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先進第十一 24 子路使子羔爲費宰章

277(11-24)
子路使子羔爲費宰。子曰、賊夫人之子。子路曰、有民人焉、有社稷焉。何必讀書、然後爲學。子曰、是故惡夫佞者。
子路しろこうをしてさいらしむ。いわく、ひとそこなわん。子路しろいわく、民人みんじんり、しゃしょくり。なんかならずしもしょみて、しかのちがくさん。いわく、ゆえ佞者ねいしゃにくむ。
現代語訳
  • 子路が子羔(コウ)を費の市長にした。先生 ――「あの青年のためになるまい。」子路 ―― 「民をおさめるし、祭りもするのです。なにも本ばかりが、学問ではないでしょう。」先生 ――「それだから口達者はイヤじゃ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路しろ季氏きししつだったとき、おとうと弟子のこうを季氏の私領の費の代官に推挙すいきょしようとした。そこで孔子が、「勉強ざかりのあの若者を害することになろうぞよ。」と注意された。ところが子路が、「治むべき人民もあり、祭るべきしゃしょくの神もある。それを教科書にして実地の政治をするのも学問であります。何も書物を読むだけが学問ではござりますまい。」と言ったので、孔子様がおっしゃるよう、「これだからわしは口巧者くちこうしゃなやつがきらいじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子路がこうを費の代官に推挙した。先師は、そのことをきいて子路にいわわた。――
    「そんなことをしたら、かえってあの青年を毒することになりはしないかね。実務につくには、まだ少し早や過ぎるように思うが」
    子路がいった。――
    「費には治むべき人民がありますし、祭るべき神々の社があります。子羔はそれで実地の生きた学問ができると存じます。なにも机の上で本を読むだけが学問ではありますまい」
    すると、先師はいわれた。――
    「そういうことをいうから、私は、口達者な人間をにくむのだ!」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 子羔 … 前521~?。孔子の門人。姓はこう、名はさいあざなこう。衛の人。また斉、また鄭の人。子路が彼を費の宰(代官)とした。孔子に「柴や愚」と評された。ウィキペディア【高柴】(中文)参照。
  • 費 … 季氏の領地の名。季氏の本拠地。
  • 宰 … 長官。代官。
  • 賊 … そこなう。傷つける。台無しにする。
  • 夫人之子 … 「かのひとのこ」と読む。あの若者。「夫」は、あの。「人之子」は、他人の大切な子供。ここでは、子羔を指す。
  • 民人 … 人民。
  • 社稷 … 「社」は、土地の神。「稷」は、五穀の神。この二神を国の守り神として必ず祭った。双声(二字の語頭子音が同じ)語。ここでは国家の意ではない。呉智英『現代人の論語』では「伝統文化」と訳している。
  • 何必読書、然後為学 … 書物を読むことだけが学問だと、どうして決められましょうか。「何必~為~」は「なんぞ必ずしも~せんや」と読む。
  • 佞者 … 口のうまい人。強弁者。佞人。「公冶長第五4」参照。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人に学をすすむるなり」(此章勉人學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子羔(高柴) … 『孔子家語』七十二弟子解に「高柴は斉人、高氏の別族、字は子羔。孔子よりわかきこと四十歳。長、六尺に過ぎず。状貌甚だ悪しくも、人と為り篤孝にして、法正有り。少くして魯に居り、名を孔子の門に知らる。仕えて武城の宰と為る」(高柴齊人、高氏之別族、字子羔。少孔子四十歳。長不過六尺。