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子路第十三 20 子貢問曰何如斯可謂之士矣章

322(13-20)
子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥。使於四方、不辱君命、可謂士矣。曰、敢問其次。曰、宗族稱孝焉、郷黨稱弟焉。曰、敢問其次。曰、言必信、行必果、硜硜然小人也。抑亦可以爲次矣。曰、今之從政者何如。子曰、噫、斗筲之人、何足算也。
こういていわく、何如いかなるをこれきか。いわく、おのれおこなうにはじり。ほう使つかいして、君命くんめいはずかしめざるを、し。いわく、えてつぎう。いわく、宗族そうぞくこうしょうし、きょうとうていしょうす。いわく、えてつぎう。いわく、うことかならしんおこなうことかなら硜硜然こうこうぜんとしてしょうじんなるかな。抑〻そもそももっつぎし。いわく、いままつりごとしたがもの何如いかんいわく、ああそうひとなんかぞうるにらんや。
現代語訳
  • 子貢がたずねる、「どんなだったら一人まえといえますか。」先生 ――「身をつつしみ、どこに使いしても、期待にそむかなければ、一人まえといえるね。」 ―― 「そのつぎはどうでしょう…。」 ―― 「身内から親思いといわれ、土地の人からまじめとほめられること。」 ―― 「そのつぎはどうでしょう…。」 ―― 「いったことを守り、することに迷わない、コチコチの小つぶだな。だがまあそのつぎだろう。」 ―― 「いまの役人たちはどうです…。」先生 ――「いや、コセコセしていて、問題にならんわ。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • こうが、「どういう人物を士と申すべきでありますか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「士たる者ははじを知るべし。すなわち自身の言行について、いやしくも恥ずべきことを言わず、なさざる操守そうしゅがなくてはならぬ。さらに士たる者はゆうなるべし。すなわち四方の外国に使節としてよく任務を全くし、君命をはずかしめず国威をげるだけの腕前がなくてはならぬ。この徳とこの才とがあって、はじめて士というべきである。」「それはなかなか大したことでござりますが、そこまでゆかなくては士といえないのでしょうか。第二流の士はありますまいか。それを一つうかがいとうござります。」「士たることの根本は孝悌こうていだから、親類中から孝行者とほめられ、村中から兄弟思いと評判されるような人物なら、たとえ才能は足らずとも、第二流の士といってよろしい。」「今一つしてうかがいますが、その次はいかがでござりましょうか。」「いったん言ったことは必ず実行を期し、やりかかったことは必ずとげようとつとめる。見はからいがなく融通ゆうずうのきかぬコチコチした小人物ではあるが、ともかくも第三流の士としておこう。」そこで子貢が、「それでは現在の諸国の当局者たちはどうでござりますか、士と申してしかるべき人物がおりましょうか。」とおたずねしたら、孔子様が歎息たんそくしておっしゃるよう、「ああ、マスやミではかるような小人物ばかりで、かぞえるねうちもないわい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢がたずねた。――
    たる者の資格についておうかがいいたしたいと存じます」
    先師がこたえられた。――
    「自分の行動について恥を知り責任を負い、使節となって外国に赴いたら君命を辱しめない、というほどの人であったら、士といえるだろう」
    子貢がまたたずねた。――
    「もう一段さがったところで申しますと?」
    先師――
    「一家親族から孝行者だとほめられ、土地の人から兄弟の情誼に厚いと評判されるような人だろう」
    子貢――
