為政第二 20 季康子問章
036(02-20)
季康子問、使民敬忠以勸、如之何。子曰、臨之以莊則敬。孝慈則忠。舉善而教不能則勸。
季康子問、使民敬忠以勸、如之何。子曰、臨之以莊則敬。孝慈則忠。舉善而教不能則勸。
季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、之を如何せん。子曰く、之に臨むに荘を以てすれば則ち敬す。孝慈なれば則ち忠なり。善を挙げて不能を教うれば則ち勧む。
現代語訳
- 季孫さんがきく、「人民にうやまい、したがい、はげませるには、どうします…。」先生 ――「重みを見せればうやまい、やさしくすればしたがい、すぐれた人にみちびかせれば、はげみます。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 季康子が「人民をして上を敬い、君に忠に、善を為すに熱心ならしめるには、どうしたらよいでしょうか。」とたずねた。孔子が言うよう、「荘重な態度で人民に接すれば、人民は上を敬うようになります。上たる者が父母に孝に子孫を愛すれば、人民は君に忠になります。善人を引き上げ不能者を教導するようにすれば、人民は自然と善をはげむようになります。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 大夫の季康子がたずねた。――
「人民をしてその支配者に対して敬意と忠誠の念を抱かせ、すすんで善を行わしめるようにするためには、どうしたらいいでしょうか」
先師はこたえられた。――
「支配者の態度が荘重端正であれば人民は敬意を払います。支配者が親に孝行であり、すべての人に対して慈愛の心があれば、人民は忠誠になります。有徳の人を挙げて、能力の劣った者を教育すれば、人民はおのずから善に励みます」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 季康子 … 魯の国の大夫、季孫氏。名は肥、康は諡号。父・季桓子の後を継ぎ、筆頭家老となったのは孔子六十歳頃であったと言われている。ウィキペディア【三桓氏】参照。
- 敬忠 … 敬は、尊敬。忠は、真心。目上の人を敬い、忠義を尽くすこと。
- 勧 … 人民が自発的に仕事に励む。
- 如之何 … どうしたらよいか。
- 荘 … 荘重な態度。
- 孝慈 … 親に孝行し、子孫をかわいがる。
- 挙善 … 善行ある者を賞揚する、または登用する。
- 教不能 … 能力に乏しい者を教え導く。
- 則勸 … 仕事に励む。
補説
- 『注疏』に「此の章は民をして敬忠にして善に勧ましむるの法を明らかにす」(此章明使民敬忠勸善之法)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 季康子問 … 『集解』に引く孔安国の注に「魯卿の季孫肥なり。康は、諡なり」(魯卿季孫肥也。康、諡也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「魯の臣なり」(魯臣也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「季康子は、魯の執政の上卿なり」(季康子、魯執政之上卿也)とある。また『集注』に「季康子は、魯の大夫季孫氏、名は肥」(季康子、魯大夫季孫氏、名肥)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 使民敬忠以勧、如之何 … 『義疏』に「其れ既に無道僣濫す。故に民は敬せず、忠ならず、相勧奨せず。所以に孔子に問いて、民をして敬及び忠及び勧の三事を行わしめんことを学ばんことを求むるなり。故に之を如何せんと云う」(其既無道僭濫。故民不敬、不忠、不相勸奬。所以問孔子、求學使民行敬及忠及勸三事也。故云如之何)とある。僣濫は、分限を越えて秩序を乱すこと。また『注疏』に「時に已に僭濫す、故に民は敬・忠・勧勉せず。故に孔子に問いて曰く、民人をして上を敬し忠を尽くし勧み勉めて善を為さしめんと欲す、其の法は之を如何せん、と」(時已僭濫、故民不敬忠勸勉。故問於孔子曰、欲使民人敬上盡忠勸勉爲善、其法如之何)とある。
- 子曰、臨之以荘則敬 … 『集解』に引く包咸の注に「荘は、厳なり。君、民に臨むに厳を以てすれば、則ち民は其の上を敬するなり」(莊、嚴也。君臨民以嚴、則民敬其上也)とある。また『義疏』に「答うるに三事の術を為さしめんとす。民、上の化に従うこと草の風に従うが如し。臨は、高きを以て下を視るを謂うなり。荘は、厳なり。言うこころは君、上に居て下に臨むに、若し自ら能く厳整なれば、則ち下民皆為に其の上を敬するなり」(答使爲三事之術也。民從上化如草從風也。臨、謂以高視下也。莊、嚴也。言君居上臨下、若自能嚴整、則下民皆爲敬其上也)とある。また『注疏』に「此れ之に答うるなり。上より下を涖むを臨と曰う。荘は、厳なり。君民に臨むに厳を以てすれば、則ち民は其の上を敬するを言う」(此答之也。自上涖下曰臨。莊、嚴也。言君臨民以嚴、則民敬其上)とある。また『集注』に「荘は、容貌の端厳なるを謂うなり。民に臨むに荘を以てすれば、則ち民、己を敬す」(莊、謂容貌端嚴也。臨民以莊、則民敬於己)とある。
