哀江頭(杜甫)
哀江頭
哀江頭
哀江頭
- ウィキソース「哀江頭」参照。
- 詩題 … 新楽府題。『楽府詩集』巻九十一、新楽府辞、楽府雑題に収める。「江頭に哀しむ」と読んでもよい。江頭は、曲江のほとり。曲江は、長安の東南にあった池の名。曲江池。『読史方輿紀要』陝西二、西安府、曲江池の条に「今の府城の東南に在り。漢の武帝の時鑿つ。其の水曲折すること嘉陵江に似たり、因りて名づく」(在今府城東南。漢武帝時鑿。其水曲折似嘉陵江、因名)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十三」参照。なお、曲江池の東岸には、離宮の芙蓉苑もあり、当時は景勝の地として賑わった。2008年、曲江池遺址公園が造成された。ウィキペディア【曲江池遗址公园】(中文)参照。
- この詩は、至徳二載(757)の春、安史の乱で長安に軟禁中の作者が、賊軍の目を盗んで曲江のほとりを歩き、玄宗皇帝全盛の頃を偲び、変わり果てた現在の長安の様子を嘆いて詠んだもの。作者四十六歳の作。
- 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
少陵野老呑聲哭
少陵の野老 声を呑んで哭し
- 少陵野老 … 杜甫の自称。少陵は、もと前漢の宣帝(在位前74~前48)の許皇后の陵墓の名。宣帝の陵墓である杜陵に比べてやや小さいことから言う。少陵には杜甫の荘園があり、また杜甫自身もこの地に住んだことがあるという。『雍録』巻七、少陵原の条に「長安県の南四十里に在り。漢の宣帝の陵は杜陵県に在り、許后は杜陵の南園に葬らる。師古曰く、即ち今、小陵と謂う者なり。杜陵を去ること十八里、と。它書には皆な少陵に作る。杜甫焉に家す、故に自ら杜陵の老と称し、亦た少陵と曰うなり」(在長安縣南四十里。漢宣帝陵在杜陵縣、許后葬杜陵南園。師古曰、即今謂小陵者也。去杜陵十八里。它書皆作少陵。杜甫家焉、故自稱杜陵老、亦曰少陵也)とある。ウィキソース「雍錄/卷07」参照。また、野老は、田舎の粗野な老人の意。自分を謙遜して言うときのことば。北周の庾信「疾に臥し愁いに窮す」詩に「野老 時に相訪い、山僧 或いは尋ぬるを見る」(野老時相訪、山僧或見尋)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷126」参照。
- 呑声哭 … 声を忍んで泣く。声を出さずに泣くこと。哭は、大声で泣く。慟哭すること。南朝梁の江淹「恨みの賦」(『文選』巻十六)に「古より皆な死有り、恨みを飲みて声を呑まざるは莫し」(自古皆有死、莫不飮恨而呑聲)とある。ウィキソース「恨賦」参照。また、劉宋の鮑照の楽府「行路難十八首」(『楽府詩集』巻七十)の第四首に「心木石に非ず、豈に感無からんや、声を呑んで躑躅して敢えて言わず」(心非木石豈無感、呑聲躑躅不敢言)とある。躑躅は、行きつ戻りつすること。ウィキソース「樂府詩集/070卷」参照。
春日潛行曲江曲
春日潜行す 曲江の曲
- 春日 … 春の日。『詩経』豳風・七月に「春日載ち陽かく、鳴く倉庚有り」(春日載陽、有鳴倉庚)とある。倉庚は、うぐいす。ウィキソース「詩經/七月」参照。
- 潜行 … 人目につかぬよう、こっそりと行くこと。『韓非子』十過篇に「臣請う試みに潜行して出で、韓・魏の君に見えん」(臣請試潛行而出、見韓魏之君)とある。ウィキソース「韓非子/十過」参照。
- 曲江曲 … 曲江池の隈。曲江池の片隅。曲は、湾曲した所。前漢の司馬相如「哀二世の賦」(『楚辞後語』巻二)に「曲江の隑州に臨み、南山の参差たるを望む」(臨曲江之隑州兮、望南山之參差)とある。隑州は、曲岸のほとり。参差は、高低の差が目立って不揃いな様子。ウィキソース「哀二世賦」参照。