    「さらにもう一段さがったところで申しますと?」
    先師――
    「口に出したことは必ず実行する、やり出したことはあくまでやりとげる、といったような人は、石ころみたようにこちこちしていて、融通がきかないところがあり、人物の型は小さいが、それでも第三流ぐらいのねうちはあるだろう」
    子貢が最後にたずねた。――
    「現在政務に当っている人たちをご覧になって、どうお考えになりますか」
    すると先師はこたえられた。――
    「だめ、だめ。ますではかるような小人物ばかりで、まるで問題にはならない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 士 … 本来は卿・大夫・士の士で、中堅の役人層を指すが、ここでは、志のある立派な人の意。
  • 行己有恥 … 自分の行動に対して恥じる気持ちがあること。
  • 四方 … 四方の国々。まわりの国々。
  • 使 … 外交使節として赴く。
  • 不辱君命 … 君主から与えられた使命をきちんと果たすこと。
  • 宗族 … 共通の先祖を持つ一族。「宗」は、本家。「族」は、本家から生じた一族。
  • 郷党 … 郷里。「党」は、五百軒の集落。「郷」は、党が二十五集まったもので、一万二千五百軒。ここでは、村中の人々の意。
  • 弟 … 兄や年長者に仕えて従順なこと。「悌」に同じ。
  • 言必信 … 言ったことは必ず実行しようとする。
  • 行必果 … 実行すれば必ず成し遂げる。
  • 硜硜然 … 石をたたいたときのコツコツとした音の形容。転じて、こちこちの小人物の形容。
  • 今之従政者 … 今の政治にたずさわる者。大臣のような為政者を指す。
  • 噫 … ああ。嘆息をあらわす言葉。
  • 斗筲之人 … ますで量るような、器量の小さい人物。「斗」は、一斗入りの枡。「筲」は、一斗二升が入る竹製のかご。量の少ないことの喩え。
  • 何~也 … 「なんぞ~ん(や)」と読み、「どうして~(する)のか、いや~(し)ない」と訳す。反語の意を示す。
  • 足算 … (士として)数える値打ちがある。「算」は「数」に同じ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は士の行いを明らかにするなり」(此章明士行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 何如斯可謂之士矣 … 『義疏』に「謂えらく、朝に在りて士と為るの法を問う、是れ卿大夫知る可きなり、と」(謂問在朝爲士之法、是卿大夫可知也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「士は、有徳の称、故に子貢孔子に問いて曰く、其の行いの如何なるをか、斯れ之を士と謂う可き、と」(士、有德之稱、故子貢問於孔子曰、其行如何、斯可謂之士矣)とある。
  • 行己有恥 … 『集解』に引く孔安国の注に「恥有れば、為さざる所有るなり」(有恥、有所不爲也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「士の行いに答うるなり。言うこころは自ら己の身を行うに、恒に恥ず可き事有り。故に為さざるなり。李充云う、正惜に居る者は当に遅退すべし。必ず無き者は其れ唯だ恥ずること有らん。ここを以て其の宜しく行うべきに当たれば、則ち己の及ばざるを恥ず。其の宜しく止むべきに及べば、則ち己の免れざるを恥ず。人臣と為りては、則ち其の君、堯・舜の如からざるを恥ず。濁世に処りては、則ち君子たらざるを恥ず。将に言を出ださんとすれば、則ちおよばざるを恥ず。是の故に孔子の丘明を称するも、亦た其の恥の義を同じうするを貴ぶ。まことに孝悌の先なる者なり、と」(答士行也。言自行己身、恆有可恥之事。故不爲也。李充云、居正惜者當遲退。必無者其唯有恥乎。是以當其宜行、則恥己之不及。及其宜止、則恥己之不免。爲人臣、則恥其君、不如堯舜。處濁世、則恥不爲君子。將出言、則恥躬之不逮。是故孔子之稱丘明、亦貴其同恥義。苟孝悌之先者也)とある。
