為政第二 17 子曰由誨女知之乎章
033(02-17)
子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也。
子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也。
子曰く、由、女に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
現代語訳
- 先生 ――「由くん、『知る』ということを教えようか。知ってるなら知ってる、知らないなら知らないという、それが知ることだよ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「由よ、お前に『知る』ということを言って聞かそうか。知っている事は知っているとし、知らぬ事は知らぬとせよ、それが知るということじゃ。知らぬ事を知っているとしておくと、ついにそれを知る機会を失うぞよ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「由よ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、素直な態度になる。それが知るということになるのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 由 … 前542~前480。姓は仲、名は由。字は子路、または季路。孔子より九歳年下。門人中最年長者。孔門十哲のひとり。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
- 誨 … 教え諭すこと。「教」にほぼ同じ。
- 女 … 「汝」に同じ。
- 之 … 「これ」と訓読するが、上の語が動詞であることを示すだけの語助の字。直接に何かを指示するものではない。
- 乎 … 「か」「や」と訓読する。疑問の意を示す。
- 是 … 「これ」と訓読する。「それが~である」の意。
補説
- 『注疏』に「此の章は知ることを明らかにするなり」(此章明知也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 由 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人、字は子路。一の字は季路。孔子より少きこと九歳。勇力才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、鄙にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵と其の子輒と国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、卞の人なり。孔子よりも少きこと九歳。子路性鄙しく、勇力を好み、志伉直にして、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、稍く子路を誘う。子路、後に儒服して質を委し、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く孔安国の注に「由は、弟子なり。姓は仲、名は由、字は子路なり」(由、弟子也。姓仲、名由、字子路也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の章は子路の人を兼ぬるを抑うるなり。由は、子路の名なり。子路人を兼ぬるの性有り。好んで知らざるを以て知ると為すなり。孔子将に之に教うるを欲せんとす。故に先ず其の名を呼ぶなり」(此章抑子路兼人也。由子路名也。子路有兼人之性。好以不知爲知也。孔子將欲教之。故先呼其名也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「由は、孔子の弟子。姓は仲、字は子路。子路勇を好む」(由、孔子弟子。姓仲、字子路。子路好勇)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 誨女知之乎 … 『義疏』に「誨は、教なり。孔子は子路の名を呼びて云う、我汝に之を知るの文事を教えんと欲するか、と」(誨、教也。孔子呼子路名云、我欲教汝知之文事乎)とある。また『注疏』に「孔子子路の性は剛、好みて知らざるを以て知ると為すを以て、故に此に之を抑え、其の名を呼びて曰く、由よ、我今女に知ると為すを教誨せん、と。之・乎は此れ皆語辞なり」(孔子以子路性剛、好以不知爲知、故此抑之、呼其名曰、由、我今教誨女爲知。之乎此皆語辭)とある。
- 知之為知之、不知為不知 … 『義疏』に「汝若し心に知らざる所有れば、則ち当に知らずと云うべし、妄りに之を知ると云う可からざるなり」(汝若心有所不知、則當云不知、不可妄云知之也)とある。また『注疏』に「此れ誨うる辞なり。言うこころは女実に知るの事は、則ち之を知ると為し、実に知らざるの事は、則ち知らずと為す、此れは是れ真に知ることなり。若し其れ之を知りて、反りて隠して知らずと曰う、及び知らざるに、妄りに我知ると言うは、皆知ることに非ざるなり」(此誨辭也。言女實知之事則爲知之、實不知之事則爲不知、此是眞知也。若其知之、反隱曰不知、及不知、妄言我知、皆非知也)とある。
- 不知爲不知 … 『義疏』では「不知之爲不知」に作る。
- 是知也 … 『義疏』に「若し知らざるを知ると云わば、此れ則ち是れ無知の人のみ。若し実に知りて知ると云わば、此れ乃ち是れ有知の人なり。又た一通に云う、孔子子路の名を呼びて云う、由、我従来より汝を教化す、汝我が教えを知るや、汝以て不や。汝若し我が教えを知らば則ち知ると云え、若し知らずんば則ち知らずと云え、能く此くの如き者は、是れ有知の人なり、と」(若不知云知、此則是無知之人耳。若實知而云知、此乃是有知之人也。又一通云、孔子呼子路名云、由、我從來教化於汝、汝知我教、汝以不乎。汝若知我教則云知、若不知則云不知、能如此者、是有知之人也)とある。また『集注』に「蓋し強いて其の知らざる所を以て知ると為す者有らん。故に夫子之に告げて曰く、我女に教うるに之を知るの道を以てせん。但だ知る所の者は、則ち以て知ると為し、知らざる所の者は、則ち以て知らずと為すのみ。此くの如くんば則ち或いは尽く知る能わずと雖も、自ら欺くの蔽無く、亦た其の知ると為すを害さず。況んや此に由りて之を求むれば、又た知る可きの理有るをや」(蓋有強其所不知以爲知者。故夫子告之曰、我教女以知之之道乎。但所知者、則以爲知、所不知者、則以爲不知。如此則雖或不能盡知、而無自欺之蔽、亦不害其爲知矣。況由此而求之、又有可知之理乎)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「天下の事窮まり無くして、一人の知は限り有り。況んや事の多端なる、得て知る可き者有り、得て知る可からざる者有るをや。得て知る可からざる者を知らんと欲すれば、則ち之を鑿に失す。得て知る可き者と雖も、尽く之を知らんと欲すれば、則ち濫に流る。故に曰く、君子は其の知らざる所に於いて、蓋し闕如たり、と。尽く天下の事を知るを以て、知れりと為さざるが故なり。孟子曰く、堯舜の知にして物に徧からざるは、先務を急にするなり。是れ堯舜の大聖たる所以にして、学者の当に法を取るべき所なり。後の儒者、動もすれば尽く天下の事を知らんと欲す。是れ堯舜の能くせざる所を能くせんと欲するなり。其れ智たることを得ん」(天下之事無窮、而一人之知有限。況事之多端、有可得而知者矣、有不可得而知者矣。欲知不可得而知者、則失之鑿矣。雖可得而知者、欲盡知之、則流于濫矣。故曰、君子於其所不知、蓋闕如也。不以盡知天下之事、爲知故也。孟子曰、堯舜之知而不徧物、急先務也。是堯舜所以爲大聖、而學者所當取法也。後之儒者、動欲盡知天下之事。是欲能堯舜之所不能。其得爲智哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為すとは、人を知るの方を語るなり。……此の章の言は、仲弓に答えて爾が知らん所を挙げよというと正に相発す。……人を知るは政事の急にする所、故に強めて其の知らざる所を知らんことを求むるを、勢いの必ず至る所なり。……後世の儒者は孔門の諸子と学問自ずから別なり。故に動もすれば諸を己に求む。且つ諸家の説の如くんば、之を知る二字終に穏ならず」(知之爲知之、不知爲不知、語知人之方也。……此章言、與答仲弓舉爾所知正相發矣。……知人者政事之所急、故強求知其所不知、勢之所必至。……後世儒者與孔門諸子學問自別。故動求諸己。且如諸家説、知之二字終不穩)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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