江頭宮殿鎖千門
江頭の宮殿 千門を鎖し
- 江頭宮殿 … 曲江のほとりの宮殿。離宮の芙蓉苑を指す。『後漢書』順帝紀に「是の歳、西苑を起て、宮殿を修飾す」(是歳、起西苑、修飾宮殿)とある。ウィキソース「後漢書/卷6」参照。
- 鎖千門 … 宮殿の多くの門を閉じている。千は、数の多いことを示す。『史記』孝武本紀に「是に於いて建章宮を作る。度りて千門万戸を為る」(於是作建章宮。度爲千門萬戶)とある。ウィキソース「史記/卷012」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「千門を張りて万戸を立て、陰陽に順って以て開闔す」(張千門而立萬戸、順陰陽以開闔)とある。開闔は、開閉に同じ。ウィキソース「西都賦」参照。また、南朝梁の王筠の楽府「行路難」(『玉台新詠』巻九)に「千門皆な閉ず夜何ぞ央ばならん、百憂倶に集まり人の腸を断たしむ」(千門皆閉夜何央、百憂倶集斷人腸)とある。百憂は、いろいろな種類の多くの心配。ウィキソース「行路難 (王筠)」参照。
細柳新蒲爲誰緑
細柳新蒲 誰が為にか緑なる
- 細柳 … 枝の細い柳。前漢の枚乗「柳賦」(『西京雑記』巻四)に「于嗟細柳、軽糸を流乱す」(于嗟細柳、流亂輕絲)とある。ウィキソース「柳賦 (枚乘)」「西京雜記/卷四」参照。
- 新蒲 … 新芽の出た蒲。劉宋の謝霊運「南山より北山に往き、湖中を経て瞻眺す」詩(『文選』巻二十二)に「初篁は緑籜に苞まれ、新蒲は紫茸を含む」(初篁苞綠籜、新蒲含紫茸)とある。瞻眺は、遠く望むこと。初篁は、ようやく竹になろうとする筍。若竹。緑籜は、緑の竹の皮。紫茸は、紫の蒲の花。ウィキソース「於南山往北山經湖中瞻眺」参照。
- 為誰緑 … いったい誰のために緑の粧いをしているのか。ここでは、宮殿の主人(玄宗と楊貴妃)を失ったことを指す。
憶昔霓旌下南苑
憶う昔 霓旌の南苑に下りしとき
- 憶昔 … 思えば昔。劉宋の鮑照の楽府「少年の時、衰老に至る行に代えて」に「憶う昔 少年の時、馳逐す 名を好むの晨」(憶昔少年時、馳逐好名晨)とある。馳逐は、駆けずり回ること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷060」参照。
- 霓旌 … 羽毛を五色に染めて作った旗。天子の儀仗の旗。霓は、普通の虹の外側にできる薄い虹。転じて、五色の色。旌は、旗。旗印。戦国時代、楚の宋玉「高唐の賦」(『文選』巻十九)に「蜺を旌と為し、翠を蓋と為せ」(蜺爲旌、翠爲蓋)とある。蜺は、霓と同義。翠は、カワセミの羽。蓋は、車蓋。ウィキソース「高唐賦」参照。また、前漢の司馬相如「上林の賦」(『文選』巻八)に「蜺旌を拖き、雲旗を靡かす」(拖蜺旌、靡雲旗)とある。ウィキソース「上林賦」参照。
- 南苑 … 長安城の東南隅にあり、また曲江池の南側にある芙蓉苑を指す。
苑中萬物生顏色
苑中の万物 顔色を生ず
- 苑中万物 … 芙蓉苑の中の、ありとあらゆる物。古楽府「長歌行」(『文選』巻二十七、『楽府詩集』巻第三十・相和歌辞)に「陽春徳沢を布き、万物光輝を生ず」(陽春布德澤、萬物生光輝)とある。ウィキソース「長歌行 (漢樂府)」参照。
- 生顔色 … 生き生きとしてくる。色めき立つ。顔色は、色彩。色つや。
昭陽殿裏第一人
昭陽殿裏 第一の人
