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子路第十三 30 子曰以不教民戰章

332(13-30)
子曰、以不教民戰。是謂棄之。
いわく、おしえざるのたみもったたかう。これつとう。
現代語訳
  • 先生 ――「訓練のない人民で戦うのは、見殺しにするものだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「十分に強化訓練していない人民をって戦争すれば、必ず敗戦にきまっているから、人民を捨て殺しにするというものじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「教化訓練の行きとどかない人民を率いて戦にのぞむのは、民を棄てるのと同じである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 以 … 「用」に同じ。「もちいて」「ひきいて」と読んでもよい。
  • 教 … 教化指導する。軍事訓練を施す。
  • 之 … 民を指す。
  • 棄 … 民をむざむざと殺す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は習わざるの民を用いて、之をして攻戦せしめば、必ず破敗を致すことを言う」(此章言用不習之民、使之攻戰、必致破敗)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 以不教民戦。是謂棄之 … 『集解』に引く馬融の注に「習わざるの民を用いて、之をして戦わしめば、必ず破敗するを言う。是れ之を棄つと謂うなり」(言用不習之民、使之戰、必破敗。是謂棄之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「民の命重かる可し。故に孔子は戦いを慎む。教えて七年に至るも、猶お亦た可と曰う所以なり。若し戦いを教うるを経ずして、之をして戦わしめば、是れ民を棄擲すと謂うなり。江熙云う、善人の民を教うること斯くの如くして、乃ち戎に即く可し、況んや善人に及ばずして、習わざるの民を馳せ駆りて戦わしむるは、肉を以て虎におくる、徒らに棄つるのみ、と。琳公曰く、言うこころは徳教民に及ばずして、戦いに就かしむるは、民死せずということ無きなり、必ず破敗を致す、故に棄つと曰うなり、と」(民命可重。故孔子愼戰。所以教至七年、猶曰亦可。若不經教戰、而使之戰、是謂棄擲民也。江熙云、善人教民如斯、乃可即戎、況乎不及善人、而馳駈不習之民戰、以肉餧虎、徒棄而已。琳公曰、言德教不及於民、而令就戰、民無不死也、必致破敗、故曰棄也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「是れ之を棄つと謂うは、てきするがごときなり」(是謂棄之、若棄擲也)とある。また『集注』に「以は、用うなり。言うこころは教えざるの民を用いて以て戦えば、必ず敗亡の禍有り。是れ其の民を棄つるなり」(以、用也。言用不教之民以戰、必有敗亡之禍。是棄其民也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「古え民を教うるの法、三時農を務め、一時武を講ず。耳目せいに習い、手足かんに練り、自ら敗亡の禍無し。若し然らずんば、則ち之を死地に措くと、異なること無し。此れ蓋し上の章を承けて、亦た以て武を講ぜずんばある可からざるを言うなり。君子の民命を重ずること此くの如し」(古者教民之法、三時務農、一時講武。耳目習于旌旗、手足練于干戈、自無敗亡之禍。若不然、則與措之于死地、無異矣。此蓋承上章、而言亦不可以不講武也。君子重民命如此)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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