>   論語   >   憲問第十四   >   26

憲問第十四 26 蘧伯玉使人於孔子章

358(14-26)
蘧伯玉使人於孔子。孔子與之坐而問焉。曰、夫子何爲。對曰、夫子欲寡其過、而未能也。使者出。子曰、使乎使乎。
きょはくぎょくひとこう使つかわす。こうこれあたえてう。いわく、ふうなにをかす。こたえていわく、ふうあやまちをすくなくせんとほっするも、いまあたわざるなり。使しゃづ。いわく、使つかいなるかな、使つかいなるかな。
現代語訳
  • 蘧(キョ)伯玉が、使いを孔先生によこした。孔先生はかれを席につかせてたずねる。――「ご主人はどうしておられます…。」返事 ――「主人は落ちどのないようにと、心がけてはおりますが…。」使いの人がさがったあと、先生 ――「いい使いだ、いい使いだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • きょはくぎょくが孔子様の所へ使者をよこした。用談終って後、マアすわりなさいと座を与えて、「ご主人は昨今何をしてござるか。」とたずねられたら、使者が、「何とかして過ちを少なくしたいと心がけておりますが、なかなか左様に参らぬので困っております。」と答えた。使者が帰った後に孔子様が、「大した使者じゃ、大した使者じゃ。」とほめられた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • きょはくぎょくが先師に使者をやった。先師は使者を座につかせてたずねられた。――
    「ご主人はこのごろどんなことをしておすごしでございますか」
    使者がこたえた。――
    「主人はなんとかして過ちを少なくしたいと苦心していますが、なかなかそうはまいらないようでございます」
    使者が帰ったあとで、先師がいわれた。――
    「見事な使者だ、見事な使者だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 蘧伯玉 … 衛の大夫。姓はきょ。名はえん。伯玉はあざな。「五十にして四十九年の非を知る」は蘧伯玉の言葉として有名。ウィキペディア【蘧伯玉】参照。
  • 与之坐 … 使者を座席に座らせて。「之」は、使者を指す。
  • 夫子 … あのかた。大夫に対する敬称。伯玉を指す。
  • 使乎 … 見事な使者だなあ。「乎」は、「か」「かな」と読み、「~であるなあ」と訳す。感嘆の意を示す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は衛の大夫蘧瑗の徳を論ず」(此章論衞大夫蘧瑗之德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 蘧伯玉使人於孔子 … 『集解』に引く孔安国の注に「伯玉は、衛の大夫の蘧瑗なり」(伯玉、衞大夫蘧瑗也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人をして孔子の処に往かしむ」(使人往孔子處)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「蘧伯玉は、衛の大夫、名は瑗。孔子衛に居りて、嘗て其の家を主とす。既にして魯に反る。故に伯玉人をして来たらしむるなり」(蘧伯玉、衞大夫、名瑗。孔子居衞、嘗主於其家。既而反魯。故伯玉使人來也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 孔子与之坐而問焉 … 『義疏』に「孔子伯玉の使者に坐を与えて之に問う」(孔子與伯玉之使者坐而問之)とある。また『集注』に「之と坐すとは、其の主を敬し以て其の使いに及ぼすなり」(與之坐、敬其主以及其使也)とある。
  • 夫子何為 … 『義疏』に「此れ孔子問う所の事なり。孔子伯玉を指して夫子と為す。使者に問う、汝の家の夫子何をか作為する所ぞや、と」(此孔子所問之事。孔子指伯玉爲夫子。問使者、汝家夫子何所作爲耶)とある。また『注疏』に「夫子は、蘧伯玉を指すなり。蘧伯玉に君子の名有り、故に孔子其の使人に問いて曰く、夫子は何の云為する所ありて、此の君子の名誉を得たるや、と」(夫子、指蘧伯玉也。蘧伯玉有君子之名、故孔子問其使人曰、夫子何所云爲、而得此君子之名譽乎)とある。また『集注』に「夫子は、伯玉を指すなり」(夫子、指伯玉也)とある。