- 昭陽殿裏第一人 … 昭陽殿は、宮殿の名。前漢の成帝の寵愛を受けた趙昭儀(昭儀は、側室の称号)が住んだ所。趙昭儀は、成帝の皇后趙飛燕の妹で、名は合徳。はじめ趙飛燕が成帝の寵愛を受けていたが、のちに妹の趙昭儀に成帝の寵愛が移った。第一人は、君寵第一の人の意。従って昭陽殿裏第一人とは、正しくは妹の趙昭儀を指すが、唐詩では姉の趙飛燕を指すこともある。ここでは、趙姉妹のような美人を楊貴妃になぞらえたもの。『漢書』外戚伝、孝成趙皇后の条に「上、飛燕を見て之を説び、召して宮に入れ、大いに幸せり。……皇后既に立ち、後、寵少しく衰え、而して弟絶だ幸せられ、昭儀と為る。昭陽舎に居す」(上見飛燕而説之、召入宮、大幸。……皇后既立、後寵少衰、而弟絶幸、爲昭儀。居昭陽舍)とある。弟は、ここでは女弟。妹のこと。ウィキソース「漢書/卷097下」参照。また『西京雑記』巻一に「趙飛燕、皇后と為るや、其の女弟は昭陽殿に在り」(趙飛燕爲皇后、其女弟在昭陽殿)とある。ウィキソース「西京雜記/卷一」参照。また『新唐書』后妃伝に「玄宗の貴妃楊氏は、……始め寿王の妃と為る。……或るひと妃の姿質天挺にして、宜しく掖廷に充すべしと言い、遂に内禁中に召し、……太真と号す。……遂に房宴を専らにし、宮中にて娘子と号し、儀体は皇后と等し」(玄宗貴妃楊氏、……始爲壽王妃。……或言妃姿質天挺、宜充掖廷、遂召内禁中、……號太眞。……遂專房宴、宮中號娘子、儀體與皇后等)とある。天挺は、優れた才徳。掖廷は、後宮。房宴は、房中の宴。儀体は、儀式の作法。ウィキソース「新唐書/卷076」参照。また、盛唐の李白の楽府「宮中行楽詞八首」(『全唐詩』巻一百六十四)の第二首に「宮中誰か第一なる、飛燕 昭陽に在り」(宮中誰第一、飛燕在昭陽)とある。ウィキソース「宮中行樂詞 (柳色黃金嫩)」参照。
同輦隨君侍君側
輦を同じうし 君に随って 君側に侍す
- 同輦 … 天子の御車に同乗して。輦は、人が引く車。手車。ここでは、天子の乗る手引き車。前漢の成帝の寵愛を受けた班倢伃(倢伃は側室の称号、のちに趙飛燕に成帝の寵愛を奪われる)は、成帝が彼女を自分の輦に同乗させようとした時、「昔の絵画を見ますと、優れた君主は名臣を従えていますが、王朝を滅ぼした夏・殷・周三代末期の君主は愛妾を従えています。今、輦を同じくすれば、これら暗愚の君主に似てしまいます」と言って同乗を辞退したという故事を踏まえる。『漢書』外戚伝に「成帝後庭に遊び、嘗て倢妤と輦を同じうして載らんと欲す。倢妤辞して曰く、古の図画を観るに、賢聖の君には皆な名臣有りて側に在り。三代の末主には乃ち嬖女有り。今輦を同じうせんと欲するは、之に近似すること無きを得んや、と。上、其の言を善しとして止む」(成帝遊於後庭、嘗欲與倢妤同輦載。倢妤辭曰、觀古圖畫、賢聖之君皆有名臣在側。三代末主乃有嬖女。今欲同輦、得無近似之乎。上善其言而止)とある。嬖女は、お気に入りの女。ウィキソース「漢書/卷097下」参照。
- 随君侍君側 … 天子に従ってお供をし、天子のそば近くに侍る。
輦前才人帶弓箭
輦前の才人 弓箭を帯び
白馬嚼囓黄金勒
白馬嚼齧す 黄金の勒
- 白馬嚼齧黄金勒 … 嚼齧は、歯で強く噛むこと。黄金勒は、黄金製の銜。手綱をつけるため、馬の口にかませて取り付ける金具。『説苑』臣術篇に「田子方、西河を渡りて、翟黄に造る。翟黄軒車に乗じ、華蓋を載せ、黄金の勒、約鎮の簟席、此の如き者其の駟八十乗なり。子方之を望みて以て人君と為すなり」(田子方渡西河、造翟黄。翟黄乘軒車、載華蓋、黄金之勒、約鎭簟席、如此者其駟八十乘。子方望之以爲人君也)とある。華蓋は、衣笠。約鎮は、座席を鎮する玉を結ぶ。簟席は、竹で編んだむしろ。ウィキソース「說苑/卷02」参照。また、南朝梁の何遜の楽府「軽薄篇に擬す」(『玉台新詠』巻五)に「柘弾随珠の丸、白馬黄金の勒」(柘彈隨珠丸、白馬黄金勒)とある。柘弾は、ヤマグワの弓。随珠の丸は、随侯に助けられた大蛇がお礼にくわえてきたという宝玉。ウィキソース「輕薄篇」参照。また『明皇雑録』巻下に「上、将に華清宮に幸せんとす。貴妃姉妹……競いて名馬を購い、黄金を以て銜勒と為す」(上將幸華清宮。貴妃姉妹……競購名馬、以黄金爲銜勒)とある。銜勒は、くつわ。ウィキソース「明皇雜錄/卷下」参照。