  • 使於四方、不辱君命 … 『義疏』に「君の号令出でて四方の国に使いすれば、則ち必ず称当せしめば、君命の凌辱を見せしめざるなり。故に李充云う、古えの良使なる者は、命を受けて辞を受けず。事に権宜有れば、則ち時と消息す。患を排し難きをき、紛を解き鋭をくじく者は、良と謂う可きなり、と」(君號令出使於四方之國、則必使稱當、不使君命之見凌辱也。故李充云、古之良使者、受命不受辭。事有權宜、則與時消息。排患釋難、解紛挫鋭者、可謂良也)とある。
  • 可謂士矣 … 『義疏』に「能く恥及び辱めずの二事有り。並ぶに行わるれば虧無し。乃ち士たりと謂う可し。此の行は最も高し。故に先に在るなり」(能有恥及不辱二事。竝行無虧。乃可謂爲士矣。此行最高。故在先也)とある。また『注疏』に「此れ士の高行を答うるなり。言うこころは己を行うの道、若し不善有らば、恥じて為さず。臣と為りて命を奉じ出でて使いし、能く時に遭いて宜を制し、君命を辱しめず。此の二行有らば、士と謂う可し」(此荅士之高行也。言行己之道、若有不善、恥而不爲。爲臣奉命出使、能遭時制宜、不辱君命。有此二行、可謂士矣)とある。また『集注』に「此れ其の志為さざる所有るも、其の材以て為すこと有るに足る者なり。子貢は能く言う。故に使の事を以て之に告ぐ。蓋し使を為すの難きこと、独り能く言うを貴ぶのみならず」(此其志有所不爲、而其材足以有爲者也。子貢能言。故以使事告之。蓋爲使之難、不獨貴於能言而已)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 敢問其次 … 『義疏』に「子貢は士の上なる者を聞く。故に敢えて更に士の次なる者を問う」(子貢聞士之上者。故敢更問士之次者)とある。また『注疏』に「子貢復た士の行いたる、此の二者に次ぐを何と云うかを問う」(子貢復問士之爲行、次此於二者云何)とある。
  • 宗族称孝焉、郷党称弟焉 … 『義疏』に「孝は是れ父母に事うるを近と為し、悌は是れ兄長に事うるを遠と為す。宗族を近と為す。近故に孝を称し、郷党を遠と為し、故に悌を称するなり。繆恊曰く、孝宗族に称し、悌郷党に及ぶと雖も、而れども孝或いは未だ優ならずと為す。四方に使いするも、猶お未だ能く備わらず。故に之が次と為る者なり、と」(孝是事父母爲近、悌是事兄長爲遠。宗族爲近。近故稱孝、郷黨爲遠、故稱悌也。繆恊曰、雖孝稱於宗族、悌及於郷黨、而孝或爲未優。使於四方、猶未能備。故爲之次者也)とある。また『注疏』に「此れ孔子復た為に其の士の行いの次を言うなり。宗族は、同じ宗族の属なり。善く父母に事うるを孝と為す。宗族内の親、其の孝を見て之を称す。善く長上に事うるを弟と為す。郷党のやや遠きもの、其の弟を見て之を称するなり」(此孔子復爲言其士行之次也。宗族、同宗族屬也。善事父母爲孝。宗族内親、見其孝而稱之。善事長上爲弟。郷黨差遠、見其弟而稱之也)とある。また『集注』に「此れ本立ちて材足らざる者なり。故に其の次と為す」(此本立而材不足者。故爲其次)とある。
  • 弟 … 『義疏』では「悌」に作る。
  • 敢問其次 … 『義疏』に「子貢又た士に次ぐ者を求めんことを問うなり」(子貢又問求次於士者也)とある。また『注疏』に「子貢又た更に何の行いの此れに次す可きこと有るかを問うなり」(子貢又問更有何行可次於此也)とある。
