雑詩(陳祐)
雜詩
雑詩
雑詩
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻七百八十五、『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、61頁)、『唐詩品彙』巻五十五、『才調集』巻十、『唐人万首絶句選』巻七、他
- 七言絶句。聲・情・生(平声庚韻)。
- ウィキソース「御定全唐詩 (四庫全書本)/卷785」参照。
- 詩題 … 『全唐詩』『才調集』『唐詩品彙』『唐人万首絶句選』では、みな無名氏の作とする。『全唐詩』では「雑詩十九首 其十六」に作る。『唐詩品彙』では「雑詩二首 其一」に作る。『才調集』では「雑詩十首 其五」に作る。『唐人万首絶句選』では「雑詩四首 其三」に作る。
- 雑詩 … 題をつけずに感じたことを自由に詠んだ詩。
- 陳祐 … 生没年不詳。伝記も不詳。『古今詩刪』では「陳祜」に作る。徳宗の貞元九年(793)、柳宗元、劉禹錫とともに陳祜という人物が進士に及第している(『登科記考』巻十三)。この陳祜と陳祐とが同一人物の可能性もあるが、はっきりしない。『全唐詩』巻七百七十九に陳祜の「風光草際浮」という詩が一首だけ載せている。ウィキソース「御定全唐詩 (四庫全書本)/卷779」参照。
無定河邊暮笛聲
無定河辺 暮笛の声
- 無定河 … 陝西省北部を流れる川。内モンゴル自治区のオルドス地方に源を発し、米脂県(陝西省楡林市米脂県)、綏徳県(陝西省楡林市綏徳県、清澗県の東)を経て黄河に注ぐ。流れが急なため、絶えず川の深さが変わるところからいう。『大明一統志』巻三十六、無定河の条に「青澗県の東六十里に在り、南して黄河に入る。……銀州の東北、無定河有り。即ち圁水なり。後人潰沙急流、深浅定まらざるに因りて、故に今の名に更む」(在青澗縣東六十里、南入黄河。……銀州東北、有無定河。即圁水也。後人因潰沙急流、深淺不定。故今名更)とある。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷36」参照。
- 辺 … ほとり。
- 暮笛声 … 夕暮れの笛の音。
- 笛 … 『全唐詩』『才調集』では「角」に作る。
赫連臺畔旅人情
赫連台畔 旅人の情
- 赫連台 … 五胡十六国の一つ、大夏国を建てた赫連勃勃が築いたと伝えられる台。寧夏回族自治区銀川市の東南、黄河の岸辺にあったといわれているが、固より数カ所あったと思われ、ここでは延州の豊林県城(今の陝西省延安市宝塔区)にあった台を指すと思われる。ここならば無定河に比較的近く、笛の音が聞こえたであろう。『夢渓筆談』巻十一、官政一に「延州の故豊林県城は、赫連勃勃の築く所なり、今に至るも之を赫連城と謂う」(延州故豐林縣城、赫連勃勃所築、至今謂之赫連城)とある。ウィキソース「夢溪筆談/卷11」参照。
- 畔 … ほとり。
- 旅人情 … 旅人の故郷を思う気持ち。旅人のやるせない気持ち。
函關歸路千餘里
函関の帰路 千余里
- 函関 … 函谷関。戦国時代、秦が河南省霊宝県に置いた関所を旧関(故関)といい、漢の武帝が旧関を河南省新安県に移したものを新関という。長安と洛陽とを結ぶ交通の要地。ウィキペディア【函谷関】参照。
- 帰路 … 帰り道。
- 千余里 … 千里以上。千里あまり。
一夕秋風白髮生
一夕 秋風 白髪生ず
- 一夕 … ひと晩のうちに。一夜のうちに。
- 白髪生 … 俄かに白髪が生えた。
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