を知りたがっていた。先師はこれをさとしていわれた。――
    「なるだけ多く聞くがいい。そして、疑わしいことをさけて、用心深くたしかなことだけを言っておれば、非難されることが少ない。なるだけ多く見るがいい。そして、あぶないと思うことをさけて、自信のあることだけを用心深く実行しておれば、後悔することが少ない。非難されることが少なく、後悔することが少なければ、自然に就職の道はひらけてくるものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子張 … 前503~?。孔子の弟子。姓は顓孫せんそん、名は師、あざなは子張。陳の人。孔子より四十八歳年少。ウィキペディア【子張】参照。
  • 干禄 … 俸禄を求めること。仕官を望むこと。「干」は、求める。「禄」は、俸禄。俸給。
  • 闕 … 取り除ける。はぶく。「欠」に同じ。
  • 其余 … その残ったこと。
  • 尤 … 人からとがめられること。「咎」に同じ。
  • 寡 … 少ない。
  • 殆 … 危うい。危険なこと。あやふやなこと。
  • 悔 … 後悔すること。
  • 在其中 … 求めなくても自然に得られるようになる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は禄を求むるの法を言う」(此章言求祿之法)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子張 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顓孫せんそんは陳の人。あざなは子張。孔子よりわかきことじゅうはちさい」(顓孫師陳人。字子張。少孔子四十八歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顓孫師は陳人ちんひと、字は子張。孔子より少きこと四十八歳。人とり容貌資質有り。寬沖にして博く接し、従容として自ら務むるも、居りて仁義の行いを立つるを務めず。孔子の門人、之を友とするも敬せず」(顓孫師陳人、字子張。少孔子四十八歳。為人有容貌資質。寬沖博接、從容自務、居不務立於仁義之行。孔子門人、友之而弗敬)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『集解』に引く鄭玄の注に「子張は、弟子なり。姓は顓孫、名は師、字は子張なり」(子張、弟子。姓顓孫、名師、字子張)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「子張は、孔子の弟子、姓は顓孫、名は師」(子張、孔子弟子、姓顓孫、名師)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 学干禄 … 『集解』に引く鄭玄の注に「干は求なり。禄は禄位なり」(干、求也。祿、祿位也)とある。また『義疏』に「干は、求なり。禄は、禄位なり。弟子子張は孔子に就いて禄位を求むるの術を学ぶなり」(干、求也。祿、祿位也。弟子子張就孔子學求祿位之術也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「干は、求なり。弟子の子張孔子に師事し、禄位を求むるの法を学ぶ」(干、求也。弟子子張師事孔子、學求祿位之法)とある。また『集注』に「干は、求むるなり。禄は、仕うる者の奉なり」(干、求也。祿、仕者之奉也)とある。
  • 子曰、多聞闕疑 … 『義疏』に「禄を求むるの術に答うるなり。疑は、疑惑の事なり。言うこころは人世間に居れば、必ず多く聞く所有り。聞く所の事、必ず疑う者有り、解する者有り、解する者は則ち心に之を録す。若し疑わしき者をば則ち廃闕して存録すること莫し、故に云う、多く聞きて疑わしきを闕く、と」(答求祿術也。疑、疑惑之事也。言人居世間、必多有所聞。所聞之事、必有疑者、有解者、解者則心録之。若疑者則廢闕而莫存録、故云多聞闕疑)とある。また『集注』に引く呂大臨の注に「疑とは、未だ信ぜられざる所なり」(疑者、所未信)とある。
  • 慎言其余、則寡尤 … 『集解』に引く包咸の注に「尤は、過ちなり。疑うは則ち之を闕き、其の余の疑わざる、猶お慎みて之を言えば、則ち過ち少なきなり」(尤、過也。疑則闕之、其餘不疑、猶愼言之、則少過也)とある。また『義疏』に「其の余は、心の解する所、疑わしからざる者を謂うなり。已に疑う可き者を闕廃して、余る所の疑わしからざる者、存録して心に在ると雖も、亦た何ぞ必ずしも理にあたらん、故に又た宜しく口に慎みて之を言うべきなり。寡は、少なり。尤は、過なり。既に疑うきを闕き、又た言を慎みて疑わざる所、能く此くの如くんば、則ち生平の言、過失有ること少なきなり」(其餘、謂所心解、不疑者也。已闕廢可疑者、而所餘不疑者、雖存録在心、亦何必中理、故又宜口愼言之也。寡、少也。尤、過也。既闕可疑、又愼言所不疑、能如此者、則生平之言、少有過失也)とある。また『注疏』に「此れ夫子子張に禄を求むるの法を教うるなり。尤は、過ちなり。寡は、少なり。言うこころは博く学び多く聞き、疑わしきは則ち之を闕くと雖も、猶お須らく慎みて其の余の疑わしからざる者を言うべくんば、則ち過ち少なきなり」(此夫子教子張求祿之法也。尤、過也。寡、少也。言雖博學多聞、疑則闕之、猶須愼言其餘不疑者、則少過也)とある。
