子張第十九 11 子夏曰大德不踰閑章
482(19-11)
子夏曰、大德不踰閑、小德出入可也。
子夏曰、大德不踰閑、小德出入可也。
子夏曰く、大徳は閑を踰えざれば、小徳は出入すとも可なり。
現代語訳
- 子夏 ――「大もとをふみはずさねば、ちいさなキズはかまわない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子夏の言うよう、「君に忠、父母に孝というような根本の大道徳が軌道に乗っていれば、応対進退のごとき末節に多少の出入があってもさしつかえない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子夏がいった。――
「大徳が軌道をはずれていなければ、小徳は多少の出入りがあっても、さしてとがむべきではない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は人の徳に小大有りて、行いも亦た同じからざるを論ずるなり」(此章論人之德有小大、而行亦不同也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人、字は子夏。孔子より少きこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。時人以て之に尚うる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。三豕河を渡る、と。子夏曰く、非なり。己亥のみ。史志を読む者、諸を晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子卒して後、西河の上に教う。魏の文侯、之に師事して国政を諮る」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商字は子夏。孔子より少きこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 大徳不踰閑 … 『集解』に引く孔安国の注に「閑は、猶お法のごときなり」(閑、猶法也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「大徳は、上賢以上なり。閑は、猶お法のごときなり。上徳の人は、常に法則を踰越せざるなり」(大德、上賢以上也。閑、猶法也。上德之人、常不踰越於法則也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「閑は、猶お法のごときなり。大徳の人は、上賢を謂うなり。行う所皆法則を越えざるなり」(閑、猶法也。大德之人、謂上賢也。所行皆不越法則也)とある。また『集注』に「大徳、小徳は、猶お大節、小節と言うがごとし。閑は、闌なり。物の出入するを止むる所以なり」(大德小德、猶言大節小節。閑、闌也。所以止物之出入)とある。闌は、柵のこと。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 小徳出入可也 … 『集解』に引く孔安国の注に「小徳は法を踰えざること能わず。故に曰く、出入すとも可なり、と」(小德不能不踰法。故曰出入可也)とある。また『義疏』に「小徳は、中賢以下なり。其の徳を立つること恒には全くする能わず。時有りて蹔く至り、時有りて及ばず。故に曰く、出入す、と。其の備わるを責めず、故に曰く、可なり、と」(小德、中賢以下也。其立德不能恆全。有時蹔至、有時不及。故曰、出入也。不責其備、故曰、可也)とある。「不責」は底本では「不素」に作るが、諸本に従い改めた。また『注疏』に「小しく徳有る者は、次賢の人を謂う。法を踰えざること能わず、時有りて法を踰えて出で、旋りて能く入りて其の法を守る。其の備わるを責めず、故に可なりと曰う」(小有德者、謂次賢之人。不能不踰法、有時踰法而出、旋能入守其法。不責其備、故曰可也)とある。また『集注』に「言うこころは人能く先ず其の大なる者を立てれば、則ち小節或いは未だ尽くは理に合せずと雖も、亦た害無きなり」(言人能先立乎其大者、則小節雖或未盡合理、亦無害也)とある。
- 『集注』に引く呉棫の注に「此の章の言、弊無きこと能わず。学者之を詳らかにせよ」(此章之言、不能無弊。學者詳之)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し夫の必ず信に必ず果なるの小人を悪むなり。孟子曰く、大人は言必ずしも信ならず、行い必ずしも果たさず、唯だ義の在る所のままにす、と。是なり」(蓋惡夫必信必果之小人也。孟子曰、大人言不必信、行不必果、唯義之所在。是也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「孔安国曰く、閑は猶お法のごときなり。小徳は則ち法を踰えざること能わず、故に出入するも可なりと曰う、と。古時の人善く古語を解すること此くの如し。晏子春秋、此れを以て晏子の言と為し、大徳小徳、大者小者に作る。蓋し古語にして、晏子之を誦し、子夏も亦た之を誦す。蓋し古え徳を以て教えと為す。父に事うるを孝と曰い、兄に事うるを弟と曰うの類は、大徳なり。色の容は厲粛、視る容は清明の如きは、是れ小徳なり。皆己に在る者を以て教えと為す。是れ所謂徳なり。君子は先ず大なる者を立つ。故に力を大徳に専らにす。有子曰く、君子は本を務むというも、亦た此の意なり。若し必ず夫の小なる者を尽くさんと欲するときは、則ち時有りてか其の大なる者を失う。故に出入するも可なりと曰う。閑を踰えざること能わずと曰う所以の者は、則ち盛徳の士に非ずんば能くせざればなり。古えの君子、其の大なる者を務むること是くの若し。是れ以て孔門の学を観る可きなり。宋儒の大なる者を識らざるや、惟だ精を是れ求む。故に此の章を以て弊有りと為すのみ。仁斎又た曰く、小徳に至りては、則ち或いは出で或いは入り時に之を措いて宜しきに非ずんば、不可なり。蓋し夫の必ず信必ず果なるの小人を悪むなり、と。旧に依て亦た宋人の見なるかな。且つ言必ず信、行必ず果なるは、孔子之を小人なるかなと謂うのみ。亦た未だ嘗て之を悪まざるなり。且つ小徳は何ぞ啻だ信・果のみならんや」(孔安國曰、閑猶法也。小德則不能不踰法、故曰出入可。古時人善解古語如此。晏子春秋、以此爲晏子之言、大德小德、作大者小者。蓋古語、晏子誦之、子夏亦誦之。蓋古者以德爲教。事父曰孝、事兄曰弟之類、大德也。如色容厲肅、視容清明、是小德也。皆以在己者爲教。是所謂德也。君子先立大者。故專力於大德。有子曰、君子務本者、亦此意。若欲必盡夫小者、則有時乎失其大者。故曰出入可也。所以曰不能不踰閑者、則非盛德之士不能也。古之君子、務其大者若是。是可以觀孔門之學也。宋儒之不識大者也、惟精是求。故以此章爲有弊已。仁齋又曰、至於小德、則非或出或入時措之宜、不可也。蓋惡夫必信必果之小人也。依舊亦宋人之見哉。且言必信、行必果、孔子謂之小人哉耳。亦未嘗惡之也。且小德何啻信果哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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