- 嚼 … 『全唐詩』『杜陵詩史』『詳注本』『錢注本』『九家集注本』『草堂詩箋』には「一作噍」と注する。『分門集注本』には「洙曰一作噍」と注する。
翻身向天仰射雲
身を翻して天に向かい 仰ぎて雲を射る
- 翻身 … (才人が)体を翻すこと。体をひねること。体をのけぞらせること。伝説上の仙人、蘇耽の「郷原の歌」(『古詩紀』巻一百四十一)に「身を雲外に翻して、却って吾が居に返らん」(翻身雲外、却返吾居)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷141」参照。また、三国魏の曹植「武帝の誄」(『曹子建集』巻九)に「臂を奮いて旧邦より、身を翻して上京す」(奮臂舊邦、翻身上京)とある。ウィキソース「曹子建集/卷九」参照。
- 天 … 『全唐詩』『詳注本』『錢注本』『草堂詩箋』には「一作空」と注する。
- 向天 … 天に向かって。空に向かって。
- 仰射雲 … 振り仰いで雲を射る。
一箭正墮雙飛翼
一箭 正に堕す 双飛翼
- 一箭 … ひと矢で。西晋の潘岳「射雉の賦」(『文選』巻九)に「昔、賈氏の皐に如くや、始めて顔を一箭に解く」(昔賈氏之如皐、始解顏於一箭)とある。皐は、水辺の平らな地。ウィキソース「射雉賦」参照。
- 箭 … 『唐詩三百首』では「笑」に作る。『詳注本』でも「笑」に作り、「『正異』作笑、別本作箭、蔡君謨作發」と注する。また『宋本』には「一云笑」と注する。『全唐詩』には「一作笑。一作發」と注する。『錢注本』には「考異作笑。蔡君謨作發」と注する。『分門集注本』には「洙曰一作笑」と注する。『九家集注本』『杜陵詩史』には「一作笑」と注する。『草堂詩箋』には「正異作笑蔡君謨作發」と注する。
- 正堕 … まさしく射落とす。狙い違わず射落とす。
- 双飛翼 … 並んで飛ぶ番の鳥。西晋の潘尼「三月三日洛水の作」に「鈎を沈めて比目を出だし、弋を挙げて双飛を落とす」(沈鈎出比目、舉弋落雙飛)とある。比目は、比目魚。一つ目の魚で、二尾が並んで始めて泳ぐという。弋は、鳥をからめて落とすために矢に紐をつけて射るように仕掛けたもの。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷038」参照。また、前漢の司馬相如「琴歌二首」(『玉台新詠』巻九)の第二首に「双び興き倶に起ちて翻って高く飛ばん、我が心に感ずる無くんば予をして悲しましむ」(雙興倶起翻高飛、無感我心使予悲)とある。ウィキソース「琴歌 (司馬相如)」参照。
明眸皓齒今何在
明眸皓歯 今何くにか在る
- 明眸皓歯 … 明眸は、美しい目。皓歯は、白い歯。美人の形容。ここでは、楊貴妃を指す。三国魏の曹植「洛神の賦」(『文選』巻十九)に「丹脣は外に朗り、皓歯は内に鮮やかなり。明眸は善く睞み、靨輔権を承く」(丹脣外朗、皓齒内鮮。明眸善睞、靨輔承權)とある。丹脣は、赤く美しい唇。睞は、斜めに見ること。靨輔は、頬のえくぼ。権は、頬骨。ウィキソース「洛神賦」参照。また、西晋の傅玄の楽府「有女篇 艶歌行」(『玉台新詠』巻二)に「蛾眉翠羽を分かち、明目清揚に発す」(蛾眉分翠羽、明目發清揚)とある。蛾眉は、三日月形の美しい女性の眉。翠羽は、翡翠の羽。明目は、パッチリとした明るい目。明眸とほぼ同じ。清揚は、広やかな額。ウィキソース「有女篇」参照。また『楚辞』大招に「朱脣皓歯、嫭かにして以て姱し」(朱脣皓齒、嫭以姱只)とある。朱脣は、赤く美しいくちびる。只は、語調を整える助字。読まない。ウィキソース「楚辭/大招」参照。また、前漢の枚乗「七発」(『文選』巻三十四)に「皓歯娥眉は、命けて伐性の斧と曰う」(皓齒娥眉、命曰伐性之斧)とある。伐性之斧は、性命を伐り損なう斧。ウィキソース「七發」参照。
