春江花月夜(張若虚)
春江花月夜
春江花月の夜
春江花月の夜
- 七言古詩。
- ウィキソース「春江花月夜 (張若虛)」参照。
- 春江花月夜 … 楽府題の一つ。『楽府詩集』巻四十七・清商曲辞・呉声歌曲に属する。陳の後主陳叔宝が最初に作った歌曲であるが、現存していない。『旧唐書』音楽志に「春江花月夜・玉樹後庭花・堂堂は、並びに陳の後主の作る所なり。叔宝、常に宮中の女学士及び朝臣と相和して詩を為る。太楽令何胥、又文詠を善くし、其の尤も艶麗の者を採りて以て此の曲を為る」(春江花月夜、玉樹後庭花、堂堂、並陳後主所作。叔寶常與宮中女學士及朝臣相和爲詩。太樂令何胥又善於文詠、採其尤豔麗者以爲此曲)とある。ウィキソース「舊唐書/卷29」参照。
- 春江 … 春の川辺。春の長江。
- この詩は、春の川辺に花が咲き、明月の照りわたる夜景を詠んだもの。
- 張若虚 … 660?~720?。初唐の詩人。揚州(江蘇省揚州市)の人。官は兗州(山東省)の兵曹(兵事をつかさどる下級官吏)で終わった。賀知章・張旭・包融とともに「呉中の四士」と称された。現在に伝わる詩はわずか二首のみ。『唐詩選』ではこの一首を収録。ウィキペディア【张若虚】(中文)参照。
1
- 逐解換韻格(四句を一解といい、その一解ごとに換韻すること)。
- 平・生・明(平声庚韻)。
01 春江潮水連海平
春江の潮水 海に連なって平らかなり
- 春江 … 春の長江。南朝宋の顔延年の「車駕京口に幸せしとき、侍して蒜山に遊ぶの作」(『文選』巻二十二)に「春江には風濤壮んにして、蘭野には稊英茂る」(春江壯風濤、蘭野茂稊英)とある。風濤は、風が吹いて波がたつこと。稊英は、芽ばえ。ウィキソース「車駕幸京口侍遊蒜山作」参照。
- 潮水 … 満ちあふれる潮。『楚辞』九章の「悲回風」に「霜雪の倶に下るを悲しみ、潮水の相撃つを聴く」(悲霜雪之倶下兮、聴潮水之相撃)とある。ウィキソース「楚辭/九章」参照。また隋の煬帝「春江花月の夜二首 其の一」(『楽府詩集』巻四十七・清商曲辞・呉声歌曲)に「暮江平らかにして動かず、春花満ちて正に開く。流波は月と将に去り、潮水は星を帯びて来たる」(暮江平不動、春花滿正開。流波將月去、潮水帶星來)とある。ウィキソース「樂府詩集/047卷」参照。
- 連海平 … はるか大海原へと平らに続いている。
02 海上明月共潮生
海上の明月 潮と共に生ず
- 海上 … 大海原の上に。
- 明月 … 明るく輝く月。
- 共潮生 … 満ち潮とともに昇ってくる。『太平御覧』に引く『抱朴子』に「月の精、水より生ず。是を以て月盛んにして潮濤大なり」(月之精生水。是以月盛而潮濤大)とある。ウィキソース「太平御覽/0004」参照。
03 灩灩隨波千萬里
灩灩として波に随う 千万里
- 灩灩 … 月の光が水に映ってきらめくさま。『唐詩選』『古今詩刪』では「灔灔」に作る。異体字。南朝梁の何遜「新月を望んで同羈に示す」(『古詩紀』巻九十四)に「的的と沙と与に静かにして、灔灔として波を逐って軽し」(的的與沙靜、灔灔逐波輕)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷094」参照。
- 随波 … 波のまにまに広がってゆく。『晋書』束皙伝に「故に逸詩に云う、羽觴波に随う、と」(故逸詩云、羽觴隨波)とある。羽觴は、雀が翼を広げた形に作った酒杯。ウィキソース「晉書/卷051」参照。
- 千万里 … 千里万里の彼方まで。
- 里 … 『全唐詩』には「一作頃」とある。
04 何處春江無月明
何れの処か 春江 月明無からん
- 何処春江無月明 … この春の川のどこに、月の光が輝かないところなどあるのだろうか。
- 月明 … 明るい月の光。
2
- 甸・霰・見(去声霰韻)。
05 江流宛轉遶芳甸
江流 宛転として芳甸を遶り
- 江流 … 川の流れ。『楚辞』七諫の「怨世」に「願わくは自ら江流に沈み、横流を絶りて径ちに逝かん」(願自沈於江流兮、絕横流而徑逝)とある。ウィキソース「楚辭/七諫」参照。