狀貌甚惡、爲人篤孝、而有法正。少居魯、見知名於孔子之門。仕爲武城宰)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「高柴、字は子羔。孔子よりわかきこと三十歳。子羔、たけ、五尺にたず。業を孔子に受く。孔子以て愚と為す。子路、子羔をして費の宰たらしむ。孔子曰く、の人の子をそこなう、と。子路曰く、民人有り、社稷有り。何ぞ必ずしも書を読みて然る後に学と為さんや、と。孔子曰く、是の故に夫の佞者を悪む、と」(髙柴字子羔。少孔子三十歳。子羔長不盈五尺。受業孔子。孔子以爲愚。子路使子羔爲費宰。孔子曰、賊夫人之子。子路曰、有民人焉、有社稷焉。何必讀書然後爲學。孔子曰、是故惡夫佞者)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子路使子羔為費宰 … 『義疏』に「費は、季氏の采邑なり。季氏の邑宰叛す。而るに子路子羔をして季氏の邑の宰たらしめんと欲するなり」(費、季氏采邑也。季氏邑宰叛。而子路欲使子羔爲季氏邑宰也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子路季氏に臣となる、故に子羔を任挙し、季氏の費邑の宰と為らしむるなり」(子路臣季氏、故任舉子羔、使爲季氏費邑宰也)とある。また『集注』に「子路、季氏の宰たりて之を挙ぐるなり」(子路爲季氏宰而舉之也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、賊夫人之子 … 『集解』に引く包咸の注に「子羔の学未だ熟習せず、而るに政を為さしむるは、人を賊害する所以なり」(子羔學未熟習、而使爲政、所以賊害人也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「賊は、猶お害のごときなり。夫の人の子は、子羔を指すなり。孔子言う、子羔の習学は未だ習熟せず。若し其れをして政を為さしむれば、則ち必ず乖僻かいへきせん。乖僻すれば則ち罪累の及ぶ所と為る、と。故に云う、夫の人の子を賊わん、と」(賊、猶害也。夫人之子、指子羔也。孔子言、子羔習學未習熟。若使其爲政、則必乖僻。乖僻則爲罪累所及。故云、賊夫人之子也)とある。また『注疏』に「賊は、害なり。夫人の子は、子羔を指すなり。孔子の意は以為えらく、子羔の学ぶこと未だ熟習せず、而るに政を為さしむるは、必ず其の身を累わし、賊害を為す所以なり、と」(賊、害也。夫人之子、指子羔也。孔子之意以爲、子羔學未熟習、而使爲政、必累其身、所以爲賊害也)とある。また『集注』に「賊は、害うなり。言うこころは子羔は質美なれども未だ学ばず。にわかに民を治めしむれば、まさに以て之を害せん」(賊、害也。言子羔質美而未學。遽使治民、適以害之)とある。
  • 子路曰、有民人焉、有社稷焉。何必読書、然後為学 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは民を治め神に事え、是に於いてして習うも、亦た学なり」(言治民事神、於是而習、亦學也)とある。また『義疏』に「子路云う、既に邑に民人社稷有り。今、其の宰たれば、則ち是れ民を治め神に事うるを習う。此れ即ち是れ学なり。亦た何ぞ必ずしも読書に在らん。然る後に方に学を為すと謂わんや、と」(子路云、既邑有民人社稷。今爲其宰、則是習治民事神。此即是學。亦何必在於讀書。然後方謂爲學乎)とある。また『注疏』に「子路孔子に弁答す、言うこころは費邑に人民有りて之を治め、社稷の神有りて之に事う。民を治め神に事え、是に於いて之を習うも、是れ亦た学ぶことなり。何ぞ必ずしも書を読むをちて、然る後に乃ち学を為すと謂わん」(子路辯答孔子、言費邑有人民焉而治之、有社稷之神焉而事之。治民事神、於是而習之、是亦學也。何必須讀書、然後乃謂爲學也)とある。また『集注』に「言うこころは民を治め神に事うるは、皆学を為す所以なり」(言治民事神、皆所以爲學)とある。また宮崎市定は「學問とは、何も書經を暗誦することばかりを言うのではありますまい」と訳している(『論語の新研究』277頁)。
