>   論語   >   子罕第九   >   29

子罕第九 29 子曰可與共學章

234(09-29)
子曰、可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權。
いわく、ともともまなきも、いまともみちからず。ともみちきも、いまともからず。ともきも、いまともはかからず。
現代語訳
  • 先生 ――「いっしょに学べても、いっしょに進めるとはかぎらぬ。いっしょに進めても、いっしょにガンバれるとはかぎらぬ。いっしょにガンバれても、いっしょに分別できるとはかぎらぬ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「共に学問に志す人は求め得ようが、共に道に進み得る人は得難い。共に道に進み得る人はあっても、共に道の上に立って物に動かされない人を得ることはさらにむずかしい。共に立つことのできる人は得られても、事のよろしきに従って変通し本末ほんまつけいちょうをはかって正義に合せしめることを共にする人を得ることは難中のなんじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「ともに学ぶことのできる人はあろう。しかし、その人たちがともに道に精進することのできる人であるとは限らない。ともに道に精進することのできる人はあろう。しかし、その人たちが、いざという時に確乎たる信念に立って行動をともにしうる人であるとは限らない。確乎たる信念に立って行動をともにしうる人はあろう。しかし、その人たちが、複雑な現実の諸問題に当面して、なお事を誤らないでともに進みうる人であるとは限らない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 可与共学 … その人といっしょに学ぶことができる。「与」は「ともに」と読み、「いっしょに」「つれだって」と訳す。
  • 可与適道 … いっしょに同じ道に進む。「適」は、行く、進む。「往」に同じ。
  • 可与立 … 同じ位置に立つ。一つのことをいっしょに樹立する。いっしょに一人前になる。いっしょに独立する。
  • 権 … 「はかる」と読む。物事の軽重を判断し、臨機応変の措置をとること。
補説
  • 『注疏』では次章と合わせて一つの章とし、「此の章は権道を論ずるなり」(此章論權道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 可与共学、未可与適道 … 『集解』の何晏の注に「適は、くなり。学ぶと雖も、或いは異端を得れば、未だ必ずしも能く道にかざるなり」(適、之也。雖學、或得異端、未必能之道也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の章は権道の難きを明らかにするなり。夫れ正道は行い易く、権事は達し難し。既に権を明らかにせんと欲す。故に先ず正より起こすなり。道は、学ぶ所の道を謂うなり。言うこころは凡そ人乃ち与に師門に同処して共に学ぶ可きのみ。既に未だ彼の性を得ざれば、則ち未だ便ち与に友と為りて共に志す所の道にく可からざるなり」(此章明權道之難也。夫正道易行、權事難達。既欲明權。故先從正起也。道謂所學之道也。言凡人乃可與同處師門共學而已。既未得彼性、則未可便與爲友共適所志之道也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「適は、之なり。言うこころは人ともに共に学ぶ可しと雖も、学ぶ所は或いは異端を得て、未だ必ずしも正道にくこと能わず、故に未だ与にす可からざるなり」(適、之也。言人雖可與共學、所學或得異端、未必能之正道、故未可與也)とある。また『集注』に「与にす可しとは、其の与に共に此の事を為す可きを言うなり」(可與者、言其可與共爲此事也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く程頤の注に「与に共に学ぶ可しは、之を求むる所以を知るなり」(可與共學、知所以求之也)とある。
  • 可与適道、未可与立 … 『集解』の何晏の注に「能く道に之くと雖も、未だ必ずしも能く以て成り立つ所有らざるなり」(雖能之道、未必能以有所成立也)とある。また『義疏』に「立は、之を謀議して事を立つるを謂うなり。亦た人の性各〻異なれり。或いは能く学問すれども、未だ必ずしも能く世の中の正しき事を建立する者あらず。故に与に共に学ぶ所の道に適く可きも、未だ便ち与に共に事を立つ可からざるなり」(立、謂謀議之立事也。亦人性各異。或能學問而未必能建立世中正事者。故可與共適所學之道、而未便可與共立事也)とある。また『注疏』に「言うこころは人能く道にくと雖も、未だ必ずしも立つ所有ること能わず、故に未だともにす可からざるなり」(言人雖能之道、未必能有所立、故未可與也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「与に道に適く可しは、往く所を知るなり」(可與適道、知所往也)とある。
