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漢宮詞(李商隠)

漢宮詞
漢(かん)宮(きゅう)詞(し)
李(り)商(しょう)隠(いん)
  • 七言絶句。囘・臺・杯(上平声灰韻)。
  • ウィキソース「全唐詩/卷539」「李義山詩集 (四部叢刊本)/卷第六」参照。
  • 詩題 … 漢の宮殿の詩(うた)の意。『三体詩』では「漢宮」に作る。
  • この詩は、漢の武帝(在位前141~前87)が神仙にあこがれ、不老不死を求めたことを詠んだもの。実は唐朝でも道教を国教化し、歴代の皇帝たちは晩年に不老長寿の術に迷った。ここでは、神仙を求め、丹薬により早逝した武宗(在位840~846)を暗に風刺していると思われる。会昌五年(845)の作。
  • 李商隠 … 813~858。晩唐の詩人。懐州河(か)内(だい)(河南省沁陽(しんよう)県)の人。字(あざな)は義山。号は玉(ぎょく)谿(けい)生(せい)。大和三年(829)、天平軍節度使だった令狐楚に才能を認められ、その幕下に入った。開成二年(837)、進士に及第。この年に令狐楚が死去し、令狐楚派と対立する王茂元の女婿となったため、両派閥の争いに巻き込まれ、官僚としては不遇のうちに終わった。杜牧・温(おん)庭筠(ていいん)と並んで晩唐期を代表する詩人。また四六駢儷文の名手でもあった。『李義山詩集』三巻などがある。ウィキペディア【李商隠】参照。
靑雀西飛竟未囘
青(せい)雀(じゃく) 西(にし)に飛(と)んで竟(つい)に未(いま)だ回(かえ)らず
  • 青雀 … 青い鳥。崑崙山に住む西王母という仙女の使者。『山海経』西山経に「又西二百二十里を、三危の山と曰う。三青鳥之に居る」(又西二百二十里、曰三危之山。三青鳥居之)とあり、郭璞(かくはく)の注に「三青鳥は西王母の為に食を取るを主(つかさど)る者。別に自ら此の山に棲息するなり」(三靑鳥主爲西王母取食者。別自棲息於此山也)とある。三青鳥は、三羽の青い鳥。ウィキソース「山海經 (四部叢刊本)/卷第二」参照。
  • 西飛竟未回 … 西の方へ飛び去ったまま、とうとう帰って来ない。ある年の七月七日、漢の武帝が承華殿でみそぎをしていたところ、そこへ青い鳥が西方から飛んで来て、西王母の訪問を予告した。間もなく西王母がやって来て、武帝と一夕の宴をともにした。武帝は不老不死の薬を所望したが西王母は与えず、去って行ったという故事を踏まえる。『漢武故事』に「王(おう)母(ぼ)使いを遣(つか)わし帝に謂いて曰く、七月七日我当に暫(しばら)く来(きた)るべし、と。帝、日至るや、宮内を掃(きよ)め、九華灯を然(も)やす。七月七日、上(しょう)は承華殿に於いて斎(ものい)みす。日(ひ)正(まさ)に中(ちゅう)するに、忽ち青鳥有り、西方より来りて、殿前に集まるを見る。上(しょう)は東方(とうほう)朔(さく)に問う。朔は対(こた)えて曰く、西王母、暮れに必ず尊像を降(くだ)さん。上(しょう)は宜しく灑掃(さいそう)し以て之を待つべし、と。……頃(しばら)く有りて、王(おう)母(ぼ)至(いた)る。……車を下(くだ)れば、上(しょう)迎えて拝し、母(ぼ)を延(ひ)きて坐(すわ)らしめ、不死の薬を請う。母(ぼ)曰く、……帝は滞(たい)情(じょう)遣(や)らず、欲心(よくしん)尚(な)お多し。不死の薬は、未だ致す可からざるなり、と。……母(ぼ)既に去り、上(しょう)は惆悵(ちゅうちょう)たること良(やや)久(ひさ)しうす」(王母遣使謂帝曰、七月七日我當暫來。帝至日、掃宮內、然九華燈。七月七日、上於承華殿齋。日正中、忽見有青鳥從西方來、集殿前。上問東方朔。朔對曰、西王母暮必降尊像。上宜灑掃以待之。……有頃、王母至。……下車、上迎拜、延母坐、請不死之藥。母曰、……帝滯情不遣、欲心尚多。不死之藥、未可致也。……母既去、上惆悵良久)とある。ウィキソース「漢武故事」参照。
君王長在集靈臺
君王(くんのう) 長(とこ)しえに集(しゅう)霊台(れいだい)に在(あ)り
  • 君王 … 漢の武帝を指す。
  • 長 … いつまでも。
