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憲問第十四 25 子曰古之學者爲己章

357(14-25)
子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。
いわく、いにしえ学者がくしゃおのれためにし、いま学者がくしゃひとためにす。
現代語訳
  • 先生 ――「昔の学問は自分をのばすためだったが、今の学問は人に見せるためだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人の学問は自分の修養のためだったが、今の人の学問はただ人に知られんがためである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「昔の人は自分を伸ばすために学問をした。今の人は人に見せるために学問をしている」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 古 … 昔の。
  • 学者 … 学問をする人。
  • 為己 … 自分の修養のために学問する。「為」は「ためにす」と動詞に読む。
  • 為人 … 人に知られたいために学問する。人から名声を得たいために学問する。
補説
  • 『注疏』に「此の章は古今の学ぶ者の同じからざるを言うなり」(此章言古今學者不同也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 古之学者為己 … 『集解』に引く孔安国の注に「己の為にするは、道をみて之を行う」(爲己、履道而行之)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「古人の学ぶ所、己未だ善くせず。故に先王の道を学ぶ。以て自己之を行わんと欲するなり。己を成すのみなり」(古人所學、己未善。故學先王之道。欲以自己行之。成己而已也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「古人の学ぶは、則ちみて之を行う、是れ己の為にするなり」(古人之學、則履而行之、是爲己也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「己の為にするは、之を己に得んことを欲するなり」(爲己、欲得之於己也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 今之学者為人… 『集解』に引く孔安国の注に「人の為にするは、だに能く之を言うのみなり」(爲人、徒能言之也)とある。また『義疏』に「今の世の学は、以て復た己の行闕を補わんと為すに非ず。正に是れ図りて能く人に勝ち、人の為に己の美を言わんと欲するなり。己の行いの足らざるが為にするに非ざるなり」(今之世學、非以復爲補己之行闕。正是圖能勝人、欲爲人言己之美。非爲己行不足也)とある。また『注疏』に「今人の学ぶは、空しく能く人の為に之を言説し、己は行うこと能わず、是れ人の為にするなり」(今人之學、空能爲人言説之、己不能行、是爲人也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「人の為にするは、人に知られんことを欲するなり」(爲人、欲見知於人也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「古えの学者は己の為にし、其の終には物を成すに至る。今の学者は人の為にし、其の終には己を喪うに至る」(古之學者爲己、其終至於成物。今之學者爲人、其終至於喪己)とある。
  • 『集注』に「愚按ずるに、聖賢の学者の用心得失の際を論ずるに、其の説多し。然れども未だ此の言の切にして要なるが如き者有らず。此に於いて明らかに弁じて日〻之を省みれば、則ち其の従う所にくらからざるにちかからん」(愚按、聖賢論學者用心得失之際、其説多矣。然未有如此言之切而要者。於此明辯而日省之、則庶乎其不昧於所從矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「己の為にする者は必ず能く物を成す。……若し夫れ名を釣り誉をもとめ、多を誇り靡を闘わして、力を己の身心に用いるを知らざる者は、既に己を成すこと能わず、焉んぞ能く物を成さん。或いは人の為にするの益有りと雖も、然れども己の為にするの功無し」(爲己者必能成物。……若夫釣名干誉、誇多鬪靡、而不知用力於己之身心者、既不能成己、焉能成物。或雖有爲人之益、然無爲己之功)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「学とは詩書礼楽を学ぶを謂うなり。君子は詩書礼楽を学びて以て徳を己に成す。小人はだ人の為に之を言うのみ。孔子の言う所は、此にとどまるのみ。宋儒此れを以て心術と為すに至りては、則ち其の弊必ず天下を弁髦べんぼうとして独り其の身を善くするを免れざる者は、深きの失なり。学者これを察せよ」(學謂學詩書禮樂也。君子學詩書禮樂以成德於己。小人徒爲人言之。孔子所言、止此耳。至於宋儒以此爲心術、則其弊必不免於弁髦天下獨善其身者、深之失也。學者察諸)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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