  • 夫子欲寡其過、而未能也 … 『集解』の何晏の注に「夫子は其の過ちを寡なくせんと欲すれども、未だ過ち無きこと能わざるを言うなり」(言夫子欲寡其過、而未能無過也)とある。また『義疏』に「使者答えて言う、我が家の夫子恒に自ら修省す。夙夜戒慎し、自ら過失を寡少にせんと欲すれども、未だ過ちを寡なくすること能わざるなり、と」(使者答言、我家夫子恆自修省。夙夜戒愼、欲自寡少於過失、而未能寡於過也)とある。また『注疏』に「言うこころは夫子は常に自ら脩省し、其の過ちを寡少にせんと欲するも、未だ過ち無きこと能わざるなり」(言夫子常自脩省、欲寡少其過、而未能無過也)とある。また『集注』に「其の但だ過ちを寡なくせんと欲して、猶お未だ能くせずと言えば、則ち其の身を省み己に克ち、常に及ばざるが若きの意見る可し。使者の言愈〻自ら卑約にして、其の主の賢益〻あらわる」(言其但欲寡過、而猶未能、則其省身克己、常若不及之意可見矣。使者之言愈自卑約、而其主之賢益彰)とある。
  • 使者出 … 『義疏』に「使者答えわりて出づ」(使者答竟而出)とある。
  • 使乎使乎 … 『集解』に引く陳群の注に「使いなるかなと再言するは、之をみすればなり。使い其の人を得たるを言うなり」(再言使乎、善之也。言使得其人也)とある。また『義疏』に「孔子使者の美たるをむるなり。故に使いなるかなと再言する者なり。言うこころは伯玉の使いする所、其の人を得たりと為すなり。顔子すら尚お未だ過ち無きこと能わず。況んや伯玉をや。而るに使者未だ能わずと曰う。是れ伯玉の心を得て欺かれざるなり」(孔子美使者之爲美。故再言使乎者。言伯玉所使、爲得其人也。顏子尚未能無過。況伯玉乎。而使者曰未能。是得伯玉之心而不見欺也)とある。また『注疏』に「孔子其の使いに其の人を得るを善みす、故に使いなるかなと言う。之を善みする所以は、顔回すら尚お未だ過ち無きこと能わず、況んや伯玉をや。而るに使者の未だ能わずと云うは、是れ伯玉の心欺かれざるなり」(孔子善其使得其人、故言使乎。所以善之者、顏回尚未能無過、況伯玉乎。而使者云未能、是伯玉之心不見欺也)とある。また『集注』に「亦た深く君子の心を知りて、辞令を善くする者と謂う可し。故に夫子再び使いなるかなと言いて、以て重ねて之をむ。按ずるに、荘周称す、伯玉行年五十にして、四十九年の非を知る、と。又た曰く、伯玉行年六十にして、六十化す、と。蓋し其の徳に進むの功、老いて倦まず。ここを以て践履篤実にして、光輝宣著。惟だ使者之を知るのみならずして、夫子も亦た之を信ずるなり」(亦可謂深知君子之心、而善於辭令者矣。故夫子再言使乎、以重美之。按莊周稱伯玉行年五十、而知四十九年之非。又曰、伯玉行年六十、而六十化。蓋其進德之功、老而不倦。是以踐履篤實、光輝宣著。不惟使者知之、而夫子亦信之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「道の窮まり無きを知りて、而る後に人の過ち無きこと能わざるを識る。己の為にするの実心有りて、而る後に過ちの寡なくすること能わざるを知る。故に曰く、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う、と。蓋し過ちの深く咎む可からずして、改めざるに至りて、然る後に実の過ちと為ることを言うなり。伯玉の使いは、其の過ち無からんことを欲すと曰わずして、過ちを寡なくせんことを欲すと曰い、能く過ちを寡なくすと曰わずして、未だ能わずと曰う。蓋し深く聖人の心に合すること有り。うべなるかな夫子の深く之を歎ずること。……殊に知らず人木石ぼくせきに非ず。過ち無きこと能わず」(知道之無窮、而後識人之不能無過。有爲己之實心、而後知過之不能寡。故曰、過而不改、是謂過矣。蓋言過之不可深咎、而至於不改、然後爲實過也。伯玉之使、不曰其欲無過、而曰欲寡過、不曰能寡過、而曰未能。蓋深有合乎聖人之心。宜乎夫子之深歎之也。……殊不知人非木石。不能無過)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「仁斎先生、蘧伯玉人を孔子に使わす章を解して曰く、……味い有るかな其の之を言うこと」(仁齋先生解蘧伯玉使人於孔子章而曰、……有味乎其言之)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十