- 宛転 … ゆるやかに曲がりくねっているさま。隋の煬帝「四時白紵歌」の「東宮の春」(『楽府詩集』巻四十七・清商曲辞・呉声歌曲)に「小苑花紅にして洛水緑なり、清歌宛転として繁弦促す」(小苑花紅洛水綠、清歌宛轉繁弦促)とある。繁弦は、弦楽器の調子が激しく急であること。ウィキソース「樂府詩集/056卷」参照。
- 芳甸 … 芳しい花の咲いている春の野原。甸は、郊外。または近郊の田園。南朝斉の謝朓の「晩に三山に登り、京邑を還望す」(『文選』巻二十七)に「喧鳥は春洲を覆い、雑英は芳甸に満つ」(喧鳥覆春洲、雜英滿芳甸)とある。雑英は、種々の花。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
- 遶 … めぐって流れる。
06 月照花林皆似霰
月は花林を照らして 皆霰に似たり
- 花林 … 花咲く林。北周の庾信「趙王に和し奉る」(『古詩紀』巻一百二十八)に「花逕日相携え、花林鳥未だ棲まず」(花逕日相携、花林鳥未棲)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷128」参照。
- 似霰 … 木々に咲く花が月光に照らされて白く光る様子を、霰に似ていると表現したもの。柳惲「鼓吹曲二首」の「其の一 独り見ず」(『玉台新詠』巻五)に「芳草生じて未だ積まず、春花落ちて霰の如し」(芳草生未積、春花落如霰)とある。ウィキソース「獨不見 (柳惲)」参照。
07 空裏流霜不覺飛
空裏の流霜 飛ぶを覚えず
- 空裏 … 空中。
- 流霜 … 空中を流れ飛ぶ霜の気。西晋の張協の「七命」(『文選』巻三十五)に「奔沙を越え、流霜を輾り、扶揺の風を凌ぎ、堅氷の津を躡む」(越奔沙、輾流霜、凌扶搖之風、躡堅冰之津)とあり、その注に「流は、猶お飛ぶのごとし」(流、猶飛也)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四部叢刊本)/卷第三十五」参照。
- 不覚飛 … 明るい月の光によって、霜の気が飛んでいることに気づかない。
08 汀上白沙看不見
汀上の白沙 看れども見えず
- 汀上 … 渚。水際。
- 汀 … 『唐詩解』では「江」に作る。
- 白沙 … 白砂。白い砂。『史記』三王世家に「白沙、泥の中に在れば、之と与に皆黒しとは、土地教化、之をして然らしむるなり」(白沙在泥中、與之皆黑者、土地敎化使之然也)とある。ウィキソース「史記/卷060」参照。
- 看不見 … 月の光の白さにまぎれて、見ても見分けがつかない。
3
- 塵・輪・人(平声真韻)。
09 江天一色無纖塵
江天一色 繊塵無し
- 江天 … 川と空。南朝宋の謝荘の「侍して蒜山に宴す」(『古詩紀』巻五十六)に「霧罷んで江天分かつ」(霧罷江天分)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷056」参照。
- 一色 … 白一色に澄みわたる。梁の武帝の「臨高台」(『玉台新詠』巻七)に「草樹参差たる無く、山河同じく一色」(草樹無參差、山河同一色)とある。参差は、ばらばらで不揃いな様子。ウィキソース「臨高臺 (蕭衍)」参照。
- 繊塵 … こまかい塵。『初学記』に引く劉瑾の「甘樹賦」に「繊塵を滌って以て素を開く」(滌纖塵以開素)とある。ウィキソース「初學記/卷第二十八」参照。
10 皎皎空中孤月輪
皎皎たり 空中の孤月輪
- 皎皎 … 白く輝くさま。「きょうきょう」と読んでもよい。畳語(重言)。『詩経』陳風・月出の詩に「月出でて皎たり、佼人僚たり、舒ろに窈糾たり、労心悄たり」(月出皎兮、佼人僚兮、舒窈糾兮、勞心悄兮)とある。佼人は、美しい女。ウィキソース「詩經/月出」参照。その毛伝に「皎は、月光なり」(皎、月光也)とある。ウィキソース「毛詩正義/卷七」参照。また「古詩十九首」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻一)の第十九首に「明月何ぞ皎皎たる、我が羅の牀幃を照らす」(明月何皎皎、照我羅牀幃)とある。羅は、薄い絹織物。うすぎぬ。牀幃は、寝床のとばり。ウィキソース「明月何皎皎」参照。