  • 子曰、是故悪夫佞者 … 『集解』に引く孔安国の注に「其の口給を以て応じ、己の非を遂げて窮まるを知らざるをにくむなり」(疾其以口給應、遂己非而不知窮也)とある。また『義疏』に「孔子此の語を以て子路を罵るなり。佞は、口才なり。我子羔の学、未だ習熟せざるを言うなり。所以に之をして政を為さしむるを欲せず。而るに汝仍って云う、民神有るも、亦た是れ学なり。何ぞ必ずしも書を読まん、と。此れは是れ佞弁の辞なり。故に古人之を悪む所以なり」(孔子以此語罵子路也。佞、口才也。我言子羔學未習熟。所以不欲使之爲政。而汝仍云、有民神、亦是學。何必讀書。此是佞辨之辭。故古人所以惡之也)とある。また『注疏』に「言うこころは人の夫の佞者を憎悪する所以は、だ口才の捷給を為し、過ちをかざり非を飾るが故なり。今子路は口給を以て応じ、己の非を遂げて窮するを知らざるのみ、是の故に人の夫の佞者を悪むを致すなり」(言人所以憎惡夫佞者、祇爲口才捷給、文過飾非故也。今子路以口給應、遂己非而不知窮已、是故致人惡夫佞者也)とある。また『集注』に「民を治め神に事うるは、固より学者の事なり。然れども必ず之を学びて已に成り、然る後に仕えて、以て其の学を行う可し。若し初めより未だ嘗て学ばずして、之をして即ち仕え以て学を為さしむれば、其の神をあなどりて民をしいたぐるに至らざる者はほとんまれなり。子路の言、其の本意に非ず。但だ理屈し詞窮して、弁を口に取り、以て人にあたれるのみ。故に夫子其の非をけずして、だ其の佞を悪むなり」(治民事神、固學者事。然必學之已成、然後可仕以行其學。若初未嘗學、而使之即仕以爲學、其不至於慢神而虐民者幾希矣。子路之言、非其本意。但理屈詞窮、而取辯於口、以禦人耳。故夫子不斥其非、而特惡其佞也)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「古えは学んで後に政に入る。未だ政を以て学ぶ者を聞かざるなり。蓋し道の本は身を修むるに在り、而る後に人を治むるに及ぶ。其の説は方冊に具わる。読みて之を知り、然る後に能く行う。何ぞ以て書を読まざる可けんや。子路は乃ち子羔をして政を以て学を為さしめんと欲し、先後本末の序を失う。其の過ちを知らずして、口給を以て人にあたれり。故に夫子其の佞を悪むなり」(古者學而後入政。未聞以政學者也。蓋道之本在於脩身、而後及於治人。其説具於方冊。讀而知之、然後能行。何可以不讀書也。子路乃欲使子羔以政爲學、失先後本末之序矣。不知其過、而以口給禦人。故夫子惡其佞也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、夫れ書は前修の嘉言こうを載する所以なり。……但し書を読むの法は、正有り俗有り、善有り不善有り。学者察せずんばある可からず、と」(論曰、夫書所以載前修之嘉言懿行也。……但讀書之法、有正有俗、有善有不善。學者不可不察焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「の人の子は、之をわかしとするの辞。子羔は曾子よりちょうずること六歳、よわい甚だひくくしてがく未だ成らず。故に云うことしかり。何ぞ必ずしも書を読みて然してのち学と為さん、書は尚書を謂う。孟子のことごとく書を信ずれば、易大伝たいでんの書は言を尽くさずは、皆尚書を謂う。荘子曰く、書は政事をう、と。故に子路云うことしかり。後世以て黄巻の都名と為すは、古言を識らざるなり」(夫人之子、少之之辭。子羔長曾子六歳、齒甚卑而學未成。故云爾。何必讀書然後爲學、書謂尚書。孟子盡信書、易大傳書不盡言、皆謂尚書。莊子曰、書道政事。故子路云爾。後世以爲黄卷都名、不識古言也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十