- 今何在 … (楊貴妃は)今どこにおられるのか。
血汚遊魂歸不得
血汚の遊魂 帰り得ず
- 血汚遊魂 … 血に汚されたさまよう魂。楊貴妃の魂を指す。血汚は、血にまみれること。転じて、むごたらしく殺されること。この詩の作られた前年の天宝十五載(756)六月、楊貴妃は馬嵬駅で宦官の高力士により絞殺され、非業の死を遂げた。『新唐書』后妃伝に「禄山反し、国忠を誅するを以て名と為す。……西幸して馬嵬に至るに及んで、陳玄礼ら天下の計を以て国忠を誅す。已に死すれど、軍解かず。帝、力士を遣わして故を問わしむるに、曰く、禍の本は尚お在り、と。帝、已むを得ず、妃と訣し、引きて去り、路の祠の下に縊る」(祿山反、以誅國忠爲名。……及西幸至馬嵬、陳玄禮等以天下計誅國忠。已死、軍不解。帝遣力士問故、曰、禍本尚在。帝不得已、與妃訣、引而去、縊路祠下)とある。国忠は、楊貴妃の一族で宰相になった楊国忠。ウィキソース「新唐書/卷076」参照。また『易経』繋辞上伝に「精気は物を為し、遊魂は変を為す、是の故に鬼神の情状を知る」(精氣爲物、遊魂爲變、是故知鬼神之情狀)とある。ウィキソース「易傳/繫辭上」(第四章)参照。また『楊太真外伝』巻下に「力士遂に仏堂の前の梨樹の下に縊る。……西郭の外一里許りの道北の坎下に瘞む。妃は時に年三十八なり」(力士遂縊于佛堂前之梨樹下。……瘞于西郭之外一里許道北坎下。妃時年三十八)とある。坎は、穴。ウィキソース「楊太真外傳」参照。
- 帰不得 … (魂が)帰ろうとしても帰れない。
清渭東流劍閣深
清渭は東流し 剣閣は深し
- 清渭 … 清らかな渭水。楊貴妃が殺された馬嵬駅は、この川の北岸にある。涇水と渭水は、長安の北東で合流するが、涇水は常に濁り、渭水は常に澄んでいる。清渭は、その澄んだ渭水をいう。西晋の潘岳「西征の賦」(『文選』巻十)に「北に清渭濁涇有り」(北有清渭濁涇)とある。ウィキソース「西征賦」参照。
- 東流 … 東に流れ続ける。渭水は、長安の北を、西から東へ流れ、最後に黄河に注ぐ。『呂氏春秋』季春紀、圜道篇に「水泉は東流して、日夜休まず」(水泉東流、日夜不休)とある。ウィキソース「呂氏春秋/卷三」参照。
- 剣閣 … 今の四川省剣閣県の東北、大剣山と小剣山の二つの山の要害。閣道(桟道)が架けられていることから。玄宗はここを越えて蜀の成都へ逃げた。西晋の左思「蜀都の賦」(『文選』巻四)に「縁らすに剣閣を以てす」(緣以劔閣)とあり、その李善注に「剣閣は、谷の名なり。蜀より漢中に通ずる道なり」(劔閣、谷名。自蜀通漢中道)とある。ウィキソース「昭明文選/卷4」「蜀都賦 (左思)」参照。
- 深 … 遥か彼方に深い。遥か山深くにある。
去住彼此無消息
去住彼此 消息無し
- 去住彼此 … 行ってしまった者と、そこに残っている者、かれとこれ。ここでは、蜀へ行ってしまった彼(玄宗)と、死んで渭水のほとりに住まった此(楊貴妃)をいう。後漢の蔡琰の楽府「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第十二拍に「十有二拍なりて哀楽均しく、去住の両情誰にか具陳せん」(十有二拍兮哀樂均、去住兩情兮誰具陳)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。
