>   漢詩   >   唐詩選   >   巻六 五絶   >   洛陽道(儲光羲)

洛陽道(儲光羲)

洛陽道
洛陽道らくようどう
ちょこう
  • ウィキソース「洛陽道五首獻呂四郎中 (大道直如髮)」参照。
  • この詩は、洛陽の繁華な様子、および五陵に住む貴公子たちのきょうしゃなさまを詠んだもの。
  • 詩題 … 洛陽道は、楽府題。横吹おうすい曲(馬上で奏する軍中の楽曲)に属する。『万首唐人絶句』では「洛陽道五首其二」に作る。『唐詩品彙』では「洛陽道四首其二」に作る。『全唐詩』『唐五十家詩集本』では「洛陽道五首、りょろうちゅうけんず 其の三」(洛陽道五首獻呂四郎中 其三)に作る。呂は姓。一説にりょきょうあざなは子回。けい州(現在の甘粛省涇川県)の人。『文選』五臣注を作った五人の中の一人。ウィキペディア【呂向】参照。四は、排行(一族中の兄弟やいとこなどの年齢による序列)。郎中は、官名。周代は近侍の通称。隋・唐代以後、尚書省のりくがそれぞれ四司に分かれ、その各司の長。
  • 儲光羲 … 707~763。盛唐の詩人。えんしゅう(山東省)の人。開元十四年(726)、進士に及第。監察御史となったが、安禄山の乱で反乱軍にとらえられ、その軍に仕えた。乱の平定後、嶺南に流されて死んだ。ウィキペディア【儲光羲】参照。
大道直如髮
大道だいどう なおきことかみごと
  • 大道 … 洛陽の大通り。洛陽の都大路。皇城の南正門「端門たんもん」から洛水にかかる天津橋を渡り、外郭の南正門「定鼎門ていていもん」までの一直線上の道を指す。この大通りは全長約4.2キロメートル(七里余り)ある。『唐両京城坊攷』巻五、東京、外郭城の注に「端門より定鼎門に至る七里一百三十七歩、隋の時に桜桃おうとう石榴ざくろにれ・柳をう。中は御道ぎょどうを為す。泉を通じきょを流す。今、えんじゅ・柳等の両行をまじえ植う」(自端門至定鼎門七里一百三十七歩、隋時種櫻桃、石榴、楡、柳。中爲御道。通泉流渠。今雜植槐、柳等樹兩行)とある。御道は、天子が通行する道路。両行は、両列。ウィキソース「唐兩京城坊考/05」参照。また、南朝梁の元帝の楽府「洛陽道」(『楽府詩集』巻二十三)に「洛陽大道を開き、城北より城西に達す」(洛陽開大道、城北達城西)とある。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。また、北周の王褒おうほうの楽府「古曲」(『楽府詩集』巻七十七、『文苑英華』巻二百七)に「青楼は大道に臨み、遊俠はことごとえんりゅうす」(靑樓臨大道、遊俠盡淹留)とある。青楼は、遊女のいる所。淹留は、一か所に長い間留まること。ウィキソース「樂府詩集/077卷」参照。
  • 直如髪 … 髪の毛のようにまっすぐだ。『詩経』小雅・じんに「の君子のじょ綢直ちゅうちょくなること髪の如し」(彼君子女、綢直如髮)とある。都人士は、都の役人。綢直は、心がこまやかで正直なさま。ウィキソース「詩經/都人士」参照。また、劉宋の鮑照の楽府「君子思う所有りにだいす」(『文選』巻三十一、『楽府詩集』巻六十一)に「層閣そうかく天居てんきょしゅくたり、どうは直きこと髪の如し」(層閣肅天居、馳道直如髮)とある。馳道は、天子の歩く道。ウィキソース「代君子有所思 (鮑照)」参照。
春日佳氣多
しゅんじつ 佳気かきおお
  • 春日 … のどかな春の日。『詩経』豳風ひんぷう・七月に「春日すなわあたたかく、鳴く倉庚そうこう有り」(春日載陽、有鳴倉庚)とある。倉庚は、うぐいす。ウィキソース「詩經/七月」参照。
  • 佳気 … うららかな気。なごやかな気。『後漢書』光武帝紀下に「いかな。鬱鬱うつうつ葱葱然そうそうぜんたり」(氣佳哉。鬱鬱葱葱然)とある。ウィキソース「後漢書/卷1下」参照。
  • 多 … 満ちている。満ちあふれている。
五陵貴公子
りょうこう
