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憲問第十四 20 子言衞靈公之無道也章

352(14-20)
子言衞靈公之無道也。康子曰、夫如是、奚而不喪。孔子曰、仲叔圉治賓客、祝鮀治宗廟、王孫賈治軍旅。夫如是、奚其喪。
えい霊公れいこうどうう。こういわく、くのごとくんば、なんほろびざる。こういわく、ちゅうしゅくぎょ賓客ひんかくおさめ、しゅくそうびょうおさめ、おうそん軍旅ぐんりょおさむ。くのごとくんば、なんほろびん。
現代語訳
  • 先生が衛の霊さまの乱脈ぶりを問題にすると、(家老の)季孫さんが ――「それほどなのに、どうしてほろびなかったんでしょう…。」孔先生 ――「仲叔圉(ギョ)が外交をさばき、祝鮀(ダ)が政治をととのえ、王孫賈(カ)が軍隊をきたえた。そんなだもの、ほろびはしません。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がえい霊公れいこうの無道であることを語ったので、季康子が、「さように無道でどうして国が亡びないのですか。」とたずねた。孔子が申すよう、「衛の国では、ちゅうしゅくぎょが外交に当り、しゅくさいをつかさどり、おうそんが国防に任じています。かく適材適処てきざいてきしょに国の大事をたんしている以上、どうしてなかなか亡びましょうや。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が、衛の霊公は無道な君主だと非難された。すると大夫のこうがいった。――
    「おっしゃるとおりだとしますと、どうして国が亡びないのでしょう」
    先師がいわれた。――
    ちゅうしゅくぎょが外交に任じ、しゅくが内政をつかさどり、おうそんが国防の責を負っています。これだけの人物がそろっていて、どうして国が亡びましょう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 霊公 … 春秋時代、衛の君主。名は元。在位は前534~前493。ウィキペディア【霊公 (衛)】参照。
  • 康子 … 魯の国の大夫、季康子。名は肥、康は諡号。父・季桓子の後を継ぎ、筆頭家老となったのは孔子六十歳頃であったと言われている。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 仲叔圉 … 孔文子。前6世紀~前480。衛の大夫。姓は孔、名はぎょ、文はおくりな。ウィキペディア【孔圉】(中文)参照。
  • 治賓客 … 賓客の応接に当たる。外交を担当すること。
  • 祝鮀 … 生没年不詳。衛の大夫。名は鮀、あざなは子魚。祝は、宗廟の祭祀の官。霊公に仕え、雄弁であったといわれている。ウィキペディア【祝佗】(中文)参照。
  • 治宗廟 … 宗廟の祭祀を担当する。
  • 王孫賈 … 衛の霊公の時の大夫。名臣であった。ウィキペディア【王孫賈】(中文)参照。
  • 治軍旅 … 軍事を担当する。
  • 奚 … 「なんぞ~(ならんや)」と読み、「どうして~であろうか(いや~ではない)」「どうして~しようか(いや~しない)」と訳す。反語の意を示す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は国を治むるには材に任ずるに在るを言うなり」(此章言治國在於任材也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子言衛霊公之無道也 … 『義疏』に「孔子、衛霊の無道を歎く」(孔子歎衞靈無道)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子言衛霊公 … 『義疏』では「子曰衛霊公」に作る。
  • 無道也 … 『義疏』では「無道久也」に作る。
  • 康子曰、夫如是、奚而不喪 … 『義疏』に「康子は、魯の季康子なり。夫は、衛の霊公を指すなり。奚は、何なり。康子、孔子の衛君の無道を歎くを問う。故に其の言を致す。の無道なる者、必ず須らく邦を喪ぼし傾くべし。霊公奚ぞ無道の行意、其の邦を喪亡せざらんや」(康子、魯季康子也。夫、指衞靈公也。奚、何也。康子問孔子歎衞君無道。故致其言。夫無道者必須喪傾邦。靈公奚無道行意不喪亡其邦乎)とある。また『注疏』に「喪は、亡なり。奚は、何なり。夫子は因りて衛の霊公の無道なるを言い、季康子は乃ち之を問いて曰く、夫れ霊公の無道なること是の如きも、何を為して国は亡びざるや、と」(喪、亡也。奚、何也。夫子因言衞靈公之無道、季康子乃問之曰、夫靈公無道如是、何爲而國不亡乎)とある。また『集注』に「喪は、位を失うなり」(喪、失位也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 仲叔圉治賓客、祝鮀治宗廟、王孫賈治軍旅。夫如是、奚其喪 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは君無道と雖も、任ずる所の者、各〻其の才に当たれば、なんれぞ当に亡ぶべけんや」(言君雖無道、所任者、各當其才、何爲當亡乎)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子は康子に答えて、霊公の無道、邦国喪びざるの由を言うなり。此の三臣、各〻其の政を掌るなり。喪は、亡なり。或ひと問いて曰く、霊公は無道なるに、焉んぞ好臣有るを得んや、と。答えて曰く、或いは是れ先人の老臣、未だ去らざりし者なり。或いは是れ霊公のわかき時、良臣を得可くして、而る後に無道ならん。故に臣未だ去らざるなり、と」(孔子答康子、言靈公無道邦國不喪之由也。此三臣各掌其政也。喪、亡也。或問曰、靈公無道、焉得有好臣。答曰、或是先人老臣未去者也。或是靈公少時、可得良臣、而後無道。故臣未去也)とある。また『注疏』に「言うこころは君無道なりと雖も、此の三人有りて、任ずる所の者各〻其の才に当たらば、なんれぞ当に亡ぶべけんや」(言君雖無道、有此三人、所任者各當其才、何爲當亡)とある。また『集注』に「仲叔圉は、即ち孔文子なり。三人は皆衛の臣なり。未だ必ずしも賢ならずと雖も、而れども其の才用う可し。霊公之を用うるに、又た各〻其の才に当たる」(仲叔圉、即孔文子也。三人皆衞臣。雖未必賢、而其才可用。靈公用之、又各當其才)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「衛の霊公の無道、宜しくほろぶべきなり。而れども能く此の三人を用うれば、猶お以て其の国を保つに足る。而るに況んや有道の君、能く天下の賢才を用うる者をや。詩に曰く、つよきこと無からんやれ人。四方其れ之にしたがう、と」(衞靈公之無道、宜喪也。而能用此三人、猶足以保其國。而況有道之君、能用天下之賢才者乎。詩曰、無競維人。四方其訓之)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「後世人を用いる者、或いは一眚いっせいを以てして、人の長を棄て、或いは之を用いて其の能を尽さず。此れ天下国家の喪亡を免れざる所以なり」(後世用人者、或以一眚、而棄人之長、或用之而不盡其能。此天下國家所以不免喪亡也)とある。一眚は、一つの過失。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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