為政第二 3 子曰道之以政章
019(02-03)
子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格。
子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格。
子曰く、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。
現代語訳
- 先生 ――「規則ずくめで、ビシビシやると、ぬけ道をつくって平気だ。親ごころをもって、ひきしめてやれば、恥じいってあらためる。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「法律ずくめの政治で人民を指導し、刑罰をもって統制を強行しようとすると、人民は刑罰を免れさえすればよいというので、廉恥心がなくなってしまう。仁義道徳をもって人民を指導し、礼儀作法で足なみをそろえるようにすれば、人民は恥を知っておのずから善に至るものぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「法律制度だけで民を導き、刑罰だけで秩序を維持しようとすると、民はただそれらの法網をくぐることだけに心を用い、幸にして免れさえすれば、それで少しも恥じるところがない。これに反して、徳をもって民を導き、礼によって秩序を保つようにすれば、民は恥を知り、みずから進んで善を行なうようになるものである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 道 … みちびく。指導する。「導」に同じ。
- 之 … 人民を指す。
- 政 … 「まつりごと」と読む。ここでは法律・取締りの規則など、政治的規制を広く指す。
- 「~以…」 … 「~するに…をもってす」と読み、「~するには…を用いる」と訳す。
- 斉 … 「ととのう」と読む。整える。統制する。また「ひとしくする」とも読む。
- 刑 … 刑罰。
- 免 … (刑罰から)逃れようとする。
- 徳 … 道徳。
- 礼 … 儀式作法。
- 且 … 「かつ」と読み、「その上に」と訳す。
- 格 … 「格る」と読むときは「なついて来る」と訳す。また「格し」と読むときは「正しくなる」と訳す。また「格る」と読むときは「善に至る」と訳す。
補説
- 『注疏』に「此の章は政を為すに徳を以てするの効を言うなり」(此章言爲政以德之效也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、道之以政 … 『集解』に引く孔安国の注に「政とは、法教を謂う」(政、謂法教)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の章は政を為すに徳を以てすれば勝る所以を証するなり。将に其の勝らんことを言わんとす。故に先ず其の劣る者を挙ぐるなり。導は、誘引を謂うなり。政は、法制を謂うなり。民を誘引するに法制を用うるを謂うなり。故に郭象云う、政とは、常制を立てて以て民を正す者なり、と」(此章證爲政以德所以勝也。將言其勝。故先舉其劣者也。導謂誘引也。政謂法制也。謂誘引民用法制也。故郭象云、政者立常制以正民者也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「政は、法教を謂い、道は、化誘するを謂う。民を化誘するに、法制・教命を以てするを言うなり」(政、謂法教、道、謂化誘。言化誘於民、以法制教命也)とある。また『集注』に「道は、猶お引導のごとし。之に先んずるを謂うなり。政は、法制禁令を謂うなり」(道、猶引導。謂先之也。政、謂法制禁令也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 道之以政 … 『義疏』では「導之以政」に作る。
- 斉之以刑 … 『集解』に引く馬融の注に「之を斉整するに刑罰を以てするなり」(齊整之以刑罰也)とある。斉整は、整え揃えること。また『義疏』に「斉は、之を斉整するを謂うなり。刑は、刑罰を謂うなり。故に郭象曰く、刑とは、法辟を興し割くを以て物を制する者なり、と」(齊謂齊整之也。刑謂刑罰也。故郭象曰、刑者、興法辟以割制物者也)とある。法辟は、刑法。また『注疏』に「斉は、斉整するを謂い、刑は、刑罰を謂う。之を道くに政を以てするも、而も民服せざる者は、則ち之を斉整するに刑罰を以てするを言うなり」(齊、謂齊整、刑、謂刑罰。言道之以政、而民不服者、則齊整之以刑罰也)とある。また『集注』に「斉しくすは、之を一にする所以なり。之を道けれども従わざる者は、刑以て之を一にすること有るなり」(齊、所以一之也。道之而不從者、有刑以一之也)とある。
- 民免而無恥 … 『集解』に引く孔安国の注に「苟に罪を免るるなり」(苟免罪也)とある。また『義疏』に「免は、猶お脱のごときなり。恥は、恥辱なり。政を為すに若し法制を以て民を導き、刑罰を以て民を斉しくすれば、則ち民畏威して苟且にも百方に巧みに避けて、罪辟に免脱せんことを求めて、復た恥を避くることを知らず、故に恥無きなり。故に郭象云う、制常有れば則ち矯る可し、法辟興れば則ち避く可し。避く可くんば則ち情に違いて苟くも免る。矯る可くんば則ち性を去りて制に従う。制に従えば正を外にして心の内未だ服せず。人苟くも免れんことを懐けば、則ち物に恥ずる無し。其れ化に於いて亦た薄からざらんや。故に民免れんとして恥無しと曰うなり」(免、猶脱也。恥、恥辱也。爲政若以法制導民、以刑罰齊民、則民畏威苟且、百方巧避、求於免脱罪辟、而不復知避恥、故無恥也。故郭象云、制有常則可矯、法辟興則可避。可避則違情而苟免。可矯則去性而從制。從制外正而心内未服。人懷苟免、則無恥於物。其於化不亦薄乎。故曰民免而無恥也)とある。罪辟は、刑罰。また『注疏』に「免は、苟に免るるなり。君上の民を化するに、徳を以てせずして法制・刑罰を以てすれば、則ち民は皆巧みに詐りて苟に免れ、而して心に愧恥すること無きを言うなり」(免、苟免也。言君上化民、不以德而以法制刑罰、則民皆巧詐苟免、而心無愧恥也)とある。また『集注』に「免れて恥無しは、苟に刑罰を免れて羞愧する所無きを謂う。蓋し敢えて悪を為さずと雖も、而れども悪を為すの心、未だ嘗て亡びざるなり」(免而無恥、謂苟免刑罰而無所羞愧。蓋雖不敢爲惡、而爲惡之心、未嘗亡也)とある。