  • 集霊台 … 武帝が西王母を迎えるために建てた宮殿の中の高台。集霊宮中の通天台のこと。陝西省華陰市、華山の北の山麓にあったという。唐代にも驪山の華清宮に同名の建物があった。『三輔黄図』甘泉宮の条に「集霊宮・集仙宮・存仙殿・存神殿・望仙台・望仙観は、倶に華陰県の界に在り、皆帝の宮観の名なり」(集靈宮、集仙宮、存仙殿、存神殿、望仙臺、望仙觀、俱在華陰縣界、皆帝宮觀名也)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之三」参照。
  • 在 … 待っておられる。
侍臣最有相如渇
侍(じ)臣(しん) 最(もっと)も相(しょう)如(じょ)の渇(かつ)有(あ)れども
  • 侍臣 … 侍従の臣下の中でも。
  • 最 … とりわけ。
  • 有相如渇 … 司馬相如などは、のどの渇(かわ)きの病にあれほど苦しんでいたというのに。
  • 相如 … 前漢の文人、司馬相如。前179~前117。成都(四川省)の人。字(あざな)は長(ちょう)卿(けい)。辞賦にすぐれ、武帝に召されて「上林の賦」などを作り、漢魏六朝時代の文人の模範となった。夫人は卓文君で駆け落ちの話は有名。ウィキペディア【司馬相如】参照。
  • 渇 … のどの渇(かわ)き。司馬相如は、いつも消(しょう)渇(かつ)(のどが渇き、尿が出にくくなる病気。糖尿病のようなもの)の病に苦しんでいたという。『史記』司馬相如伝に「相如、口、吃(きつ)にして善く書を著す。常に消(しょう)渇(かつ)の疾(やまい)有り」(相如口吃而善著書。常有消渇疾)とある。吃は、吃音。ウィキソース「史記/卷117」参照。
不賜金莖露一杯
金茎(きんけい)の露(つゆ)一杯(いっぱい)を賜(たまわ)らず
  • 金茎露 … 金茎は、漢の武帝が建章宮内に建てた承露盤(天から降る露を受ける盤)を支える銅製の柱。この承露盤で天界の露を集め、玉(ぎょく)の粉末と合わせて飲めば不老長生の効能があると信じられていた。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「仙(せん)掌(しょう)を抗(あ)げて以(もっ)て露(つゆ)を承(う)け、双立(そうりつ)せる金茎(きんけい)を擢(ぬ)く」(抗仙掌以承露、擢雙立之金莖)とある。ウィキソース「西都賦」参照。また『漢書』郊祀志に「其の後又た柏梁・銅柱・承露・仙人掌の属を作る」(其後又作柏梁、銅柱、承露、仙人掌之屬矣)とある。ウィキソース「漢書/卷025上」参照。顔師古注に「三輔故事に云く、建章宮の承露盤は、高さ二十丈、大いさ七囲、銅を以て之を為る。上に仙人掌有りて露を承け、玉(ぎょく)屑(せつ)に和して之を飲む」(三輔故事云、建章宮承露盤、高二十丈、大七圍、以銅爲之。上有仙人掌承露、和玉屑飮之)とある。玉屑は、玉を砕いた粉末。『漢書評林』巻二十五上(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 一杯 … 一杯さえも。一杯すら。
  • 不賜 … 賜ったことがない。下さらない。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻五百三十九(排印本、中華書局、1960年)
  • 『増註三体詩』巻一・七言絶句・用事(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)
  • 『唐李義山詩集』巻六(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『李義山詩集』巻上(朱鶴齢箋注/沈厚塽輯評、台湾学生書局)
  • 『玉谿生詩箋註』巻二(馮浩箋註、『四部備要 集部』所収、中華書局)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻二十八(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻五十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『唐詩別裁集』巻二十([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『才調集』巻六(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
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