衛霊公第十五 22 子曰君子不以言舉人章
401(15-22)
子曰、君子不以言舉人、不以人廢言。
子曰、君子不以言舉人、不以人廢言。
子曰く、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。
現代語訳
- 先生 ――「人物はことばだけで人をひき立てず、ダメな人のことばもすてない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「君子は公平でしかも明敏だから、りっぱなことを言ったからというだけではその人を信用せず、言った人が悪いとか賤しいとかいうので善い言葉を捨てない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「君子は、言うことがりっぱだからといって人を挙用しないし、人がだめだからといって、その人の善い言葉をすてはしない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 以言 … 立派な言葉を言っても。言葉だけを信用して。「言」は、善言の意。
- 挙 … 抜擢する。任用する。採用する。取り上げる。「挙げず」は「挙せず」と読んでもよい。
- 以人 … 人によって。その人が自分の気に入らない人だという理由で。
- 廃言 … その人のよい言葉まで否定する。「廃せず」は「廃てず」と読んでもよい。
補説
- 『注疏』に「此の章は君子の人を用うるに、其の善節を取るを言うなり」(此章言君子用人、取其善節也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集注』には、この章の注なし。
- 君子不以言挙人 … 『集解』に引く包咸の注に「言有る者は必ずしも徳有らず。故に言を以て人を挙ぐ可からざるなり」(有言者不必有德。故不可以言舉人也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人を挙ぐるは、必ず須らく其の徳行を知るべし。言を聴きて之を薦挙す可からず。故に君子は為さざるなり」(舉人、必須知其德行。不可聽言而薦舉之。故君子不爲也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言有る者は必ずしも徳有らず、故に言を以て人を挙ぐることをす可からず。当に言を察し行いを観、然る後に之を挙ぐべし」(有言者不必有德、故不可以言舉人。當察言觀行、然後舉之)とある。
- 不以人廃言 … 『集解』に引く王粛の注に「徳無きを以てして善言を廃す可からず」(不可以無德而廢善言)とある。また『義疏』に「言又た彼の人の卑賤を以てして、其の美言を廃して用いざる可からざるなり。故に李充云う、蒭蕘を詢い、下問を恥じざるなり、と」(言又不可以彼人之卑賤、而廢其美言而不用也。故李充云、詢於蒭蕘、不恥下問也)とある。蒭蕘は、草刈りと木こり。転じて、身分のいやしい者。また『注疏』に「夫婦の愚は、以て与に知る可し。故に徳無きを以てして善言を廃す可からざるなり」(夫婦之愚、可以與知。故不可以無德而廢善言也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「言を以て人を挙ぐれば、則ち恐らくは小人を得ん。人を以て言を廃すれば、則ち恐らくは善言を遺さん。言を以て人を挙げざるは智なり。人を以て言を廃せざるは仁なり」(以言舉人、則恐得小人。以人廢言、則恐遺善言。不以言舉人智也。不以人廢言仁也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「徳有る者必ず言有りと雖も、然れども言有る者必ずしも徳有らざるなり。君子の其の言を恥じて其の行いを過ごすも、亦た此れを以てなり。舜の問うことを好んで而うして邇言を察するを好むも、亦た此れを以てなり。聖人の言、何ぞ其れ符契を合するが如くなるや」(雖有德者必有言、然有言者不必有德也。君子之恥其言而過其行。亦以此。舜之好問而好察邇言、亦以此。聖人之言、何其如合符契也)とある。邇言は、卑近な言葉。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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