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秋柳四首 其一(王士禎)

秋柳四首 其一
秋柳しゅうりゅうしゅ いち
おうてい
  • 〔テキスト〕 『漁洋山人精華録』巻五(『四部叢刊 初編集部』所収)、他
  • 七言律詩。魂・門・痕・邨・論(平声元韻)。
  • 秋柳 … 秋の柳。順治十四年(1657)、作者二十四歳の作。四首連作の第一首。この詩は、作者が揺れ動く柳を見て、種々の典故を織り交ぜて詠ったもの。
  • 王士禎 … 1634~1711。清の詩人。山東省新城の人。あざなじょう。号は漁洋山人・阮亭。本名はしんであるが、彼の死後、清の雍正帝のいみな、胤禛を避けて士正と改められ、のち乾隆帝から士禎の名を賜った。順治十五年(1658)、進士に及第。官は刑部尚書に至る。しゅそんと並称して朱王といわれる。「神韻説」を提唱し、その詩説を元に『唐賢三昧集』を編纂した。詩文集『帯経堂集』九十二巻、『漁洋山人精華録』十二巻などがある。ウィキペディア【王士禎】参照。
秋來何處最銷魂
しゅうらい いずれのところもっとしょうこんなる
  • 秋来 … 秋になって。秋が訪れて。
  • 何処 … どこだろうか。
  • 銷魂 … 悲しみのあまり、魂が抜けたようになること。江淹こうえんの「別れの賦」(『文選』巻十六)に「黯然あんぜんとして銷魂する者は、唯だ別れのみ」(黯然銷魂者、唯別而已矣)とある。ウィキソース「別賦」参照。
殘照西風白下門
ざんしょう 西風せいふう はくもん
  • 残照西風 … 夕日の光と秋風。「残照」は夕映え。「西風」は秋風。李白の「しんおもう」詞の中の「西風残照、漢家陵闕」に基づく。「漢家」は漢の帝室。「陵闕」は山陵と城闕(物見台のある城門)。ウィキソース「憶秦娥 (李白)」参照。
  • 白下門 … 江蘇省南京市にある門の名。李白の「金陵白下亭留別」に「驛亭三楊樹、正當白下門」とある。ウィキソース「金陵白下亭留別」参照。
他日差池春燕影
じつ 差池しちたり しゅんえんかげ
  • 他日 … いつか。以前。過去のある日。
  • 差池 … 不揃いなさま。ここではツバメが互い違いに飛び交う様子。畳韻の語。『詩経』邶風はいふう燕燕えんえんに「燕燕ここに飛び、差池たる其の羽」(燕燕于飛、差池其羽)とある。ウィキソース「詩經/燕燕」参照。また、沈約しんやく(441~513)の「陽春曲」に「楊柳地に垂れて燕差池たり、情をとざし思いを忍び容儀を落す」(楊柳垂地燕差池、緘情忍思落容儀)とある。ウィキソース「陽春曲 (沈約)」参照。
  • 春燕影 … 春のツバメの影。
祗今憔悴晩煙痕
祗今ただいま しょうすいす 晩煙ばんえんあと
  • 祗今 … 今では。
  • 憔悴 … やつれ衰える。ここでは柳がしおれかけた様子。「憔悴」は『楚辞』漁父の「屈原既に放たれて、江潭に遊び、行〻ゆくゆく沢畔に吟ず。顔色憔悴し、形容枯槁す」(屈原既放、遊於江潭、行吟澤畔。顏色憔悴、形容枯槁)に見える。ウィキソース「楚辭/漁父」参照。
  • 晩煙痕 … 夕靄ゆうもやの名残り。
愁生陌上黃驄曲
うれいはしょうず はくじょう 黄驄こうそうきょく
  • 愁生 … 悲しみの感情が湧いてくる。
  • 陌上 … 道ばた。
  • 黄驄曲 … 「黄驄」は薄赤毛の馬。唐の太宗李世民が高麗を征伐したとき、愛馬の黄驄こうそうひょうが死んだのを哀惜し、楽人に「黄驄曲」を作らせたという。『新唐書』巻二十一・志第十一・礼楽十一に見える故事。
夢遠江南烏夜邨
ゆめとおし 江南こうなん 烏夜うやむら
  • 夢遠 … 遠い昔の夢となった。
  • 江南 … 長江中流・下流の南岸地域。今の江蘇省南部・浙江省西北部・あん省南部・江西省南部などを指す。臧勵龢等編『中國古今地名大辭典』(商務印書館、1931年)に「長江以南の総称なり。今は江蘇・安徽・江西の三省を通称して江南と為す」(長江以南之總稱。今通稱江蘇安徽江西三省爲江南)とある。
  • 烏夜村 …江蘇省蘇州市呉江区の南にあったという村。東晋の宰相何充の弟、何準がここに隠棲していた。ある晩、烏が啼いて騒ぎ立てたときに娘が生まれた。のちにその娘が東晋の穆帝の皇后になったときも烏が啼き騒いだという。南宋の范成大『呉郡志』巻九に見える故事。ウィキソース「吳郡志/卷09」参照。
  • 邨 … 「村」の異体字。
莫聽臨風三弄笛
かれ かぜのぞ三弄さんろうふえ
  • 莫聴 … 聴いてはいけない。
  • 莫 … 「~(こと)なかれ」と読み、「~してはいけない」「~するな」と訳す。禁止の意を表す。「勿」も同じ。
  • 臨風 … 風に乗って。風の中で。風の前で。
  • 三弄笛 … 三たび吹かれた笛の。「弄」は笛を吹くこと。東晋の将軍で笛の名手でもあったかんが、たまたま通りかかったおう徽之きしおう羲之ぎしの子)に一曲所望された。桓伊は三曲笛を吹いて、そのまま立ち去ったという。『世説新語』任誕篇に見える故事。この笛から、別れの笛の曲「折楊柳」が連想される。
玉關哀怨總難論
ぎょくかん哀怨あいえん すべろんがた
  • 玉関 … 玉門関。漢代に建立された故関(古い関所)は甘粛省敦煌の西にあった。六朝期に200キロ東に移され、今の甘粛省瓜州県の東に置かれた。『元和郡県図志』隴右道下、沙州の条に「玉門の故関は、県の西北一百一十七里に在り」(玉門故關、在縣西北一百一十七里)とある。また瓜州の条に「玉門関は、県の東二十歩に在り」(玉門關、在縣東二十步)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。ウィキペディア【玉門関】参照。盛唐の詩人、王之渙の「涼州詞」に「きょうてきなんもちいんようりゅううらむを、しゅんこうわたらずぎょくもんかん」(羌笛何須怨楊柳、春光不度玉門關)とある。
  • 哀怨 … うらめしく切ない様子。
  • 総難論 … 筆舌に尽くし難い。口に出して表現できない。
余説
  • 黄驄曲 … 『新唐書』に見える故事の原文は以下の通り。
    「乘馬名黃驄驃、及征高麗、死於道、頗哀惜之、命樂工製黃驄疊曲。四曲、皆宮調也」。ウィキソース「新唐書/卷021」参照。
  • 三弄笛 … 『世説新語』に見える故事の原文は以下の通り。
    「王子猷出都、尚在渚下。舊聞桓子野善吹笛、而不相識。遇桓於岸上過、王在船中。客有識之者云、是桓子野。王便令人與相聞云、聞君善吹笛。試爲我一奏。桓時已貴顯、素聞王名。即便回下車、踞胡牀、爲作三調。弄畢、便上車去。客主不交一言」
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