  • 五陵 … 五陵付近の地。五陵は、長安北郊の地名。漢の高祖(長陵)・恵帝(安陵)・景帝(陽陵)・武帝(茂陵)・昭帝(平陵)の陵墓があった。この付近には富豪や貴族の別荘があり、遊楽の地でもあったので遊俠の徒が多く集まっていた。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「南に杜覇とはを望み、北に五陵をながむ」(南望杜霸、北眺五陵)とあり、その李善注に「漢書に曰く、宣帝は杜陵にほうむり、文帝は覇陵に葬り、高帝は長陵に葬り、恵帝は安陵に葬り、景帝は陽陵に葬り、武帝は茂陵に葬り、昭帝は平陵に葬る、と」(漢書曰、宣帝葬杜陵、文帝葬霸陵、高帝葬長陵、惠帝葬安陵、景帝葬陽陵、武帝葬茂陵、昭帝葬平陵)とある。杜覇は、杜陵と覇陵。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
  • 貴公子 … 身分の高い家柄の若者。貴族の子弟の美称。『史記』趙奢伝に「しゃ因りて説きて曰く、君はちょうに於いて貴公子たり、と」(奢因說曰、君於趙爲貴公子)とある。ウィキソース「史記/卷081」参照。
雙雙鳴玉珂
双双そうそう ぎょくらす
  • 双双 … 二人ずつ。二人ずつ連れ立って。二人ずつ馬を並べて。東晋の陶潜「擬古九首」詩(『陶淵明集』巻四)の第三首に「翩翩へんぺんたり新来のつばめ、双双として我がに入る」(翩翩新來燕、雙雙入我廬)とある。翩翩は、ひらひらと飛ぶこと。廬は、粗末な小さい家。いおり。ウィキソース「陶淵明集/卷四」参照。
  • 玉珂 … くつわ貝で作った馬のくつわにつける玉の飾り。くつわ貝は、南海に産する白色の貝で、その殻を用いる。触れ合って音を発する。『説文解字』巻一上、玉部に「珂は、玉なり」(珂、玉也)とある。ウィキソース「說文解字/01」参照。また『玉篇』巻一、玉部に「珂は、石のぎょくに次ぐものなり。亦たのう絜白けっぱくなること雪の如き者なり。一に云う、の属なり。海中に生ず」(珂、石次玉也。亦碼碯、絜白如雪者。一云、螺屬也。生海中)とある。ウィキソース「玉篇 (四庫全書本)/卷01」参照。また、南朝梁の元帝の楽府「洛陽道」(『楽府詩集』巻二十三)に「玉珂 せんに鳴り、金爪きんそう とうじょうの鶏」(玉珂鳴戰馬、金爪鬪場雞)とある。戦馬は、軍馬。金爪は、金属をかぶせた雄鶏おんどりづめ。闘場は、戦場。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。また、西晋の張華の楽府「軽薄篇」(『楽府詩集』巻六十七)に「文軒ぶんけんがいて、馬に乗りて玉珂を鳴らす」(文軒樹羽蓋、乘馬鳴玉珂)とある。文軒は、飾った車。羽蓋は、車のおおいに翡翠を用いたもの。王侯の車に用いた。ウィキソース「樂府詩集/067卷」参照。また、南朝陳の後主の楽府「りゅう二首」(『楽府詩集』巻二十四)の第一首に「玉珂 広路に鳴り、金絡きんらく しん耀かがやく」(玉珂鳴廣路、金絡耀晨輝)とある。金絡は、黄金で作った面懸おもがい(馬の頭の上からくつわにかけて飾りにする紐)。晨輝は、朝日の光。ウィキソース「樂府詩集/024卷」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 多・珂(下平声歌韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百三十九(排印本、中華書局、1960年)※詩題:洛陽道五首獻呂四郎中
  • 『儲光羲集』巻五(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)※詩題:洛陽道五首獻呂四郎中
  • 『唐詩解』巻二十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻八(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩品彙』巻四十([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行