- 無消息 … 音信が途絶えてしまった。隋の薛道衡の楽府「昔昔塩」(『楽府詩集』巻七十九)に「一たび去りて消息無し、那ぞ能く馬蹄を惜しむや」(一去無消息、那能惜馬蹄)とある。ウィキソース「樂府詩集/079卷」参照。また、南朝梁の虞羲「君の出でしより」詩(『玉台新詠』巻四・宋刻不収)に「君去りて消息無く、惟だ黄鶴の飛ぶを見るのみ」(君去無消息、惟見黄鶴飛)とある。ウィキソース「自君之出矣 (虞羲)」参照。
人生有情涙沾臆
人生情有り 涙 臆を沾す
- 人生 … 人と生まれて。東晋の陶潜「田園の居に帰る」詩(『陶淵明集』巻二)の第四首に「人生は幻化に似て、終には当に空無に帰すべし」(人生似幻化、終當歸空無)とある。ウィキソース「歸園田居」参照。
- 有情 … 感情の働きがある。南朝斉の謝朓「晩に三山に登り、還りみて京邑を望む」詩(『文選』巻二十七)に「情有りて郷を望むを知る、誰か能く鬒変ぜざらんや」(有情知望郷、誰能鬒不變)とある。京邑は、都。ウィキソース「晚登三山還望京邑」参照。
- 涙沾臆 … 涙が胸を濡らす。臆は、胸。古楽府「楊白花」(『楽府詩集』巻七十三、『古詩源』では北魏の胡太后の作に作る)に「情を含みて戸を出づれば脚に力無く、楊花を拾い得て涙臆を沾す」(含情出戸脚無力、拾得楊花涙沾臆)とある。ウィキソース「樂府詩集/073卷」参照。
江水江花豈終極
江水江花 豈に終に極まらんや
- 江水江花 … 曲江の水の流れと、曲江のほとりに咲く花。『楚辞』九歌・湘君に「沅湘をして波無からしめ、江水をして安らかに流れしめよ」(令沅湘兮無波、使江水兮安流)とある。ウィキソース「九歌」参照。また、南朝梁の昭明太子(蕭統)の楽府「採蓮曲」(『玉台新詠』巻九・宋刻不収)に「江花 玉面 両つながら相似たり」(江花玉面兩相似)とある。玉面は、美しい顔。ウィキソース「採蓮曲 (蕭統)」参照。
- 水 … 『唐詩三百首』では「草」に作る。『詳注本』でも「草」に作り、「一作水」と注する。また、『全唐詩』『錢注本』、『宋本』、『草堂詩箋』『杜陵詩史』には「一作草」と注する。『分門集注本』には「洙曰一作草」と注する。
- 豈終極 … どうしてついに極まり尽きることがあろうか。反語。三国魏の曹植「白馬王彪に贈る六首」詩(『文選』巻二十四)の第四首に「踟蹰するも亦た何くにか留まらん、相思うて終極無し」(踟蹰亦何留、相思無終極)とある。踟蹰は、ためらうこと。躊躇に同じ。ウィキソース「贈白馬王彪」参照。また、同じく「応氏を送る詩二首」(『文選』巻二十)の第二首に「天地終極無く、人命朝霜の若し」(天地無終極、人命若朝霜)とある。ウィキソース「送應氏詩二首」参照。
黄昏胡騎塵滿城
黄昏 胡騎 塵 城に満つ
- 黄昏 … 夕暮れ時。たそがれ時。『楚辞』九章・抽思に「昔、君我と言を誠す、曰く、黄昏を以て期と為さん、と」(昔君與我誠言兮、曰黄昏以爲期)とある。ウィキソース「楚辭/九章」参照。また『淮南子』天文訓に「虞淵に至る、是れを黄昏と謂う」(至于虞淵、是謂黃昏)とある。虞淵は、昔、太陽が没すると考えられていた所。ウィキソース「淮南子/天文訓」参照。また、前漢の司馬相如「長門の賦」(『文選』巻十六)に「日は黄昏にして望み絶え、悵として独り空堂に託く」(日黄昏而望絶兮、悵獨託於空堂)とある。ウィキソース「長門賦」参照。
