清平調詞三首 其一(李白)
清平調詞三首 其一
清平調詞三首 其の一
清平調詞三首 其の一
- 七言絶句。容・濃・逢(平声冬韻)。
- ウィキソース「清平調 (雲想衣裳花想容)」参照。
- 詩題 … 『唐詩三百首』『楽府詩集』『唐詩別裁集』では「清平調三首 其一」に作る。
- 清平調 … 楽府題の一つ。清平調詞は、清平調という楽曲の歌詞。『楽府詩集』巻八十・近代曲辞に、李白のこの三首のみ採録されている。『新唐書』礼楽志に「凡そ所謂俗楽は、二十有八調、……正平調、高平調、……」(凡所謂俗樂者、二十有八調、……正平調、高平調、……)とあるが、この中に清平調はない。ウィキソース「新唐書/卷022」参照。また楽府の相和歌には清調・平調・瑟調があり、その清調と平調を合わせたものであるという。このように諸説あって、はっきりしない。
- この詩は、玄宗皇帝が楊貴妃と興慶宮の沈香亭で牡丹をながめて楽しんだとき、作者に命じて作らせたもの。楊貴妃の美しさを牡丹の花に喩えて詠んでいる。三首連作の第一首。安旗主編『新版 李白全集編年注釋』(巴蜀書社、2000年)によると、天宝二年(743)、四十三歳の作。『楊太真外伝』巻上(『説郛』巻一百十一)に「先に、開元中、禁中木芍薬を重んず。即ち今の牡丹なり。数本の紅紫・浅紅・通白なる者を得て、上は因りて移して興慶池の東の沈香亭前に植う。会〻花方に繁開す。上は照夜白に乗り、妃は歩輦を以て従う。詔して梨園の弟子中の尤れたる者を選び、楽十六色を得たり。李亀年は歌を以て一時の名を擅にす。手に擅板を捧げ、衆楽の前に押されて、将に之を歌わんと欲す。上曰く、名花を賞で、妃子に対するに、焉んぞ旧楽の詞を用いることを為さん、と。遽かに亀年に命じて金花箋を持ち、翰林学士李白に宣賜して、立ちどころに清平楽の詞三篇を進ぜしむ。旨を承くるに、猶お宿酲に苦しむも、因りて筆を援りて之を賦す。……亀年は詞を捧じて進め、上は梨園の弟子に命じて略〻詞調を約し、糸竹を撫せしめ、遂に亀年を促して以て歌わしむ。妃は玻璃の七宝の杯を持ち、西涼州の葡萄酒を酌みて、笑みて歌を領け、意甚だ厚し。上因りて玉笛を調べて以て曲に倚る。曲遍くして将に換えんとする毎に、則ち其の声を遅ちて以て之に媚ぶ。妃は飲み罷わりて、繡巾を斂めて再拝す。上は是より李翰林を顧みること尤も他の学士に異る」(先、開元中、禁中重木芍藥。即今牡丹。得數本紅紫淺紅通白者、上因移植於興慶池東沉香亭前。會花方繁開。上乘照夜白、妃以歩輦從。詔選梨園弟子中尤者、得樂十六色。李龜年以歌擅一時之名。手捧擅板、押衆樂前、將欲歌之。上曰、賞名花、對妃子、焉用舊樂詞爲。遽命龜年持金花箋、宣賜翰林學士李白、立進清平樂詞三篇。承旨、猶苦宿酲、因援筆賦之。……龜年捧詞進、上命梨園弟子略約詞調、撫絲竹、遂促龜年以歌。妃持玻璃七寶杯、酌西涼州葡萄酒、笑領歌、意甚厚。上因調玉笛以倚曲。每曲遍將換、則遲其聲以媚之。妃飲罷、斂繡巾再拜。上自是顧李翰林尤異於他學士)とある。ウィキソース「楊太真外傳」参照。また『太平広記』巻二百四、李亀年の条に引く『松窗録』にも、ほぼ同等の記述がある。ウィキソース「太平廣記/卷第204」参照。
- 李白 … 701~762。盛唐の詩人。字は太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林供奉(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
雲想衣裳花想容
雲には衣裳を想い 花には容を想う
春風拂檻露華濃
春風 檻を払って 露華濃やかなり
- 檻 … 檻。手すり。欄檻(欄干)。
- 払 … 春風が手すりを吹き払う。
- 露華 … 露の美称。露の光。「華」は抽象的なものを指し、「花」は具体的な花を指す。従って露に濡れた花なら「露花」という。詳しくは、松浦友久編訳『李白詩選』(岩波文庫、1997年)の補注〔11〕(342~343頁)参照。梁の江淹の「惜晩春応劉秘書」(『古詩紀』巻八十五)に「風光は樹色に多く、露華は蕙の陰に翻る」(風光多樹色、露華翻蕙陰)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷085」参照。
- 濃 … 露がしっとりと濡れたさま。『詩経』小雅・蓼蕭の詩に「蓼たる彼の蕭は、零露濃濃たり」(蓼彼蕭斯、零露濃濃)とある。斯は、詩のリズムを整える助辞。ウィキソース「詩經/蓼蕭」参照。
