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子張第十九 19 孟氏使陽膚爲士師章

490(19-19)
孟氏使陽膚爲士師。問於曾子。曾子曰、上失其道、民散久矣。如得其情、則哀矜而勿喜。
もうようをして士師ししらしむ。そうう。そういわく、かみみちうしない、たみさんずることひさし。じょうれば、すなわあいきょうしてよろこぶことかれ。
現代語訳
  • (家老の)孟孫さんが陽膚を司法官にした。かれは曽先生に教えをこう。曽先生 ――「おかみのやりかたがわるく、人民が離れてから久しい。犯罪をつきとめたら、同情はしても手がらにするな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • たいもうが曾子の門人のようを裁判官に任用した。そこで陽膚が曾子に裁判官としてのこころかたをたずねた。曾子の言うよう、「今やかみたる政府が政道のよろしきを失い、下々しもじもの人民が生活難におちいり、民心さんし道義頽廃たいはいせること年久しい。犯罪の起るのもひっきょうその人のみの罪ではなく、悪政が民をって罪をおかさしめるのである。それ故けんしゃが『恐れ入りました』とはくじょうしたとき、ああかわいそうな気の毒な、とあわれみかなしめ。ゆめゆめ喜んではいけないぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • もうようを司法官に任用した。ようは曾先生に司法官としての心得をたずねた。曾先生はいわれた。――
    「政道がみだれ、民心が離散してすでに久しいものだ。だから人民の罪状をつかんでも、なるだけあわれみをかけてやるがいい。罪状をつかんだのを手柄に思って喜ぶようなことがあってはならないのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 孟氏 … 魯の大夫、孟孫氏であるが、誰のことかはわからない。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 陽膚 … 曾子の弟子。人物については不明。
  • 士師 … 司法官。
  • 曾子 … 姓はそう、名はしんあざな子輿しよ。魯の人。孔子より四十六歳年少の門人。『孝経』を著した。ウィキペディア【曾子】参照。
  • 散 … 離散すること。
  • 其情 … (罪を犯した)その実情。
  • 哀矜 … 同情する。びんに思う。「矜」は、あわれむ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は典獄の法を論ずるなり」(此章論典獄之法也)とある。典獄は、裁判をつかさどること。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 孟氏使陽膚為士師 … 『集解』に引く包咸の注に「陽膚は、曾子の弟子なり。士師は、典獄の官なり」(陽膚、曾子弟子也。士師、典獄官也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孟氏は、魯の下卿なり。陽膚は、曾子の弟子なり。士師は、典獄の官なり。孟氏は陽膚をして己の家の獄官たらしむるなり」(孟氏、魯下卿也。陽膚、曾子之弟子也。士師、典獄官也。孟氏使陽膚爲己家獄官也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「陽膚は、曾子の弟子なり。士師は、典獄の官なり」(陽膚、曾子弟子。士師、典獄之官)とある。また『集注』に「陽膚は、曾子の弟子なり」(陽膚、曾子弟子)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、あざなは子輿。孔子よりわかきこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為おもえらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 問於曾子 … 『義疏』に「曾子は、曾参なり。陽膚は将に獄官たらんとして、還って師に問いて其の法術を求むるなり」(曾子、曾參也。陽膚將爲獄官、而還問師求其法術也)とある。また『注疏』に「其の師に問いて典獄の法を求むるなり」(問其師求典獄之法也)とある。