  • 言必信、行必果 … 『集解』に引く鄭玄の注に「行えば必ず果とは、行わんと欲する所、必ず敢えて之を為す」(行必果、所欲行、必敢爲之)とある。また『義疏』に「此れ士の次に答うるなり。君子は士貞に達すれども諒ならず。言はまことに信を期せずして、捨蔵時に随い、何ぞ必ずしも遂ぐるを期せん。小行の士は、言えば必ず須らく信なるべく、行えば必ず須らく果なるべきが若きなり」(此答士之次也。君子達士貞而不諒。言不期苟信、捨藏隨時、何期必遂。若小行之士、言必須信、行必須果也)とある。また『注疏』に「孔子又た為に其の次を言うなり。人、信以て義を行うこと能わずして、言は必ず信を執り、行いは時をて宜をはかること能わずして、行わんと欲する所は、必ず果敢に之を為すが若し」(孔子又爲言其次也。若人不能信以行義、而言必執信、行不能相時度宜、所欲行者、必果敢爲之)とある。また『集注』に「果は、必ず行うなり」(果、必行也)とある。
  • 硜硜然小人也 … 『集解』に引く鄭玄の注に「硜硜とは、小人の貌なり」(硜硜者、小人之貌也)とある。また『義疏』に「果は必ず信、譬えを為すなり。硜硜は、堅正移り難きの貌なり。小人は悪を為し、堅執化し難し。今の小人の士、必ず行えば信果、守志迴らざること、小人の如きなり」(果必信、爲譬也。硜硜、堅正難移之貌也。小人爲惡、堅執難化。今小人之士、必行信果、守志不迴、如小人也)とある。また『注疏』に「硜硜然とは、小人の貌なり。言うこころは此の二行は、君子の為す所に非ずと雖も、乃ち硜硜然たる小人のみ」(硜硜然者、小人之貌也。言此二行、雖非君子所爲、乃硜硜然小人耳)とある。また『集注』に「硜は、小石の堅確なる者なり。小人は、其の識量の浅狭なるを言うなり」(硜、小石之堅確者。小人、言其識量之淺狹也)とある。
  • 抑亦可以為次矣 … 『集解』に引く鄭玄の注に「抑〻亦た其の次は、以て次と為す可きを言うなり」(抑亦其次、言可以爲次也)とある。また『義疏』に「抑は、語助なり。凡そ事強いて相関せしめんと欲するとき、亦た多く抑と云うなり。言は此の小行も、亦た強いて士の次と為す可きなり。李充云う、言覆す可くして、行必ず成る。小器を為すと雖も、其れ能く立つ所有るを取る、と。繆協云う、果は、成なり。言えば必ず信に合し、行えば必ずこれを成すに期す。君子の体、其の業大なり。行えば硜硜たる小器と雖も、而れども能く必ず信、必ず果なる者、其の成ること有るを取る。抑〻亦た士の次と為す可きなり、と」(抑、語助也。凡事欲強使相關、亦多云抑也。言此小行、亦強可爲士之次也。李充云、言可覆、而行必成。雖爲小器、取其能有所立。繆協云、果、成也。言必合乎信、行必期諸成。君子之體、其業大矣。雖行硜硜小器、而能必信、必果者、取其有成。抑亦可爲士之次也)とある。また『注疏』に「以て次と為す可きを言うなり」(言可以爲次也)とある。また『集注』に「此れ其の本末皆観るに足る無し。然れども亦た其の自ら守ると為すを害せざるなり。故に聖人猶お取ること有り。此より下は、則ち市井の人、復た士と為す可からず」(此其本末皆無足觀。然亦不害其爲自守也。故聖人猶有取焉。下此、則市井之人、不復可爲士矣)とある。
  • 今之従政者何如 … 『義疏』に「子貢又た問いて云う、今の士の政に従う者は復た何如なるかを云う、と」(子貢又問云、今士之從政者復云何如)とある。また『注疏』に「子貢復た今の政に従うの士、其の行いは何如なるかを問うなり」(子貢復問今之從政之士、其行何如也)とある。また『集注』に「今の政に従う者は、蓋し魯の三家の属の如し」(今之從政者、蓋如魯三家之屬)とある。
  • 噫、斗筲之人、何足算也 … 『集解』に引く鄭玄の注に「噫は、心不平の声なり。筲は、竹器。斗二升をるる者なり。算は、数なり」(噫、心不平之聲也。筲、竹器。容斗二升者也。算、數也)とある。また『義疏』に「噫は、不平の声なり。筲は、竹器なり。一斗二升をる。故に斗筲と云うなり。算は、数うるなり。子貢已に古えのを聞く。而るに又た今の非を問う。故に噫と云うなり。不平の声既に竟う。故に又た今の人を云うなり。言うこころは今の小人の器量、斗筲の器の如きのみ。何ぞ数うるに足らんや」(噫、不平聲。筲、竹器也。容一斗二升。故云斗筲也。算、數也。子貢已聞古之是。而又問今之非。故云噫也。不平之聲既竟。故又云今之人也。言今之小人器量、如斗筲之器耳。何足數也)とある。また『注疏』に「噫は、心の平らかならざるの声なり。