子張第十九 15 子游曰吾友張也章
486(19-15)
子游曰、吾友張也、爲難能也。然而未仁。
子游曰、吾友張也、爲難能也。然而未仁。
子游曰く、吾が友張や、能くし難きを為す。然れども未だ仁ならず。
現代語訳
- 子游 ――「わたしの友人の子張は、なかなかやりてだ。だがまごころがたりない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子游の言うよう、「友人子張君は、常人の能くし難いことを為し遂げる大才があるが、誠意が欠け人情が薄い故、まだまだ仁とはいえぬ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子游がいった。――
「友人の張は、困難なことをやりとげる男ではあるが、まだ仁者だとはいえない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は子張の材徳を論ずるなり」(此章論子張材德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子游 … 『孔子家語』七十二弟子解に「言偃は魯人、字は子游。孔子より少きこと三十五歳。時に礼を習い、文学を以て名を著す。仕えて武城の宰と為る。嘗て孔子に従いて衛に適く。将軍の子蘭と相善し。之をして学を夫子に受けしむ」(言偃魯人、字子游。少孔子三十五歳。時習於禮、以文學著名。仕爲武城宰。嘗從孔子適衞。與將軍之子蘭相善。使之受學於夫子)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「言偃は呉人。字は子游。孔子より少きこと四十五歳」(言偃呉人。字子游。少孔子四十五歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 吾友張也、為難能也 … 『集解』に引く包咸の注に「子張の容儀の及び難きを言うなり」(言子張容儀之難及也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「張は、子張なり。子游言う、吾志を同じうするの友は子張に有り。容貌の堂偉、人の能く及ぶ所と為り難し。故に云う、能くし難きを為す、と」(張、子張也。子游言、吾同志之友有於子張。容貌堂偉、難爲人所能及。故云、爲難能也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子游言う、吾が同志の友の子張、其の容儀は能く及び難きを為すなり」(子游言、吾同志之友子張、其容儀爲難能及也)とある。
- 子張 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顓孫師は陳の人。字は子張。孔子より少きこと四十八歳」(顓孫師陳人。字子張。少孔子四十八歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顓孫師は陳人、字は子張。孔子より少きこと四十八歳。人と為り容貌資質有り。寬沖にして博く接し、従容として自ら務むるも、居りて仁義の行いを立つるを務めず。孔子の門人、之を友とするも敬せず」(顓孫師陳人、字子張。少孔子四十八歳。為人有容貌資質。寬沖博接、從容自務、居不務立於仁義之行。孔子門人、友之而弗敬)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
- 然而未仁 … 『義疏』に「袁氏云う、子張の容貌及び難し。但だ未だ能く仁を体せざるなり、と」(袁氏云、子張容貌難及。但未能體仁也)とある。また『注疏』に「然れども其の徳は未だ仁ならず、と」(然而其德未仁)とある。また『集注』に「子張の行は高きに過ぎて、誠実惻怛の意少なし」(子張行過高、而少誠實惻怛之意)とある。惻怛は、痛み悲しむこと。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』では次章と合わせて一つの章とし、「夫れ経を窮むるの人は遇い易く、道を知るの人は遇い難し。道を知るの人は得易く、徳有るの人は得難し。道を知るの人に非ざれば、則ち与に義を存じ難し。徳有るの人に非ざれば、則ち与に並びて仁を為し難し。此れ二子の子張に与せざる所以なり。後世の儒者、二子の言に因りて、漫りに子張を議する者は過てり」(夫竆經之人易遇、知道之人難遇。知道之人易得、有德之人難得。非知道之人、則難與存義。非有德之人、則難與竝爲仁矣。此二子之所以不與子張也。後世儒者、因二子之言、漫議子張者過矣)とある。二子は、子游と曾子。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』では次章と合わせて一つの章とし、「子張は才識高朗、能く勉強して及び難きの行いを為す。而も其の仁に於けるや、未だ徳を成すこと能わず。故に能くし難しと曰うなり。其の未だ仁ならずは、猶お仲弓の未だ仁ならずの如きなり。後世子游の言に拠りて、以て子張を軽んじ詆る。非なり。蓋し子張の能くし難きや、亦た子貢の冢上に廬すること六年の類のみ。朱子以て誠実惻怛の意少なしと為す。夫れ誠実惻怛の意有りとも、烏くんぞ以て仁と為すに足らんや」(子張才識高朗、能勉強爲難及之行。而其於仁也、未能成德。故曰難能也。其未仁也、猶如仲弓之未仁也。後世據子游之言、以輕詆子張。非也。蓋子張之難能也、亦子貢廬冢上六年之類耳。朱子以爲少誠實惻怛之意。夫有誠實惻怛之意、烏足以爲仁乎)とある。冢上は、墓のそば。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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