>   論語   >   子張第十九   >   18

子張第十九 18 曾子曰吾聞諸夫子孟莊子之孝也章

489(19-18)
曾子曰、吾聞諸夫子。孟莊子之孝也、其他可能也。其不改父之臣與父之政、是難能也。
そういわく、われこれふうけり。もうそうこうや、くすべきなり。ちちしんちちまつりごととをあらためざるは、くしがたきなりと。
現代語訳
  • 曽(ソウ)先生 ――「わたしは先生からこうきいた。『孟荘さんの孝行ぶりは、ほかのことはまねができても、父上の家来や方針を動かさずにすました点は、まねができないな』と。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 曾先生がいわれた。――
    「私は先生がこんなことをいわれたのを聞いたことがある。もうそうの親孝行も、ほかのことはまねができるが、父の死後、その重臣とその政治方式とを改めなかった点は、容易にまねのできないことだ、と」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 曾子 … 姓はそう、名はしんあざな子輿しよ。魯の人。孔子より四十六歳年少の門人。『孝経』を著した。ウィキペディア【曾子】参照。
  • 夫子 … 賢者・先生・年長者を呼ぶ尊称。ここでは孔子の弟子たちが孔子を呼ぶ尊称。
  • 孟荘子 … 魯の国の大夫、仲孫氏で名は速。荘子はその諡。孟献子の子。ウィキペディア【三桓氏】参照。
補説
  • 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、あざなは子輿。孔子よりわかきこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為おもえらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 是難能也 … 『義疏』に「能」の字なし。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十