- 空中 … 空の中。『列子』天瑞篇に「夫れ天地は空中の一細物、有中の最も巨きなる者なり」(夫天地空中之一細物、有中之最巨者)とある。ウィキソース「列子/天瑞篇」参照。
- 孤月輪 … たった一つの丸い月。梁の武帝の「蘇属国の婦に代わる」(『玉台新詠』巻七)に「愴愴たり独涼の枕、搔搔たり孤月の帷」(愴愴獨涼枕、搔搔孤月帷)とある。帷は、とばり。ウィキソース「代蘇屬國婦」参照。
11 江畔何人初見月
江畔 何人か初めて月を見る
- 江畔 … この川のほとり。
- 何人初見月 … はじめてこの月を見たのは誰だったのであろう。
12 江月何年初照人
江月 何れの年か初めて人を照らす
- 江月 … 川辺の月。川面を照らす月。
- 何年初照人 … 初めて人を照らしたのは、いったい何時のことだったのだろう。
4
- 已・似・水(上声紙韻)。
13 人生代代無窮已
人生 代代 窮まり已むこと無く
14 江月年年祗相似
江月 年年 祗だ相似たり
- 年年 … 毎年毎年。
- 祗 … ただ。『唐詩選』『楽府詩集』『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』では「望」に作る。
- 相似 … 全く同じ姿を繰り返す。
15 不知江月待何人
知らず 江月 何人をか待つ
- 不知江月待何人 … 月はいったい誰を待っているのだろう。
- 待 … 『唐詩選』『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』では「照」に作る。
16 但見長江送流水
但だ見る 長江の流水を送るを
- 但見 … ただ目に入るものは。
- 長江送流水 … 長江が流れる水を絶えず送り続けている姿だけである。阮籍「詠懐詩十七首 其の十七」(『文選』巻二十三)に「湛湛たる長江の水、上に楓樹の林有り」(湛湛長江水、上有楓樹林)とある。ウィキソース「詠懷詩 (湛湛長江水)」参照。
- 長江 … 中国中部を東西に流れる同国最大の川。下流部を揚子江という。長江全域を指して揚子江と呼ぶのは、我が国はじめ国際的な通称。ウィキペディア【長江】参照。
5
- 悠・愁・樓(平声尤韻)。
17 白雲一片去悠悠
白雲一片 去って悠悠
18 靑楓浦上不勝愁
青楓浦上 愁いに勝えず
- 青楓 … 青々とした楓。
- 浦上 … 入り江のほとり。浦は、入り江。
- 不勝愁 … 愁いに堪えきれない。堪え難い愁いを抱く。
- 不勝 … 堪えきれない。こらえきれない。
- 勝 … 『唐詩選』では「堪」に作る。同義。
19 誰家今夜扁舟子
誰が家ぞ 今夜 扁舟の子
20 何處相思明月樓
何れの処か 相思う 明月の楼
- 何処思明月楼 … この旅の若者を慕う女性が住む明月に照らされた高殿は、どこにあるのか。
- 何処 … どこにあるのか。
- 相思 … 相手のことを恋い慕う。
- 相 … ここでは「互いに」という意味ではなく、動作に対象があることを示す言葉。
- 明月楼 … 明月に照らされた高楼。魏の曹植の「七哀の詩」(『文選』巻二十三)に「明月高楼を照らし、流光正に徘徊す。上に愁思の婦有り、悲歎して余哀有り」(明月照高樓、流光正徘徊。上有愁思婦、悲歎有餘哀)とあるのを踏まえる。ウィキソース「七哀詩 (曹子建)」参照。
6
- 徊・臺・來(平声灰韻)。
21 可憐樓上月徘徊
憐れむ可し 楼上 月徘徊し
22 應照離人粧鏡臺
応に照らすべし 離人の粧鏡台
- 応照 … きっと照らしているに違いない。
