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衛霊公第十五 33 子曰君子不可小知章

412(15-33)
子曰、君子不可小知、而可大受也。小人不可大受、而可小知也。
いわく、くんしょうせしむからずして、大受たいじゅせしむきなり。しょうじん大受たいじゅせしむからずして、しょうせしむきなり。
現代語訳
  • 先生 ――「人物は小手先はきかぬが、大しごとがまかせられる。俗物は大しごとはダメだが、小手先は得意だ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「大人物には、区々たる小技術をあつかわせ得ないが、国家の盛衰せいすい興亡こうぼうを引受けさせ得る。小人物には、天下の大事は担任たんにんさせ得ないが、雑用小事務は扱わせ得る。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「君子は、こまごましたことをやらせてみても、その人物の価値はわからない。しかし大事をまかせることができる。小人には大事はまかされない。しかし、こまごましたことをやらせてみると、使いどころがあるものである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 君子 … ここでは、大人物の意。
  • 小知 … つまらないちょっとしたことを知る。些末なことを理解し、それを実行する。小さな仕事を引き受けさせる。
  • 不可 … させられない。
  • 大受 … 大きな任務を引き受けさせる。大きな仕事をやらせる。
  • 可 … させられる。
  • 小人 … ここでは、小人物の意。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子・小人の道徳の深浅同じからざるの事を言うなり」(此章言君子小人道德深淺不同之事也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 君子不可小知、而可大受也 … 『集解』に引く王粛の注に「君子の道は深遠にして、小了を以て知る可からざるも、大受す可きなり」(君子之道深遠、不可以小了知、而可大受也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「君子の道は深遠なり。凡人と知る可からず。故に云う、小知せしむ可からざるなり。徳能く深く物を潤す。物之を受くること深し。故に云う、大受せしむ可きなり、と。張憑云う、謂えらく之の君子必ず大成の量有るも、必ずしも能く小善を為さざるなり。故に宜しく推誠闇信すべくして、虚しく以て将に之を受けんとす。備さに求む可からず、細行を以て之を責むるなり、と」(君子之道深遠。不與凡人可知。故云、不可小知也。德能深潤物。物受之深。故云、而可大受也。張憑云、謂之君子必有大成之量、不必能爲小善也。故宜推誠闇信、虚以將受之。不可求備、責以細行之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは君子の道は深遠、之を仰がば弥〻いよいよ高く、之をらば弥〻堅し。故に小了知す可からず、人をしてえんせしむるのみ。是れ大受す可きなり」(言君子之道深遠、仰之彌高、鑽之彌堅。故不可小了知也、使人饜飫而已。是可大受也)とある。饜飫は、あきること。また『集注』に「此れ人を観るの法を言う。知は、われ之を知るなり。受は、彼の受くる所なり。蓋し君子細事に於いては未だ必ずしも観る可からざれども、材徳は以て重きに任ずるに足る」(此言觀人之法。知、我知之也。受、彼所受也。蓋君子於細事未必可觀、而材德足以任重)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 小人不可大受、而可小知也 … 『集解』に引く王粛の注に「小人の道は浅近にして、小了を以て知る可きも、大受す可からざるなり」(小人之道淺近、可以小了知、而不可大受也)とある。また『義疏』に「小人の道は浅し。故に大受す可からずと云う。浅ければ則ち物の見る所と為り易し。故に以て小知す可きなり」(小人之道淺。故云不可大受。淺則易爲物所見。故可以小知也)とある。また『注疏』に「小人の道は浅近、きゅうかつを為し易し。故に大受す可からずして、小了知す可きなり」(小人之道淺近易爲窮竭。故不可大受、而可小了知也)とある。また『集注』に「小人は器量浅狭なりと雖も、而れども未だ必ずしも一長の取る可きこと無からず」(小人雖器量淺狹、而未必無一長可取)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ君子の得る所、小人と同じからざるを言うなり。君子の小事に於ける、未だ必ずしも其の能を見ずと雖も、然れども之を大事に用いれば、則ち綽綽として其れ余裕有らん。小人の小事に於ける、或いは取る可き者有りと雖も、然れども之に委ぬるに大事を以てせば、則ち褊浅へんせん狭小、受容すること能わざるが若きに非ざるなり」(此言君子之所得與小人不同也。君子於小事、雖未必見其能、然用之大事、則綽綽其有餘裕矣。非若小人於小事、雖或有可取者、然委之以大事、則褊淺狹小、不能受容也)とある。褊浅は、浅薄。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「朱子曰く、知は、われ之を知るなり。受は、彼の受くる所なり、と。之を得たり。……故に此の章は人をるの法に非ず。蓋し人を用うるの法なり。大受とは大いに之に任ずるなり。小知とはすこしく之を用うるなり。君子は大なる者を務めて以て其の徳を成し、其の材は以て大任するに足り、而うして小しく之を用う可からず。小人は内に大なる者無し。然れども亦た小長しょうちょう無くんばあらず。故に其の材は大任するに足らずと雖も、而も之を小用す可し」(朱子曰、知、我知之也。受、彼所受也。得之。……故此章非觀人之法矣。蓋用人之法也。大受者大任之也。小知者小用之也。君子務大者以成其德、其材足以大任、而不可小用之。小人無大者於内。然亦不無小長。故其材雖不足大任、而可小用之焉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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