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論語 子罕第九 29

09-29 子曰。可與共學。未可與適道。可與適道。未可與立。可與立。未可與權。
いわく、ともともまなきも、いまともみちからず。ともみちきも、いまともからず。ともきも、いまともはかからず。
  • 可与共学 … その人といっしょに学ぶことができる。「与」は「ともに」と読み、「いっしょに」「つれだって」と訳す。新注に引く程子の説として「ともに共に学ぶ可しは、之を求むる所以を知るなり」(可與共學、知所以求之也)とある。
  • 可与適道 … いっしょに同じ道に進む。「適」は行く、進む。新注に引く程子の説として「ともに道にく可しとは、往く所を知るなり」(可與適道、知所往也)とある。
  • 可与立 … 同じ位置に立つ。一つのことをいっしょに樹立する。いっしょに一人前になる。いっしょに独立する。新注に引く程子の説として「ともに立つ可しとは、篤く志し固く執りて変ぜざるなり」(可與立者、篤志固執而不變也)とある。
  • 権 … 「はかる」と読む。物事の軽重を判断し、臨機応変の措置をとること。新注に引く程子の説として「権は、称錘なり。物をはかりて軽重を知る所以の者なり。ともはかる可しは、能く軽重をはかり義に合せしむるを謂うなり」(權、稱錘也。所以稱物而知輕重者也。可與權、謂能權輕重使合義也)とある。「称錘」は、はかり。
  • 下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。ともに学ぶことのできる人はあろう。しかし、その人たちがともに道に精進することのできる人であるとは限らない。ともに道に精進することのできる人はあろう。しかし、その人たちが、いざという時に確乎たる信念に立って行動をともにしうる人であるとは限らない。確乎たる信念に立って行動をともにしうる人はあろう。しかし、その人たちが、複雑な現実の諸問題に当面して、なお事を誤らないでともに進みうる人であるとは限らない」と訳している(現代訳論語)。
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