>   論語   >   憲問第十四   >   29

憲問第十四 29 子曰君子恥其言而過其行章

361(14-29)
子曰、君子恥其言而過其行。
いわく、くんげんおこないにぐるをず。
現代語訳
  • 先生 ――「よくできた人はことばがおこないを越えるのを恥じる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「君子たる者は、言葉が行いよりも大げさなのを恥じる。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「君子は言葉が過ぎるのを恥じる。しかし実践には過ぎるほど努力する」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 君子 … 徳の高い立派な人。人格者。反対は小人。
  • 恥其言 … 実行の伴わない発言を恥じ、言葉を慎むこと。
  • 過其行 … 実行が言葉以上であるよう努力すること。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人に言・行をして相わしむるをすすむるなり」(此章勉人使言行相副也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集解』には、この章の注なし。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 君子恥其言而過其行 … 『義疏』に「君子の人、言を顧みて行いを慎む。若しむなしく言を出ださば、行いあまねくこと能わず。是れ言其の行いに過ぐるなり。君子之を恥ず。小人則ちしからず」(君子之人、顧言愼行。若空出言、而不能行遍。是言過其行也。君子恥之。小人則否)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「君子は言・行をば相顧る、若し言其の行いに過ぐるをば、言有れども行いは副わずと謂い、君子の恥ずる所なり」(君子言行相顧、若言過其行、謂有言而行不副、君子所恥也)とある。また『集注』に「恥とは、敢えて之を尽くさざるの意。過とは、余り有るを欲するの辞」(恥者、不敢盡之意。過者、欲有餘之辭)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 而 … 『義疏』では「之」に作る。
  • 其行 … 『義疏』では「其行也」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「言は行いを顧み、行いは言を顧みる。故に言其の実にぐるは、君子の恥ずる所なり。嘗て曰う、古えは言のいださざるは、およばざるを恥じてなり、と。君子の実を務むることや此くの如し」(言顧行、行顧言。故言浮其實、君子所恥。嘗曰、古者言之不出、恥躬之不逮也。君子之務實也如此)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「邢昺の疏に、君子は言行相顧みる。言其の行いに過ぐるが若きは、言うこと有りて行いわざるを謂う、君子の恥ずる所なり、と。仁斎之に従う。然れども文法もとる。朱註に、恥ずとは敢えて尽くさざるの意。過ぐとは余り有らんことを欲すの辞、と。分かちてりょうせつと作す。亦た而の字を失す。蓋し君子の其の行いを過ごす所以の者は、其のすでに言う所を恥ずるが故なるを謂うなり」(邢昺疏、君子言行相顧。若言過其行、謂有言而行不副、君子所恥也。仁齋從之。然文法乖。朱註、恥者不敢盡之意。過者欲有餘之辭。分作兩截。亦失而字。蓋謂君子之所以過其行者。恥其所已言故也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十