- 離人 … 遠く離れている人。ここでは夫と離れて暮らす妻を指す。梁の元帝「春別令に応ず四首 其の四」(『玉台新詠』巻九)に「若し月光をして近遠無からしめば、応に照らすべし離人今夜啼くを」(若使月光無近遠、應照離人今夜啼)とある。ウィキソース「春別應令」参照。また虞炎の「餞謝文学離夜」(『古詩紀』巻七十二)に「離人悵しみて東に顧み、遊子愴しみて西に帰く」(離人悵東顧、遊子愴西歸)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷072」参照。
- 粧鏡台 … 化粧をする鏡台。化粧台。『太平御覧』に引く魏武『上雑物疏』に「鏡台は、魏の宮中より出ず」(鏡臺、出魏宮中)とある。ウィキソース「太平御覽 (四庫全書本)/卷0717」参照。また南朝斉の謝朓「雑詠五首」の「其の四 鏡台」(『玉台新詠』巻四)に「粉を照らして紅妝を払い、花を挿んで雲髪を理む」(照粉拂紅妝、插花理雲髮)とある。紅妝は、あでやかな化粧のこと。雲髪は、美しい豊かな髪。ウィキソース「鏡臺」参照。
- 粧 … 『全唐詩』では「妝」に作り、「一作玉」とある。「妝」は「粧」と同義。『楽府詩集』『唐詩別裁集』『古今詩刪』『唐詩解』でも「妝」に作る。
23 玉戶簾中卷不去
玉戸 簾中 巻けども去らず
- 玉戸 … 玉で飾った扉。装飾を施した戸口。揚雄の「甘泉の賦」(『文選』巻七)に「玉戸を排きて金鋪を颺ぐ」(排玉戶而颺金鋪)とある。ウィキソース「甘泉賦」参照。
- 玉 … 『全唐詩』には「一作遮」とある。
- 簾中 … 扉に垂らした簾の中。
- 巻不去 … 簾を巻き上げて月の光もいっしょに巻き込めようとするが、月の光は去らない。
24 擣衣砧上拂還來
擣衣の砧上 払えども還た来る
- 擣衣砧上 … 織った布を柔らかくして光沢を出すため、砧の上に置いて棒で打つこと。擣は、棒で隅々まで叩くこと。砧は、布を打つときに下に敷く木や石の台。北周の庾信「趙王の看妓に和す」(『古詩紀』巻一百二十八)に「長く思う浣紗の石、空しく想う搗衣の砧」(長思浣紗石、空憶搗衣砧)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷128」参照。
- 擣 … 『古今詩刪』では「搗」に作る。同義。
- 払還来 … 払っても払っても、月影はまた差し込んで来る。
7
- 聞・君・文(平声文韻)。
25 此時相望不相聞
此の時 相望めども相聞えず
- 此時 … 今この時。
- 相望 … お互いに月を眺めて相手のことを思い慕っても。
- 不相聞 … お互いに便りを交わす術もない。『老子』八十章に「隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民は老死に至るまで、相往来せず」(鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死、不相往來)とある。ウィキソース「老子河上公章句/德經」参照。
26 願逐月華流照君
願わくは月華を逐いて流れて君を照らさん
- 願逐月華流照君 … できることなら月の光を追い、ともに流れていって、君を照らしたい。
- 願 … 「ねがわくは~ん」と読み、「願うところは」「できることなら」「どうか~したい」と訳す。自らの願望の意を示す。魏の曹植の「雑詩六首 其の三」(『文選』巻二十九)に「願わくは南流の景と為り、光を馳せて我が君を見えん」(願爲南流景、馳光見我君)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。また南朝梁の呉均の「柳惲と相贈答する六首 其の三」(『玉台新詠』巻六)に「願わくは春風を逐うて去り、飄蕩として遼西に至らん」(願逐春風去、飄蕩至遼西)とある。ウィキソース「與柳惲相贈答」参照。