斗は、量名、十升を容る。筲は、竹器、斗二升を容る。算は、数なり。孔子時に政に従う者には皆士の行い無く、唯だ小器なるのみを見る。故に心は之を平らかにせずして曰く、噫、今の斗筲小器の人、何ぞ数うるに足らんや、と。言うこころは数うるに足らず、故に其の行いを述べず、と」(噫、心不平之聲。斗、量名、容十升。筲、竹器、容斗二升。算、數也。孔子時見從政者皆無士行、唯小器耳。故心不平之而曰、噫、今斗筲小器之人、何足數也。言不足數、故不述其行)とある。また『集注』に「は、心平らかならざるの声なり。斗は、量の名、十升を容る。筲は、竹器、斗二升を容る。斗筲の人は、さいを言うなり。算は、数なり。子貢の問いつねに下る。故に夫子是を以て之をいましむ」(噫、心不平聲。斗、量名、容十升。筲、竹器、容斗二升。斗筲之人、言鄙細也。算、數也。子貢之問毎下。故夫子以是警之)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「子貢の意、蓋し皎皎たるの行を為し、人に聞こえんことを欲する者ならん。夫子之に告ぐるは、皆篤実自得の事なり」(子貢之意、蓋欲爲皎皎之行、聞於人者。夫子告之、皆篤實自得之事)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「子貢己を行うに恥有り、君命を辱めざるを以て、其の人を難しとす。以為おもえらく此を以て士と為さば、則ち此れより以下の者は、士と為るに足らず。然らば則ち人或いは棄材有りと。故に再び其の次を問う。今の政に従う者は何如いかにというに至りては、蓋し其の意に満たざる所の者を挙げて、之を夫子にしっするなり。孔門の学者、敢えて自ら己の意を是として、軽〻しく人を可否せざること此の如し。論に曰く、孝弟は実徳なり、忠信は実心なり。故に聖門の教えは、必ず孝弟を以て本と為し、忠信を主と為す。而して今此を以て士の次と為る者は、何ぞや。蓋し聖門の学は、有用の実学なり。苟くも徳の弘からず、才の宏からざれば、則ち設令たとい孝弟称す可く、忠信取る可くも、然れども徒らに其の身を善くするのみ、以て人に及ぼすに足らず。故に士の次と為るなり、と」(子貢以行己有恥、不辱君命、難其人。以爲以此爲士、則自此以下者、不足爲士。然則人或有棄材。故再問其次。至於今之從政者何如、蓋舉其所不滿意者、而質之夫子也。孔門之學者、不敢自是己意、輕可否人也如此。論曰、孝弟實德也、忠信實心也。故聖門之教、必以孝弟爲本、忠信爲主。而今以此爲士之次者、何哉。蓋聖門之學、有用之實學也。苟德之不弘、才之不宏、則設令孝弟可稱、忠信可取、然徒善其身而已、不足以及人。故爲士之次也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「知者は人を知る。其の意におもえらく今の政に従う者は、必ずしも皆棄材ならず、夫子必ず之を用うる所有らんと。故に問うなり。大氐たいてい世主せいしゅの人を用うるは、皆其の才諝さいしょを喜ぶ。而うして其の以て才有りと為す者は、皆小才なり。孔子の答うる所、言必ず信、行必ず果に至りては、之を小人と謂うと雖も、亦た其の行いを取りて其の才を取らざるなり。今の政に従う者の如きは、乃ち小才なり。小人にして才有るは、賤しむ可きの至り、故に斗筲の人と曰う。其の利に近づくを言うなり。朱註に、魯の三家の属の如し、と。語意をさとらずと謂う可し。且つ魯の三家は政をる者なり。政に従う者に非ざるなり」(知者知人。其意謂今之從政者、不必皆棄材、夫子必有所用之。故問也。大氐世主之用人、皆喜其才諝。而其以爲有才者、皆小才也。孔子所答、至於言必信行必果、雖謂之小人、亦取其行而不取其才也。如今之從政者、乃小才也。小人而有才、可賤之至、故曰斗筲之人。言其近利也。朱註、如魯三家之屬。可謂不曉語意。且魯三家爲政者也。非從政者也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十