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衛霊公第十五 32 子曰知及之章

411(15-32)
子曰、知及之、仁不能守之、雖得之、必失之。知及之、仁能守之、不莊以涖之、則民不敬。知及之、仁能守之、莊以涖之、動之不以禮、未善也。
いわく、これおよぶも、じんこれまもらざれば、これいえども、かならこれうしなう。これおよび、じんこれまもるも、そうもっこれのぞまざれば、すなわたみけいせず。これおよび、じんこれまもり、そうもっこれのぞむも、これうごかすにれいもってせざれば、いまからざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「チエは相当でも、なさけで持ちこたえなければ、手に入れたものも、きっと失う。チエは相当で、なさけで持ちこたえても、ドッシリしていなくては、人民がうやまわない。チエは相当で、なさけで持ちこたえ、ドッシリしていても、人民をだいじに使わないのは、どうもよくないな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「人君たる者、知がそのくらい適応てきおうしても、仁徳じんとくをもってその位を守ることができなければ、その位を得てもやがてそれを失うであろう。知がその位に適応し、仁がその位を守るに足りても、げんをもって民にのぞまなければ、民は君をうやまわぬであろう。知がその位に適応し、仁がその位を守るに足り、威厳をもって民に臨んで、民を使い動かすに礼をもってしなければ、まだ理想的でない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「知見においては為政者としての地位を得るに十分でも、仁徳をもってそれを守ることができなければ、得た地位は必ず失われる。知見において十分であり、仁徳をもって地位を守り得ても、荘重な態度で人民に臨まなければ、人民は敬服しない。知見において十分であり、仁徳をもって地位を守ることができ、荘重な態度で民に臨んでも、人民を動かすのに礼をもってしなければ、まだ真に善政であるとはいえない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 知 … 知恵。知慮。学識。
  • 及之 … その位に到達する。学識がその地位にふさわしいこと。「之」は、その位・しかるべき地位を指す。
  • 仁 … 仁徳。
  • 守之 … その地位を守る。「之」は、その位を指す。
  • 得之 … その地位につく。「之」は、その位を指す。
  • 失之 … その地位を失う。「之」は、その位を指す。
  • 荘 … 厳格な態度。そうちょうな態度。
  • 涖之 … 民にのぞむ。人民に接する。「涖」は「臨」に同じ。「之」は、民を指す。
  • 涖 … 「莅」に作るテキストもある。同義。
  • 動之 … 民を動かす。「之」は、民を指す。
  • 未善 … まだ十分ではない。まだ善政とはいえない。
補説
  • 『注疏』に「此の章は官に居りて民に臨むの法を論ずるなり」(此章論居官臨民之法也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 知及之、仁不能守之、雖得之、必失之 … 『集解』に引く包咸の注に「知は能く其の官を治むるに及びて、仁守る能わざれば、之を得と雖も、必ず之を失うなり」(知能及治其官、而仁不能守、雖得之、必失之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人智識有りて、能く任じ得て官位を為す者に及ぶを謂う。故に智之に及ぶと云うなり。智を謀り能く及ぶと雖も、仁を用いて官位を守ること能わず。故に云う、仁能く之を守らざるなり、と。此れ皆中人徳を備えざる者を謂うなり。禄位は智に由りて得て之を為すと雖も、仁以て之を恃守すること無ければ、必ず禄位を失うなり」(謂人有智識、能任得及爲官位者。故云智及之也。雖謀智能及、不能用仁守官位。故云、仁不能守之也。此皆謂中人不備德者也。祿位雖由智而得爲之、無仁以恃守之、必失祿位也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「位を得るは知に由り、位を守るは仁に在り。若し人知は能く其の官を治むるに及べども、而も仁守ること能わずんば、禄位を得と雖も、必ず将に之を失わんとす」(得位由知、守位在仁。若人知能及治其官、而仁不能守、雖得祿位、必將失之)とある。また『集注』に「知は以て此の理を知るに足れども、私欲之をへだつれば、則ち以て之を身に有すること無し」(知足以知此理、而私欲間之、則無以有之於身矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 知 … 『義疏』では「智」に作る。