  • 上失其道、民散久矣 … 『集解』に引く馬融の注に「民の離散し、軽漂を為して法を犯すは、乃ち上の為す所にして、民の過ちに非ざるなり。当に之を哀矜すべきも、之れ自ら能く其の情を得るを喜ぶこと勿かれ」(民之離散、爲輕漂犯法、乃上之所爲也、非民之過也。當哀矜之、勿之自喜能得其情也)とある。また『義疏』に「曾子之に答えて法を為さしむるなり。言うこころはくんじょう若し善ならば、則ちみん罪を犯さず。故に堯・舜の民は比屋して封ず可し。君上若し悪ならば、則ち民下罪を犯すこと多し。故に桀・紂の民は比屋して誅す可し。の時に当たり、君上道を失うこと既に久し。故に民下罪を犯し離散する者衆し。故に云う、久し、と」(曾子答之使爲法也。言君上若善、則民下不犯罪。故堯舜之民比屋可封。君上若惡、則民下多犯罪。故桀紂之民比屋可誅。當于爾時、君上失道既久。故民下犯罪離散者衆。故云、久也)とある。また『注疏』に「言うこころは上は君たるの道を失い、民人は離散し、軽易に漂掠ひょうりゃくを為し、刑法を犯すことも亦た已に久しきは、乃ち上の失政の為す所にして、民の過ちに非ず」(言上失爲君之道、民人離散、爲輕易漂掠、犯於刑法亦已久矣、乃上之失政所爲、非民之過)とある。また『集注』に「民散ずは、情義乖離して、相けいせざるを謂う」(民散、謂情義乖離、不相維繫)とある。維繫は、つなぐこと。
  • 如得其情、則哀矜而勿喜 … 『義疏』に「如は、猶お若のごときなり。若し其の情を得ればとは、責めしらべて其の罪のかたちを得るを謂うなり。言うこころは汝獄官たり、職の司る所、弁覈べんかくせざることを得ず、然りと雖も、若し罪の状を得るときは、則ち当に之を哀矜愍念して、慎みて自ら喜びて汝能く人の罪を得たりと言うこと勿かるべし。必ず須らく哀矜すべき所以は、民の罪を犯すこと、其の本懐に非ず、まさに是れ君上に由り従えるが故のみ。罪既に本に非ず、宜しく哀矜すべき所以なり」(如、猶若也。若得其情、謂責覈得其罪状也。言汝爲獄官、職之所司、不得不辨覈、雖然、若得罪状、則當哀矜愍念之、愼勿自喜言汝能得人之罪也。所以必須哀矜者、民之犯罪、非其本懷、政是由從君上故耳。罪既非本、所以宜哀矜也)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「民の散ずるや、之を使うに道無く、之を教うるに素無きを以てす。故に其の法を犯すや、已むを得ざるに迫るに非ざれば、則ち知らざるに陥るなり。故に其の情を得れば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ」(民之散也、以使之無道、教之無素。故其犯法也、非迫於不得已、則陷於不知也。故得其情、則哀矜而勿喜)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「凡そ民の善悪は皆上の使わしむる所なり。故に古えの聖王、尤も其の導く所を謹む。蓋し民を導くの要は、先ず民をして各〻其の所を得せしむるに在り。故に先王の民を治むる、必ず先ず其れをして恒産有らしめて、之にかさぬるに孝悌の義を以てす。此の若くして法を犯すも、猶おきんじゅつの意有り。況んや之を養うに制無く、之に教うるに法無きをや。此れ上先ず其の道を失うなり。其の罪を犯すに及び、従いて之を刑す。是れ上民をあみするなり。まことに哀矜之れ暇あらず。豈に之を喜ぶ可けんや」(凡民之善惡皆上之所使。故古之聖王、尤謹其所導焉。蓋導民之要、在先使民各得其所。故先王之治民、必先使其有恒産、而申之以孝悌之義。若此而犯法、猶有欽恤之意。況養之無制、教之無法。此上先失其道也。及其犯罪、從而刑之。是上罔民也。固哀矜之不暇。豈可喜之哉)とある。欽恤は、民をあわれみ、めぐむこと。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。うったえを聴くの道と然るなり。情は、獄情を謂うなり。朱子曰く、情実、と。未だならず。喜ぶとは、其の情を得るを喜ぶなり。獄情は得難し。故に之を得るときは則ち喜ぶは、是れ訟えを聴く者の常なり。故に孔子は訟えを聴くを貴ばず。曾子曰く、かみ其の道を失し、民散ずること久し、此れ曾子特に此れを言いて以て深く陽膚をいましむる者のみ。れ刑を之れうれうるかなは、盛世と雖も亦た然り」(如得其情、則哀矜而勿喜。聽訟之道本然也。情、謂獄情也。朱子曰、情實。未是。喜者、喜得其情也。獄情難得。故得之則喜、是聽訟者之常也。故孔子不貴聽訟。曾子曰、上失其道、民散久矣、此曾子特言此以深警陽膚者已。惟刑之恤哉、雖盛世亦然)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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