  • 多見闕殆、慎行其余、則寡悔 … 『集解』に引く包咸の注に「たいは、危なり。見る所の危うき者は闕きて行わざれば、則ち悔い少なきなり」(殆、危也。所見危者闕而不行、則少悔也)とある。また『義疏』に「殆は、危なり。言うこころは人若し眼に多く見る所、其の危殆なる者を闕廃して、之を存録せざるなり。其の余は、自ら録する所、危殆の事に非ざるを謂うなり。已に危殆なる者を廃すと雖も、而れども余る所の殆うからざる者も、亦た何ぞ必ずしも並びに其の理にあたらん、故に又た宜しく慎みて之を行うべきなり。悔は、恨なり。既に危殆の者を闕きて、又た慎みて殆うからざる所を行う、能く此くの如き者は、則ち平生行う所、悔恨少なきなり」(殆、危也。言人若眼多所見、闕廢其危殆者、不存録之也。其餘、謂自所録、非危殆之事也。雖已廢危殆者、而所餘不殆者、亦何必竝中其理、故又宜愼行之也。悔、恨也。既闕於危殆者、又愼行所不殆、能如此者、則平生所行、少悔恨也)とある。また『注疏』に「殆は、危なり。言うこころは広く覧て多く見、見る所危うき者は、闕きて行わずと雖も、猶お須らく慎みて其の余の危うからざる者を行うべくんば、則ち悔恨少なきなり」(殆、危也。言雖廣覽多見、所見危者、闕而不行、猶須愼行其餘不危者、則少悔恨也)とある。また『集注』に引く呂大臨の注に「たいとは、未だ安んぜざる所なり」(殆者、所未安)とある。
  • 言寡尤、行寡悔、禄在其中矣 … 『集解』に引く鄭玄の注に「言行くの如くんば、禄を得ざると雖も、禄を得るの道なり」(言行如此、雖不得祿、得祿之道也)とある。また『義疏』に「其の余、若し能く言に過失少なく、行いに悔恨少なければ、則ち禄位自ら至る。故に云う、禄其の中に在るなり、と。故に范寧曰く、言を発すること過ち少なく、行いを履むこと悔い少なきときは、以て禄をもとめずと雖も、乃ち禄を致すの道なり、と。仲尼何を以てかすべ尤悔ゆうかい無からしめずして、あやまち寡なしと言うや。顔回に有るも猶お二たびあやまたず、蘧伯玉も亦た未だ其の過ち寡なきこと能わず、聖人に非ずよりは、何ぞ能く之れ無し。子張若し能く尤悔寡なきときは、便ち禄を得る者たらん」(其餘若能言少過失、行少悔恨、則祿位自至。故云、祿在其中也。故范寧曰、發言少過、履行少悔、雖不以要禄、乃致禄之道也。仲尼何以不使都無尤悔、而言寡尤乎。有顏回猶不二過、蘧伯玉亦未能寡其過、自非聖人、何能無之。子張若能寡尤悔、便爲得禄者也)とある。尤悔は、後悔している事柄。また『注疏』に「言に若し過ち少なく、行に又た悔い少なくんば、必ず禄位を得べし。設若し言・行の此くの如くんば、偶〻たまたま禄を得ずと雖も、亦た禄を得るの道に同じ」(言若少過、行又少悔、必得祿位。設若言行如此、雖偶不得祿、亦同得祿之道)とある。また『集注』に引く程頤の注に「ゆうは、罪の外より至る者なり。悔は、理の内より出づる者なり」(尤、罪自外至者也。悔、理自内出者也)とある。
  • 『集注』に「愚おもえらく、聞・見多き者は、学ぶこと博、疑・殆を闕く者は、択ぶこと精、言・行を慎む者は、守ること約。凡そ其の中に在りと言う者は、皆求めずして自ら至るの辞なり。此を言いて以て子張の失を救いて之を進むるなり」(愚謂、多聞見者、學之博、闕疑殆者、擇之精、愼言行者、守之約。凡言在其中者、皆不求而自至之辭。言此以救子張之失而進之也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「天爵を修むれば則ち人爵至る。君子の言行を能く謹むは、禄を得るの道なり。子張禄をもとむるを学ぶ、故に之に告ぐるに此を以てし、其の心を定めて利禄の為に動かざらしむ」(修天爵則人爵至。君子言行能謹、得祿之道也。子張學干祿、故告之以此、使定其心而不爲利祿動)とある。
  • 『集注』に引く程顥の注に「顔・閔の若きは、則ち此の問い無し。或いは疑う、此くの如くしても亦た禄を得ざる者有らん、と。孔子蓋し曰く、耕すやうえ其の中に在り、と。惟だ理の為す可き者は、之を為すのみ」(若顏閔、則無此問矣。或疑、如此亦有不得祿者。孔子蓋曰、耕也餒在其中。惟理可爲者、爲之而已矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「禄其の中に在りとは、人の為に棄つる所ならずして、衣食自ずから給するを謂うなり。必ず穀を受くるを指して之を言うに非ざるなり」(祿在其中者、謂不爲人所棄、而衣食自給也。非必指受穀而言之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「禄をもとむることを学ぶとは、禄をもとむるの道を学ぶなり。……夫れ士はつねさん無ければ、何を以て能く存せん。故に学んで禄を干むるは、士子ししの常なり。故に先王穀禄の制を設く。……宋儒の学は、人情に遠し。故に曰く、其の心を定めて利禄に動かさるるを為さず、と。果して其の説のならんか。……殊に知らず、君子は道にしたがって行い、しかも尚お禄を得ざる者有れば、則ち君子命なるを知ることを」(學干祿者、學干祿之道也。……夫士無恒産、以何能存。故學而干祿、士子之常也。故先王設穀祿之制。……宋儒之學、遠於人情。故曰、定其心而不爲利祿動。果其説之是乎。……殊不知君子遵道而行、而尚有不得祿者、則君子知命也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十