洛陽道(儲光羲)
洛陽道
洛陽道
洛陽道
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻六、『全唐詩』巻一百三十九、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻三(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『儲光羲集』巻五(『唐五十家詩集』所収)、『唐詩品彙』巻四十、他
- 五言絶句。多・珂(平声歌韻)。
- ウィキソース「洛陽道五首獻呂四郎中 (大道直如髮)」参照。
- 詩題 … 『万首唐人絶句』では「洛陽道五首 其二」に作る。『唐詩品彙』では「洛陽道四首 其二」に作る。『全唐詩』『唐五十家詩集本』では「洛陽道五首、呂四郎中に献ず 其の三」(洛陽道五首獻呂四郎中 其三)に作る。呂は姓。一説に呂向。字は子回。涇州(今の甘粛省涇川県)の人。『文選』五臣注を作った五人の中の一人。ウィキペディア【呂向】参照。四は排行(一族中の兄弟やいとこなどの年齢による序列)。郎中は官名。周代は近侍の通称。隋唐代以後、尚書省の六部がそれぞれ四司に分かれ、その各司の長。
- 洛陽道 … 楽府題。横吹曲(馬上で奏する軍中の楽曲)に属する。
- この詩は、洛陽の繁華な様子を詠んだもの。
- 儲光羲 … 707~763。盛唐の詩人。兗州(山東省)の人。開元十四年(726)、進士に及第。監察御史となったが、安禄山の乱で反乱軍にとらえられ、その軍に仕えた。乱の平定後、嶺南に流されて死んだ。ウィキペディア【儲光羲】参照。
大道直如髮
大道 直きこと髪の如く
- 大道 … 洛陽の大通り。洛陽の都大路。梁の元帝の「洛陽道」(『楽府詩集』巻二十三)に「洛陽大道を開き、城北より城西に達す」(洛陽開大道、城北達城西)とある。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。
- 直如髪 … 髪の毛のようにまっすぐだ。『詩経』小雅・都人士の詩に「彼の君子の女、綢直なること髪の如し」(彼君子女、綢直如髮)とある。綢直は、心がこまやかで正直なさま。ウィキソース「詩經/都人士」参照。また、鮑照の「君子思う所有りに代す」(代君子有所思)(『文選』巻三十一、『楽府詩集』巻六十一)に「層閣は天居に粛たり、馳道は直きこと髪の如し」(層閣肅天居、馳道直如髮)とある。馳道は、天子の歩く道。ウィキソース「代君子有所思 (鮑照)」参照。
春日佳氣多
春日 佳気多し
- 春日 … のどかな春の日。
- 佳気 … うららかな気。なごやかな気。『後漢書』光武帝紀下に「気佳いかな。鬱鬱葱葱然たり」(氣佳哉。鬱鬱葱葱然)とある。ウィキソース「後漢書/卷1下」参照。
- 多 … 満ちている。満ち溢れている。
五陵貴公子
五陵の貴公子
- 五陵 … 五陵付近の地。五陵は、長安北郊の地名。漢の高祖(長陵)・恵帝(安陵)・景帝(陽陵)・武帝(茂陵)・昭帝(平陵)の陵墓があった。この付近には富豪や貴族の別荘があり、遊楽の地でもあったので遊俠の徒が多く集まっていた。
- 貴公子 … 身分の高い家柄の若者。貴族の子弟の美称。『史記』趙奢伝に「奢因りて説きて曰く、君は趙に於いて貴公子たり」(奢因說曰、君於趙爲貴公子)とある。ウィキソース「史記/卷081」参照。
雙雙鳴玉珂
双双 玉珂を鳴らす
- 双双 … 二人ずつ。二人ずつ連れ立って。二人ずつ馬を並べて。
- 玉珂 … 馬の轡につける玉の飾り。触れ合って音を発する。晋の張華「軽薄篇」(『楽府詩集』巻六十七)に「文軒羽蓋を樹て、馬に乗りて玉珂を鳴らす」(文軒樹羽蓋、乘馬鳴玉珂)とある。文軒は、飾った車。羽蓋は、車のおおいに翡翠を用いたもの。王侯の車に用いた。ウィキソース「樂府詩集/067卷」参照。
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