- 孝慈則忠 … 『集解』に引く包咸の注に「君能く上には親に孝し、下には民に慈すれば、則ち民は忠なり」(君能上孝於親、下慈於民、則民忠也)とある。また『義疏』に「又た言う、君若し上は父母に孝、下は民人に慈なれば、則ち民皆忠心を尽竭し、以て其の上を奉ずるなり。故に江熙曰く、言うこころは民は上に法りて行うなり。上孝慈なれば、則ち民も亦た孝慈なり。其の親に孝なれば、乃ち能く君に忠なり。忠臣を求むるは、必ず孝子の門に於いてなり、と」(又言、君若上孝父母、下慈民人、則民皆盡竭忠心、以奉其上也。故江熙曰、言民法上而行也。上孝慈、則民亦孝慈。孝於其親、乃能忠於君。求忠臣、必於孝子之門也)とある。また『注疏』に「君能く上は親に孝に、下は民を慈しめば、則ち民は忠を作すを言う」(言君能上孝於親、下慈於民、則民作忠)とある。また『集注』に「親に孝に、衆に慈なれば、則ち民、己に忠なり」(孝於親、慈於衆、則民忠於己)とある。
- 挙善而教不能則勧 … 『集解』に引く包咸の注に「善人を挙用して不能の者を教うれば、則ち民は勧むるなり」(舉用善人而教不能者、則民勸也)とある。また『義疏』に「又た言う、若し民の中に善者有らば、則ち挙げて之に禄位す。若し民の中に未だ善に能わざる者は、則ち教令して能くせしむ。若し能く此くの如くんば、則ち民競いて勧慕の行いを為さん、と」(又言、若民中有善者、則舉而祿位之。若民中未能善者、則教令使能。若能如此、則民競爲勸慕之行也)とある。また『注疏』に「言うこころは君能く善人を挙用して、之を禄位に置き、不能の人を教誨して、之をして材能ならしむ、此くの如くすれば則ち民は相勧み勉めて善を為すなり。時に於いて魯君は深宮に蚕食し、季氏は専ら国政を執りて、則ち君の如し。故に此の答えは皆人君の事を以て之を言うなり」(言君能舉用善人、置之祿位、教誨不能之人、使之材能、如此則民相勸勉爲善也。於時魯君蠶食深宮、季氏專執國政、則如君矣。故此答皆以人君之事言之也)とある。また『集注』に「善者は之を挙げて、不能者は之を教うれば、則ち民勧むる所有りて、善を為すを楽しむ」(善者舉之、而不能者教之、則民有所勸、而樂於爲善)とある。
- 則勧 … 『義疏』では「則民勧」に作る。
- 『集注』に引く張敬夫(張栻、敬夫は字)の注に「此れ皆我に在りて、当に為すべき所なり。民をして敬忠にして以て勧めんと欲するが為にして之を為すに非ざるなり。然れども能く是くの如くなれば、則ち其の応、蓋し然るを期せずして然る者有り」(此皆在我、所當爲。非爲欲使民敬忠以勸而爲之也。然能如是、則其應蓋有不期然而然者矣)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「故に知る、国を治むるの本は、自ら其の身を正しくするに在りて、智術を以て之を為すを得ざるなり。康子の意、速効を求むるに在りて、夫子の答うる所は、専ら自ら治むるに在り。若し康子をして夫子の意に達せしめば、其の魯国を治むる所以の者、豈に其の欲する所の如くなるを得ざること有らんや」(故知治國之本、在自正其身、而不得以智術爲之也。康子之意、在求速效、而夫子之所答、專在於自治。若使康子達夫子之意、其所以治魯國者、豈有不得如其所欲邪)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「之に臨むに荘を以てす、下に臨むの道なり。蓋し天は至高にして企て及ぶ可からず。至遠にして窺い測る可からず。至大にして尽くす可からず。日月星辰、上に森羅す。君子の民を治むる、天道を奉じて以て之を行う。故に斎明盛服して、礼に非ざれば動かず、以て之に象る。天を敬する所以なり。夫れ民をば天民と曰う。諸を君に属せずして諸を天に属す。臣は則ち皆君の臣なり。古えの道なり。故に天道を奉じて以て之に臨む。是れ之を荘と謂う。然る後孝慈なるは、春風の行わるるなり。哀公に語るに直きを挙ぐるのみ。季康子に語るには、善を挙げて不能を教う。益〻詳らかなり。君と大夫との分なり」(臨之以莊、臨下之道也。蓋天至高而不可企及矣。至遠而不可窺測矣。至大而不可盡矣。日月星辰森羅於上焉。君子之治民、奉天道以行之。故齋明盛服、非禮不動以象之。所以敬天也。夫民曰天民。不屬諸君而屬諸天。臣則皆君之臣也。古之道也。故奉天道以臨之。是謂之莊。然後孝慈、春風之行也。語哀公舉直而已矣。語季康子、舉善而教不能。益詳矣。君與大夫之分也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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