  • 可与立、未可与権 … 『集解』の何晏の注に「能く立つ所有りと雖も、未だ必ずしも能く其の軽重の極みを権量せざるなり」(雖能有所立、未必能權量其輕重之極也)とある。また『義疏』に「権とは、常に反して道に合する者なり。自ら変に通じ理に達するに非ざれば、則ち能くせざる所なり。故に共に正しき事に立つ可しと雖も、而れども未だ便ち之と権を為す可からざるなり。故に王弼曰く、権とは道の変なり。変に常の体無し。神にして明の其の人に存するも、あらかじめ設く可からず。最も至難なる者なり、と」(權者、反常而合於道者也。自非通變達理、則所不能。故雖可共立於正事、而未可便與之爲權也。故王弼曰、權者道之變。變無常體。神而明之存乎其人、不可豫設。最至難者也)とある。また『注疏』に「言うこころは人能く立つ所有りと雖も、未だ必ずしも時変に随い通じて其の軽重の極みを権量すること能わざるなり」(言人雖能有所立、未必能隨時變通權量其輕重之極也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「与に立つ可しとは、篤く志し固く執りて変ぜざるなり。権は、称錘なり。物をはかりて軽重を知る所以の者なり。与にはかる可しは、能く軽重をはかり義に合せしむるを謂うなり」(可與立者、篤志固執而不變也。權、稱錘也。所以稱物而知輕重者也。可與權、謂能權輕重使合義也)とある。称錘は、はかり。
  • 『集注』に引く楊時の注に「己の為にするを知れば、則ち与に共に学ぶ可し。学以て善を明らかにするに足りて、然る後に与に道に適く可し。道を信ずること篤くして、然る後に与に立つ可し。時に措くの宜しきを知りて、然る後に与に権る可し」(知爲己、則可與共學矣。學足以明善、然後可與適道。信道篤、然後可與立。知時措之宜、然後可與權)とある。
  • 『集注』に引く洪興祖の注に「易の九そんの以て権を行うに終わる。権とは、聖人の大用、未だ立つこと能わずして権を言うは、猶お人の未だ立つこと能わずして行かんと欲するがごとく、たおれざること鮮し」(易九卦、終於巽以行權。權者、聖人之大用、未能立而言權、猶人未能立而欲行、鮮不仆矣)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「漢儒は経に反して道に合するを以て権と為す。故に権変権術の論有り。皆非なり。権は只だ是れ経なり。漢より以下、人の権の字を識るもの無し」(漢儒以反經合道爲權。故有權變權術之論。皆非也。權只是經也。自漢以下、無人識權字)とある。
  • 『集注』に「愚按ずるに、先儒誤りて此の章を以て下文の偏として其れ反すに連ねて一章と為す。故に経に反して道に合するの説有り。程子之を非とするは、是なり。然れども孟子のあによめ溺るるに之をたすくるに手を以てするの義を以て之を推せば、則ち権と経とは亦た当に弁ずること有るべし」(愚按、先儒誤以此章連下文偏其反而爲一章。故有反經合道之說。程子非之、是矣。然以孟子嫂溺援之以手之義推之、則權與經亦當有辨)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、漢儒経を以て権に対し、経に反して道に合うを権と為すと謂うは、非なり。…漢儒は蓋し湯武の放伐を以て、権と為す。故に経に反して道に合うと謂う。殊に知らず経は即ち道なるを。既に経に反せばいずくんぞ能く道に合わん。天下の同じく然る所、之を道と謂う。一時の宜しきを制する、之を権と謂う。湯武の放伐は、蓋し天下の心に順いて之を行う。一夫紂を誅す。君を弑するに非ざるなり。乃ち仁の至り、義の尽くせるものにして、一時の宜しきを制する者に非ざるなり。故に当に之を道と謂うべくして、之を権と謂う可からざるなり。先儒又た謂えり、権は聖人に非ざれば用いる可からず、と。尤も非なり」(論曰、漢儒以經對權、謂反經合道爲權、非也。……漢儒蓋以湯武放伐、爲權。故謂反經合道。殊不知經即道也。既反經焉能合道。天下之所同然、之謂道。制一時之宜、之謂權。湯武之放伐、蓋順天下之心而行之。誅一夫紂矣。非弑君也。乃仁之至、義之盡、而非制一時之宜者也。故當謂之道、而不可謂之權也。先儒又謂、權非聖人不可用。尤非也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「与に共に学ぶ可しは、道を信ずる者を謂うなり。未だ与に道に適く可からずは、道を信ずと雖も其の志一経一芸にとどまる者を謂うなり。与に道に適く可しとは、其の志大いにして先王の道に至らんことを求むる者を謂うなり。立つは三十にして立つの如し、学の成るを謂うなり。権るは四十にして強と曰う、謀を発し慮を出だすの如し、成りて能く之を用うることを謂うなり。……宋儒は権を以て聖人の大用なりと為す。仁斎先生之をそしるは、なり。……祇だ経は即ち道なりと謂うが如きは、殊に未だ然らず。蓋し経とは緯を持するを以て言う、是れ道の大綱の処なり。……何となれば、湯・武は聖人なり。聖人なる者は、道のづる所なり。孔子曰く、聖人の言を畏る、と。……戦国の時、諸子興って後、聖人を非薄する者有り、是れ天下の罪人なり。孟子は其の時に生まれ、口舌を以て之に勝たんと欲し、遂に一夫の紂を誅するの説有り。……後世湯・武の放伐を論ずる者有るは、孟子にはじまるなり。故に漢儒は以て権と為し、仁斎は以て道と為す。皆潜妄なるのみ」(可與共學、謂信道者也。未可與適道、謂雖信道其志止一經一藝者也。可與適道者、謂其志大而求至於先王之道者也。立如三十而立、謂學之成也。權如四十曰強、發謀出慮、謂成而能用之也。……宋儒以權爲聖人之大用。仁齋先生譏之、是矣。……祇如謂經即道也、殊未然。蓋經者以持緯言、是道之大綱處。……何者、湯武聖人也。聖人者、道之所出也。孔子曰、畏聖人之言。……戦國時、諸子興而後、有非薄聖人者、是天下之罪人也。孟子生其時、欲以口舌勝之、遂有誅一夫紂之説。……後世有論湯武放伐者、昉孟子也。故漢儒以爲權、仁齋以爲道。皆潛妄已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十