  • 知及之、仁能守之、不荘以涖之、則民不敬 … 『集解』に引く包咸の注に「げん以て之に臨まざれば、則ち民は其のかみに敬従せざるなり」(不嚴以臨之、則民不敬從其上也)とある。また『義疏』に「莅は、臨なり。又た言う、若し能く智及び仁守ると雖も、民に臨んで荘厳を用てせざるを為さば、則ち民の敬する所と為らず、と」(莅、臨也。又言、若雖能智及仁守、爲臨民不用莊嚴、則不爲民所敬)とある。また『注疏』に「荘は、厳なり。涖は、臨なり。言うこころは知其の官に及び、仁能く位を守ると雖も、厳にして以て之に臨まざれば、則ち民は其の上を敬従せず」(莊、嚴也。涖、臨也。言雖知及其官、仁能守位、不嚴以臨之、則民不敬從其上)とある。また『集注』に「涖は、臨むなり。民に臨むを謂うなり。此の理を知りて私欲以て之をへだつる無ければ、則ち知る所の者我に在りて失わず。然れども猶お荘ならざる者有り。蓋し気習の偏、或いは内に厚くして外に厳ならざる者有り。是を以て民其の畏る可きを見ずして、之をあなどかろんず。下句此にならう」(涖、臨也。謂臨民也。知此理而無私欲以間之、則所知者在我而不失矣。然猶有不莊者。蓋氣習之偏、或有厚於内而不嚴於外者。是以民不見其可畏、而慢易之。下句放此)とある。
  • 知及之、仁能守之、荘以涖之、動之不以礼、未善也 … 『集解』に引く王粛の注に「動くに必ず礼を以てすれば、然る後に善なり」(動必以禮、然後善也)とある。また『義疏』に「智は仁守、莅荘に及ぶと雖も、而れども動静必ず須らく礼以て之をおこなうべし。若し動静に礼を用いざれば、則ち未だ尽くは善からずと為すなり」(雖智及仁守莅莊、而動静必須禮以將之。若動静不用禮、則爲未盡善也)とある。また『注疏』に「言うこころは動かすに必ず礼を以てして、然る後に善なり」(言動必以禮、然後善)とある。また『集注』に「之を動かすは、民を動かすなり。猶お鼓舞して之を作興さくこうすと曰うがごとしと云うのみ。礼は、義理の節文を謂う」(動之、動民也。猶曰鼓舞而作興之云爾。禮、謂義理之節文)とある。
  • 『集注』に「愚おもえらく、学は仁に至れば、則ち善はこれを己に有して、大本立つ。之にのぞむこと荘ならず、之を動かすに礼を以てせざるは、乃ち其のひん学問のしょうなり。然れども亦た善を尽くすの道に非ざるなり。故に夫子之を歴言して、徳愈〻いよいよ全ければ則ち責愈〻いよいよ備わり、以て小節と為して之をゆるがせにす可からざるを知らしむるなり」(愚謂、學至於仁、則善有諸己、而大本立矣。涖之不莊、動之不以禮、乃其氣稟學問之小疵。然亦非盡善之道也。故夫子歴言之、使知德愈全則責愈備、不可以爲小節而忽之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ専ら君たるの道を言いて、成ることをかみに責むるなり。君たるの難きを知るや、一言にして邦を興すことをせざらん。謂う所知之に及ぶなり。聖人の大宝を位と曰う。何を以て之を守る。曰く仁、謂う所仁之を守るなり。能く此の二者を尽くせば、則ち君たるの道ん。然れども身を守るに度無ければ、則ち民あなどり、而して令行われず。故に荘以て之をのぞまざれば、民敬せざるなり。礼は以て上下を弁じ、民の志を定む。故に之を動かすに礼を以てせざれば、則ち亦た未だ善からざるなり。蓋し知・仁・荘・礼一を廃す可からずと雖も、然れども知と仁とは其の本なるか」(此專言爲君之道、責成於上也。知爲君之難也、不幾乎一言而興邦乎。所謂知及之也。聖人之大寳曰位。何以守之。曰仁、所謂仁守之也。能盡此二者、則爲君之道得焉。然守身無度、則民慢而令不行。故不莊以莅之、民不敬也。禮以辨上下、定民志。故動之不以禮、則亦未善也。蓋雖知仁莊禮不可廢一、然知仁其本也歟)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「知之に及ぶ、仁斎曰く、言うは君たるの難きを知ると雖も、徳以て之を守るに非ざるときは、則ち必ず其の位を失う、と。仁之を守る、仁斎聖人の大宝を位と曰う、何を以て之を守る、曰く仁というを引く。朱註に勝ること万万ばんばんなり。朱子以て君子自ら脩むるの事と為せば、則ち下の二節得て通ず可からず。但だ之に及ぶとは、其の知以て人のかみと為る可きを謂うなり。及ぶとはかたんずる辞。凡そ人の知は、及ぶこと有り、及ばざること有り。けい有りと雖も、見る所狭小なれば、以て人の上と為る可からず。其の知の大、以て人の上と為る可き、是れ之を、知之に及ぶと謂う。何ぞだに君たるの難きを知るのみならんや。仁とは、仁政なり。仁政に非ずんば以て其の位を守るに足らず。而るに仁斎徳を以て之を言う。亦た之を失せり。そう以て之をのぞまざれば、則ち民敬せず、包咸曰く、厳以て之に臨まざれば、則ち民其の上に敬い従わず、と。尽くせり。之を動するに礼を以てす。朱註に、之を動すとは、民を動するなり。猶お鼓舞して之を作興すと曰うがごときのみと。之を得たり。蓋し礼なる者は、先王天下を治むるの道れより善きは莫し。此れに非ざれば天下を化成すること能わず。朱子曰く、礼は義理の節文を謂う、と。非なり。仁斎曰く、礼は以てしょうを弁じ民志を定む、と。亦た動の字にくらし」(知及之、仁齋曰、言雖知爲君之難、而非德以守之、則必失其位。仁守之、仁齋引聖人之大寳曰位、何以守之曰仁。勝朱註萬萬。朱子以爲君子自脩之事、則下二節不可得而通矣。但知及之者、謂其知可以爲人上也。及者難辭。凡人之知、有及焉、有不及焉。雖有知慧、所見狹小、不可以爲人上。其知之大、可以爲人上、是謂之知及之。何翅知爲君之難已哉。仁者、仁政也。非仁政不足以守其位。而仁齋以德言之。亦失之。不莊以涖之、則民不敬、包咸曰、不嚴以臨之、則民不敬從其上。盡矣。動之以禮。朱註、動之、動民也。猶曰鼓舞而作興之云爾。得之矣。蓋禮者、先王治天下之道莫善焉。非此不能化成天下矣。朱子曰、禮謂義理之節文。非矣。仁齋曰、禮以辨上下定民志。亦昧乎動字矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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