若非羣玉山頭見
若し群玉山頭に見るに非ずんば
- 若非~見 … もし~でお目にかかるのでなければ。
- 群玉山 … 西方にあるという伝説上の山。西王母という美人の仙女が住んでいたという。ここでは美人の仙女を貴妃に喩えている。『穆天子伝』に「辛卯、天子北に征き、東に還り、乃ち黒水に循う。癸巳、群玉の山に至る」(辛卯、天子北征、東還、乃循黑水。癸巳、至於群玉之山)とあり、その郭璞の注に「即ち山海経の玉山なり。西王母の居る所の者なり」(即山海經玉山。西王母所居者)とある。ウィキソース「穆天子傳/卷二」参照。
- 頭 … ほとり。
會向瑤臺月下逢
会ず瑶台月下に向いて逢わん
- 会 … きっと。『全唐詩』『宋本』『繆本』『郭本』『許本』『劉本』『王本』『唐詩別裁集』では「㑹」に作る。異体字。
- 瑶台 … 玉で作られた台。美しい仙女の住むところ。ここでも美人の仙女を貴妃に喩えている。『楚辞』屈原の「離騒」に「瑶台の偃蹇たるを望み、有娀の佚女を見る」(望瑤臺之偃蹇兮、見有娀之佚女)とある。偃蹇は、高くうねり続く建物の形容。有娀は、古代の部族名。佚女は、美女。ウィキソース「楚辭/離騷」参照。また『太平御覧』に引く『登真隠訣』に「崑崙の瑶台は是れ西母の宮なり。所謂西瑶上台にして、天真の秘文は尽く其の中に在り」(崑崙瑤臺是西母之宮。所謂西瑤上臺、天眞祕文盡在其中矣)とある。ウィキソース「太平御覽/0660」参照。また『拾遺記』巻十、崑崙山の条に「第九層、山の形は漸く小狭にして、下に芝田・蕙圃有り、皆な数百頃。群仙、焉に種耨す。傍らに瑶台十二有り。各〻広さ千歩、皆な五色の玉もて台基と為す」(第九層、山形漸小狹、下有芝田蕙圃、皆数百頃。群仙種耨焉。傍有瑤臺十二。各廣千歩、皆五色玉爲臺基)とある。芝田は、仙人が芝草を植えた所。蕙圃は、香草の畑。頃は、田畑の広さをはかる単位。一頃は百畝。種耨は、農作業をすること。ウィキソース「拾遺記/卷十」参照。
- 月下 … 月明かりの下で。月の光の下で。
- 向 … 「於」に同じ。
- 逢 … お逢いするに違いない。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『唐詩三百首注疏』巻六下(廣文書局、1980年)
- 『全唐詩』巻一百六十四(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『楽府詩集』巻八十・近代曲辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)
- 『李太白文集』巻五(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
- 『李太白文集』巻五(繆曰芑重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
- 『分類補註李太白詩』巻五(蕭士贇補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
- 『分類補註李太白詩』巻五(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
- 『分類補註李太白詩』巻五(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:許本)
- 『李翰林集』巻五(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
- 『李太白全集』巻五(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
- 『万首唐人絶句』七言・巻五十九(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
- 『唐詩品彙』巻四十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻二十(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、54頁)
- 『唐詩解』巻二十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
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