- 月華 … 月。または月の光。梁の元帝の「烏棲曲四首」(『玉台新詠』巻九・宋版不収)の第一首に「共に江干に泛べて月華を瞻ん」(共泛江干瞻月華)とあり、第二首に「月華は碧に似て星は珮の如し」(月華似碧星如珮)とある。ウィキソース「烏棲曲 (蕭繹)」参照。また南朝梁の江淹「雑体詩」の「王徴君(疾を養う)微」(『文選』巻三十一)に「清陰の往来すること遠く、月華は前墀に散ず」(清陰往來遠、月華散前墀)とある。前墀は、前の階段。ウィキソース「王徵君養疾」参照。また南朝梁の沈約「雑詠五首」の「其の三 月を詠む」(『玉台新詠』巻五、『文選』巻三十では「王中丞思遠が月を詠ずるに応ず」に作る)に「月華静夜に臨み、夜静かにして氛埃滅す」(月華臨靜夜、夜靜滅氛埃)とある。ウィキソース「詠月 (沈約)」参照。
27 鴻雁長飛光不度
鴻雁 長く飛んで 光度らず
28 魚龍潛躍水成文
魚竜 潜躍して 水 文を成す
- 魚竜 … 魚と竜。広く水中に棲息する動物をいう。ここでは特に鯉魚が手紙を届けてくれるものとして歌われる。漢代の楽府「飲馬長城窟行」(『文選』巻二十七、『楽府詩集』巻三十八・相和歌辞・瑟調曲)に「児を呼びて鯉魚を烹るに、中に尺素の書有り」(呼兒烹鯉魚、中有尺素書)とある。尺素書は、一尺ばかりの白絹に書いた手紙。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
- 潜躍 … 潜ったり跳ねたりすること。または水中深い所で跳ねること。三国魏の嵇康の「秀才の軍に入るに贈る五首 其の三」(『文選』巻二十四)に「魚竜は瀺灂し、山鳥は群飛す」(魚龍瀺灂、山鳥群飛)とある。瀺灂は、出没して遊泳すること。ウィキソース「贈秀才入軍五首」参照。
- 水成文 … 水面に波紋が広がるばかり(手紙を届けてくれない)。文は、ここでは波紋の意であるが、手紙の意にも掛けている。庾丹の「秋閨に望む有り」(『玉台新詠』巻五)に「月斜めにして樹影を倒にし、風至りて水文を廻らす」(月斜樹倒影、風至水廻文)とある。ウィキソース「秋閨有望」参照。
8
- 花・家・斜(平声麻韻)。
29 昨夜閒潭夢落花
昨夜 間潭 落花を夢む
- 昨夜 … 昨日の夜。
- 間潭 … 静かな淵のほとり。
- 閒 … 『全唐詩』『楽府詩集』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』『古今詩刪』では「閑」に作る。同義。
- 夢落花 … 花の散る夢を見た。梁の武帝の「夏歌四首 其の四」(『玉台新詠』巻十)に「含桃花落つる日、黄鳥飛ぶを営むの時」(含桃落花日、黃鳥營飛時)とある。含桃は、ゆすらうめ。桜桃。ウィキソース「夏歌 (蕭衍)」参照。
30 可憐春半不還家
憐れむ可し 春半ばにして家に還らず
- 可憐 … 何とも切ないことである。
- 憐 … 『楽府詩集』では「非」に作る。
- 春半 … もう春も半ばだというのに。
- 不還家 … 私はまだ家に帰れない。
31 江水流春去欲盡
江水 春を流して去って尽きんと欲し
- 江水 … 川の水。長江の水。『山海経』中山経に「又東北三百里を、岷山と曰う。江水焉より出で、東北流して海に注ぐ」(又東北三百里、曰岷山。江水出焉、東北流注于海)とある。ウィキソース「山海經/中山經」参照。
- 流春去欲尽 … 春を押し流し、流し尽くそうとしている。
32 江潭落月復西斜
江潭の落月 復た西に斜めなり
- 江潭 … 川の深い淵。『楚辞』の「漁父」に「屈原既に放たれて、江潭に游び、行〻沢畔に吟ず」(屈原旣放、游於江潭、行吟澤畔)とある。ウィキソース「漁父」参照。
- 落月 … 沈もうとする月。南朝梁の蕭綜「鍾鳴を聴く」(『古詩紀』巻一百十八)に「西樹落月を隠し、東窓暁星を見る」(西樹隱落月、東窻見曉星)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷118」参照。
- 復西斜 … また西へと傾く。
9
- 霧・路・樹(去声遇韻)。
33 斜月沈沈藏海霧
斜月 沈沈として海霧に蔵る
- 斜月 … 西に傾いた月。入りかかった月。『初学記』に引く梁の蕭和「螢火の賦」に「斜月西に傾き、独り蓬楹を照らす」(斜月西傾、獨照蓬楹)とある。ウィキソース「初學記/卷第三十」参照。