- 道之以徳 … 『集解』に引く包咸の注に「徳とは、道徳を謂う」(德、謂道德)とある。また『義疏』に「此れ即ち勝る者を挙ぐるなり。民を誘引するに道徳の事を以てするを謂うなり。郭象云く、徳とは、其の性を得る者なり、と」(此即舉勝者也。謂誘引民以道德之事也。郭象云、德者得其性者也)とある。また『注疏』に「徳は、道徳を謂う」(德、謂道德)とある。
- 道之以德 … 『義疏』では「導之以德」に作る。
- 斉之以礼 … 『義疏』に「礼を以て之を斉整するなり。郭象云く、礼とは、其の情を体するなり、と」(以禮齊整之也。郭象云、禮者體其情也)とある。また『集注』に「礼は、制度品節を謂うなり」(禮、謂制度品節也)とある。
- 有恥且格 … 『経典釈文』に「格は、……鄭云う、来たるなり、と」(格、……鄭云來也)とある。『経典釈文』(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)参照。また『集解』の何晏の注に「格とは、正なり」(格者、正也)とある。また『注疏』に「格は、正なり。君上の民を化するには、必ず道徳を以てし、民の或いは未だ化に従わずんば、則ち礼を制して以て斉整し、民をして礼を有てば則ち安く、礼を失えば則ち恥ずることを知らしむるを言う。此くの如くんば則ち民に愧恥有りて、礼を犯さず、且つ能く自ら修めて正しきに帰するなり」(格、正也。言君上化民、必以道德、民或未從化、則制禮以齊整、使民知有禮則安、失禮則恥。如此則民有愧恥、而不犯禮、且能自脩而歸正也)とある。また『集注』に「格は、至るなり。言うこころは躬行して以て之を率いれば、則ち民固より観感して興起する所有り。而して其の浅深厚薄の一ならざる者は、又た礼以て之を一にすること有れば、則ち民不善を恥じて、又た以て善に至ること有るなり。一説に、格は、正すなり。書に曰く、其の非心を格す、と」(格、至也。言躬行以率之、則民固有所觀感而興起矣。而其淺深厚薄之不一者、又有禮以一之、則民恥於不善、而又有以至於善也。一說、格、正也。書曰、格其非心)とある。躬行は、自分で実際に行うこと。
- 『集注』に「愚謂えらく、政とは、治を為すの具、刑とは、治を輔くるの法なり。徳・礼は則ち治を出だす所以の本にして、徳も又た礼の本なり。此れ其の終始を相為し、以て偏廃す可からざると雖も、然れども政刑は能く民をして罪より遠ざけしむるのみ。徳・礼の効は、則ち以て民をして日〻善に遷らせて自ら知らざらしむる有り。故に民を治むる者は、徒らに其の末を恃む可からず、又た当に深く其の本を探るべきなり」(愚謂、政者、爲治之具、刑者、輔治之法。德禮則所以出治之本、而德又禮之本也。此其相爲終始、雖不可以偏廢、然政刑能使民遠罪而已。德禮之效、則有以使民日遷善而不自知。故治民者、不可徒恃其末、又當深探其本也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し政刑の功は速やかなりと雖も、而れども其の効は小なり。徳礼の効は緩きに似たれども、其の化は大なり。其の効小なり、故に治遂に成らず。其の化大なり、故に其の治愈〻久しくして窮まり無し。此れ風俗醇醨の由りて分るる所、国祚修短の由りて判るる所、王覇の別は、専ら此に在り。先王偏えに徳礼を恃みて政刑を廃するに非ざるなり。特に其の恃む所の者は、此に在りて彼に在らざるのみ」(蓋政刑之功雖速、而其效小也。德禮之效似緩、而其化大也。其效小、故治遂不成。其化大、故其治愈久而無窮。此風俗醇醨之所由分、國祚修短之所由判、王覇之別、專在于此。先王非偏恃德禮而廢政刑也。特其所恃者、在此而不在彼耳)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。醇醨は、人情・風俗の厚いことと薄いこと。国祚は、国の幸い。
- 荻生徂徠『論語徴』に「之を道くに徳を以うとは、有徳の人を用うるを謂うなり。則ち民感化する所有り。是れを之れ、之を道くと謂うなり。……恥ずること有りて且つ格る、古註に正すと訓ずるは、未だ是ならず。朱子の至ると訓ずるを是と為す。然れども亦た感格の意有り。蓋し感・格は声音相通ず。故に古昔格の字は、多く之を皇天鬼神宗廟に用う。又た有苗格るの如き、皆感格の意有り。其の非き心を格す、亦た感動の意有り」(道之以德、謂用有德之人也。則民有所感化。是之謂道之也。……有恥且格、古註訓正、未是。朱子訓至爲是。然亦有感格意。蓋感格聲音相通。故古昔格字、多用之於皇天鬼神宗廟。又如有苗格、皆有感格意。格其非心、亦有感動意)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。感格は、感じいたること。ある心情を実感して、自分の内面に取り入れること。皇天は、天の神。
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