子張第十九 10 子夏曰君子信而後勞其民章
481(19-10)
子夏曰、君子信而後勞其民。未信、則以爲厲己也。信而後諫。未信、則以爲謗己也。
子夏曰、君子信而後勞其民。未信、則以爲厲己也。信而後諫。未信、則以爲謗己也。
子夏曰く、君子は信ぜられて而る後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を厲ますと為すなり。信ぜられて而る後に諫む。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を謗ると為すなり。
現代語訳
- 子夏 ――「よくできた人は、信用されてから人民を使う。まだ信用がないと、意地わるすると思われるものだ。いさめるのも信用されてから。まだ信用がないと、わるくちをいうと思われるものだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子夏の言うよう、「君子が人民を使うには、十分に信用を得た上で労役させる。そうすれば人民は喜んで勤労奉仕をするが、信服させないで働かせると、人民は自分たちを苦しめるものとして怨むことになる。また君に対しても、十分に信用を得た上で諫める。信任なくして諫めると、君は自分をそしるものとしてうとむことになる。上に対しても下に対しても、まごころを傾けて信頼を得ることが第一だ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子夏がいった。――
「君子は人民の信頼を得てしかるのちに彼等を公けのことに働かせる。信頼を得ないで彼等を働かせると、彼らは自分たちが苦しめられているように思うだろう。また、君子は君主の信任を得てしかるのちに君主をいさめる。まだ信任されないうちにいさめると、君主は自分がそしられているように思うだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は君子の下を使い上に事うるの法を論ずるなり」(此章論君子使下事上之法也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人、字は子夏。孔子より少きこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。時人以て之に尚うる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。三豕河を渡る、と。子夏曰く、非なり。己亥のみ。史志を読む者、諸を晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子卒して後、西河の上に教う。魏の文侯、之に師事して国政を諮る」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商字は子夏。孔子より少きこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 君子信而後労其民 … 『義疏』に「君子は、国君を謂うなり。国君若し能く信を行い素著せば、則ち民其の私を非とするを知る。故に労役して憚らず。故に云う、信ぜられて而る後に其の民を労す、と」(君子、謂國君也。國君若能行信素著、則民知其非私。故勞役不憚。故云、信而後勞其民也)とある。素著は、もとから著れる。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「信は、誠意惻怛にして人之を信ずるを謂うなり」(信、謂誠意惻怛而人信之也)とある。惻怛は、親身になって悼み悲しむこと。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 未信、則以為厲己也 … 『集解』に引く王粛の注に「厲は、病なり」(厲、病也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「厲は、病なり。君若し信未だ素著せずして、動きて民を役使せば、民則ち君の私を行うを怨み、而して横見して己を役するを病むなり。江熙云う、君子は克く徳を厲するなり。故に民素より之を信じ労役に服するなり。故に私を非とするを知る。信素より立たざれば、民動くに以て己を病して其の私を奉ずるを為すなり、と」(厲、病也。君若信未素著、而動役使民、民則怨君行私、而横見病役於己也。江熙云、君子克厲德也。故民素信之服勞役。故知非私。信不素立、民動以爲病己而奉其私也)とある。また『注疏』に「厲は、猶お病のごときなり。言うこころは君子若し上位に在れば、当に先ず信を民に示し、然る後に其の民を労役すべくせば、則ち民は其の苦を忘るるなり。若し未だ嘗て信を施さずして、便ち之を労役せば、則ち民は以て欲に従いて崇侈し、妄りに困病を己に加うと為すなり」(厲、猶病也。言君子若在上位、當先示信於民、然後勞役其民、則民忘其苦也。若未嘗施信、而便勞役之、則民以爲從欲崇侈、妄加困病於己也)とある。また『集注』に「厲は、猶お病のごときなり」(厲、猶病也)とある。
- 信而後諫 … 『義疏』に「此れ臣下を謂うなり。臣下の信若し素著せば、則ち君を諫む可し。君乃ち其の我を虚に非ざるに惜くを知る。故に之に従うなり」(此謂臣下也。臣下信若素著、則可諫君。君乃知其惜我非虚。故從之也)とある。また『注疏』に「若し人臣と為れば、当に先ず忠を君に尽くし、君の己を信ずるを待ちて、而る後に君の失を諫む可し」(若爲人臣、當先盡忠於君、待君信己、而後可諫君之失)とある。
- 未信、則以為謗己也 … 『義疏』に「臣若し信未だ素より立たずして忽ち君を諫むれば、君則ち其の言を信ぜず。其の言其の諫むる所の事、是れ己を謗るなり。江熙云う、人忠誠に非ずんば、相与に未だ諫むる能わざるなり。然るに人に夜光を投ずれば、剣を按ぜざること鮮なし。易に、孚の道に在けることを貴ぶ、素より信ずること無きを明らかにす、軽〻しく之を諫むることを致す可からず、と」(臣若信未素立而忽諫君、君則不信其言。其言其所諫之事、是謗於己也。江熙云、人非忠誠、相與未能諫也。然投人夜光、鮮不按劍。易貴孚在道、明無素信、不可輕致諫之也)とある。なお、『易経』に「貴孚在道」以下の句は見当たらない。また『注疏』に「若し君未だ己を信ぜずして、便ち君の過失を称して以て之を諫諍せば、則ち君は以て己を謗讟すと為すなり」(若君未信己、而便稱君過失以諫諍之、則君以爲謗讟於己也)とある。また『集注』に「上に事え下を使うには、皆必ず誠意交孚して、而る後に以て為すこと有る可し」(事上使下、皆必誠意交孚、而後可以有爲)とある。交孚は、互いに誠にあること。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「甚だしきかな子夏の言、夫子に似たること。設し此の章をして首に子曰の二字を冒らしめば、孰か復た之を弁ぜん。凡そ門人の語、論語に載する者、皆崇信して佩服せざる可からず」(甚哉子夏之言、似夫子也。設使此章首冒子曰二字、孰復辨之。凡門人之語、載于論語者、皆不可不崇信而佩服焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「此れ孔子の大車輗無く小車軏無きの意なり。叚い孟子をして是の義を知らしめば、則ち弁を好むの失、是くの若く其れ甚だしからざるのみ。後世惟だ浮屠のみ尚お能く是の意を窺う。其の言に曰く、仏法の大海、信を能入と為す、と」(此孔子大車無輗小車無軏意。叚使孟子知是義、則好辨之失、不若是其甚也已。後世惟浮屠尚能窺是意。其言曰、佛法大海、信爲能入)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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