- 沈沈 … 静かで奥深いさま。『楽府詩集』では「沉沉」に作る。『唐詩別裁集』では「沉沈」に作る。「沉」は「沈」の異体字。
- 海霧 … 海上にたちこめる霧。
- 蔵 … 隠れていく。姿を隠そうとする。
34 碣石瀟湘無限路
碣石 瀟湘 無限の路
- 碣石 … 山の名。今の河北省昌黎県の北にある。ここでは広く北の果てを指す。『読史方輿紀要』永平府、昌黎県の条に「碣石山は、県の西北二十里。山勢は穹窿、頂に巨石有り特出す、因って名づく」(碣石山、縣西北二十里。山勢穹窿、頂有巨石特出、因名)とある。穹窿は、弓形。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷十七」参照。『中国歴史地図集 第五冊』(地図出版社、1982年、国学导航「河北道南部:碣石山」48~49頁③7)参照。また『書経』禹貢篇に「夾右・碣石、河に入る」(夾右碣石、入于河)とある。河は、黄河。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。
- 瀟湘 … 瀟水と湘江(湘水)。洞庭湖に南から流れこむ二つの川の名。洞庭湖の南の流域一帯を指す。ここでは広く南の果てを指す。『水経注』湘水の条に「瀟とは、水清深なり。湘中記に曰く、湘川は清照なること五六丈、下、底の石を見ること樗蒲の矢の如く、五色鮮明なり。白沙は霜雪の如く、赤岸は朝霞の若し。是れ瀟湘の名を納るるなり」(瀟者、水清深也。湘中記曰、湘川清照五六丈、下見底石如樗蒲矢、五色鮮明。白沙如霜雪、赤岸若朝霞。是納瀟湘之名矣)とある。樗蒲は、ばくち。ウィキソース「水經注/38」参照。また魏の曹植の「雑詩六首 其の四」(『文選』巻二十九)に「朝に江北の岸に遊び、夕に瀟湘の沚に宿す」(朝遊江北岸、夕宿瀟湘沚)とある。ウィキソース「曹子建集 (四部叢刊本)/卷第五」参照。また南朝斉の謝朓の「新亭の渚にて范零陵に別るる詩」(『文選』巻二十)に「洞庭は楽を張るの地、瀟湘には帝子遊ぶ」(洞庭張樂地、瀟湘帝子遊)とある。帝子は、堯帝の二人の娘、娥皇と女英のこと。ウィキソース「新亭渚別范零陵詩」参照。
- 無限路 … 果てのない旅路が続いている。
35 不知乘月幾人歸
知らず 月に乗じて幾人か帰る
36 落月搖情滿江樹
落月 情を揺がして江樹に満つ
- 落月 … 沈みゆく月。
- 揺情 … 私の感情を揺り動かしながら。
- 江樹 … 川辺の木々の辺り。隋の諸葛穎「春江花月の夜」(『古詩紀』巻一百三十五)に「月色江樹を含み、花影船楼を覆う」(月色含江樹、花影覆船樓)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷135」参照。
- 満 … 月の光が満ち溢れる。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『全唐詩』巻一百十七(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『楽府詩集』巻四十七・清商曲辞・呉声歌曲(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)
- 『唐詩品彙』巻三十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻五(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十三(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、19頁)
- 『唐詩解』巻十一(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
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