- 胡騎 … 匈奴・突厥などの騎馬兵。ここでは、安禄山の反乱軍を指す。安禄山の軍隊には、安禄山をはじめ異民族の兵士が多かったため。『史記』李広伝に「是に於いて胡騎遂に敢えて撃たず」(於是胡騎遂不敢擊)とある。ウィキソース「史記/卷109」参照。また『漢書』周勃伝に「韓信の胡騎を晋陽の下に撃ち、之を破り、晋陽に下す」(撃韓信胡騎晉陽下、破之、下晉陽)とある。ウィキソース「漢書/卷040」参照。また『後漢書』盧芳伝に「程を以て中郎将と為し、胡騎を将いて還りて安定に入らしむ」(以程爲中郎將、將胡騎還入安定)とある。程は、盧芳の弟、盧程。安定は、安定郡。ウィキソース「後漢書/卷12」参照。
- 塵満城 … 騎馬の巻き起こす土ぼこりが町全体に立ち込める。塵は、土ぼこり。城は、城壁のある町。城市。ここでは、長安城を指す。
欲往城南忘城北
城南に往かんと欲して 城北を忘る
- 欲往城南忘城北 … (作者の居宅がある)町の南へ行こうとして、町の北の方へ向かっていたのに気づかなかった。長安が荒れ果てた悲しみのため、茫然として方角を見失ってしまったことを指す。古楽府「戦城南」(『楽府詩集』巻十六・鐃歌十八曲)に「城南に戦って、郭北に死す」(戰城南、死郭北)とある。ウィキソース「樂府詩集/016卷」参照。また、三国魏の曹植「吁嗟篇」(『楽府詩集』巻三十三)に「当に南すべくして更に北し、東せんと謂うに反りて西す」(當南而更北、謂東而反西)とある。ウィキソース「樂府詩集/033卷」参照。
- 忘城北 … 『錢注本』『杜陵詩史』では「忘南北」に作り、「一云望城北」と注する。『分門集注本』でも「忘南北」に作り、「洙曰一云望城北」と注する。『全唐詩』『草堂詩箋』では「忘南北」に作り、「一作望城北」と注する。『唐詩三百首』では「望城北」に作る。『詳注本』でも「望城(北)」に作り、「一作忘城、一作忘南」と注する。『楽府詩集』も「望城北」に作り、「一作望南北」と注する。『唐詩品彙』では「忘南北」に作る。『唐詩別裁集』では「望南北」に作る。
詩型・韻字
- 七言古詩。
- 哭(入声屋韻)・曲・緑(入声沃韻)通押/色・側・勒・翼・得・息・臆・極・北(入声職韻)、換韻。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百十六(排印本、中華書局、1960年)
- 『唐詩三百首注疏』巻三・七言古詩・楽府(廣文書局、1980年)
- 『宋本杜工部集』巻一(影印本、台湾学生書局、1967年)
- 『九家集注杜詩』巻二(『哈佛燕京學社引得特刊 14 杜詩引得』第二冊、1966年)
- 『杜陵詩史』巻五(王状元集注、『杜詩又叢』所収、中文出版社、1977年)
- 『分門集注杜工部詩』巻三(『四部叢刊 初編集部』所収)
- 『草堂詩箋』巻九(蔡夢弼注、『古逸叢書(中)』所収、江蘇廣陵古籍刻印社、1997年)
- 『銭注杜詩』巻一(銭謙益箋注、上海古籍出版社、1979年)
- 『杜詩詳注』巻四(仇兆鰲注、中華書局、1979年)
- 『読杜心解』巻二之一(浦起龍著、中華書局、1961年)
- 『杜詩鏡銓』巻三(楊倫箋注、上海古籍出版社、1980年)
- 『楽府詩集』巻九十一・新楽府辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)
- 『唐詩解』巻十四(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩品彙』巻二十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻六([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』(大修館書店、1987年)
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