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公冶長第五 4 或曰雍也仁而不佞章

096(05-04)
或曰、雍也仁而不佞。子曰、焉用佞。禦人以口給、屢憎於人。不知其仁。焉用佞。
あるひといわく、ようや、じんにしてねいならず。いわく、いずくんぞねいもちいん。ひとふせぐにこうきゅうもってすれば、屢〻しばしばひとにくまる。じんなるをらず。いずくんぞねいもちいん。
現代語訳
  • だれかが ―― 「雍(ヨウ)くんは、いい人だがブッキラボウで…。」先生 ――「ペチャクチャは無用だ。人にツベコベいうと、とかくにくまれる。かれの人がらは知らないが、ペチャクチャは無用だ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ある人が「よう仁者じんしゃだけれどもしいことには弁才がない。」と評した。孔子様がおっしゃるよう、「弁才などはなくてもよろしい。口前くちまえだけで人と応対するとしばしば人ににくまれることになるが、雍にはその心配がない。仁者だかどうだか知らないが、弁才などはなくてもよろしい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ある人がいった。――
    ようは仁者ではありますが、惜しいことに口下手で、人を説きふせる力がありません」
    すると先師がいわれた。
    「口下手など、どうでもいいことではないかね。人に接して口先だけうまいことをいう人は、たいていおしまいには、あいそをつかされるものだよ。私はようが仁者であるかどうかは知らないが、とにかく、口下手は問題ではないね」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 或 … 「あるひと」と読む。
  • 雍 … 前522~?。姓はぜん、名は雍、あざなは仲弓。魯の人。孔子より二十九歳若いという。徳行にすぐれていた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【仲弓】参照。
  • 佞 … 人あたりがよくて、口先がうまいこと。
  • 焉用佞 … どうして弁舌の必要があろうか。「焉」は「どうして~であろうか(いや~でない)」と訳す。反語の意を表す。
  • 禦 … 「あたる」「こたうる」とも読む。「応対する」「抗弁する」等の意。
  • 口給 … 口数を多く出すこと。口が達者なこと。口才。
補説
  • 『注疏』に「此の章は仁は佞を須いざるを明らかにするなり」(此章明仁不須佞也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 雍 … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉雍は字は仲弓。伯牛の宗族なり。不肖の父より生まれ、徳行を以て名を著す」(冉雍字仲弓。伯牛之宗族。生於不肖之父、以德行著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記索隠』に引く『孔子家語』に「孔子よりわかきこと二十九歳」(少孔子二十九歳)とある。ウィキソース「史記索隱 (四庫全書本)/卷18」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉雍、字は仲弓。仲弓、政を問う。孔子曰く、門を出づるは大賓を見るが如くし、民を使うは大祭をくるが如くす。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し、と。孔子、仲弓を以て徳行有りと為す。曰く、雍や南面せしむ可し、と。仲弓の父は賤人なり。孔子曰く、ぎゅうの子も、あかくして且つ角あらば、用いる勿からんと欲すと雖も、山川其れこれてんや、と」(冉雍字仲弓。仲弓問政。孔子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。在邦無怨、在家無怨。孔子以仲弓爲有德行。曰、雍也可使南面。仲弓父賤人。孔子曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く馬融の注に「雍は、弟子の仲弓の名なり。姓は、冉なり」(雍、弟子仲弓名也。姓、冉也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「雍は、孔子の弟子、姓は冉、字は仲弓」(雍、孔子弟子、姓冉、字仲弓)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 雍也仁而不佞 … 『義疏』に「或る人云う、弟子の冉雍甚だ仁徳有れども、ねいにして時に会うことを求むること能わざるなり、と」(或人云、弟子冉雍甚有仁德、而不能佞媚求會時也)とある。佞媚は、こびへつらうこと。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「佞は、口才なり。或いは一人有り、夫子に言いて曰く、弟子の冉雍は、身に仁徳有りと雖も、而も口に才弁無し、と。或る人其の徳の未だ備わらざるをうたがうなり」(佞、口才也。或有一人、言於夫子曰、弟子冉雍、雖身有仁德、而口無才辯。或人嫌其德未備也)とある。また『集注』に「佞は、口才なり。仲弓の人とり、重厚簡黙。而して時人佞を以て賢と為す。故に其の徳に優なるをめて、其の才に短きを病とするなり」(佞、口才也。仲弓爲人、重厚簡默。而時人以佞爲賢。故美其優於德、而病其短於才也)とある。
  • 子曰、焉用佞 … 『義疏』に「或る人をこばむなり。言うこころは人生まれて世に在り、仁を備うるときは自ら足る、焉くんぞねいを作さん」(距或人也。言人生在世、備仁躬自足、焉作佞僞也)とある。また『注疏』に「夫子或る人に語りて言う、仁人は安くんぞ其の佞を用いん、と」(夫子語或人言、仁人安用其佞也)とある。
  • 禦人以口給、屢憎於人 … 『集解』に引く孔安国の注に「屢は、数なり。佞人は、口辞捷給しょうきゅうにして、数〻民の憎む所と為るなり」(屢、數也。佞人、口辭捷給、數爲民所憎也)とある。捷給は、話し方が上手で、応対がすばやいこと。また『義疏』に「更に佞人の悪を為すを説くなり。禦は、猶お対のごときなり。給は、捷なり。屢は、数なり。言うこころは佞者は口辞は人に対して捷給なるも実無ければ、則ち数〻人の憎悪する所と為るなり」(更説佞人之爲惡也。禦、猶對也。給、捷也。屢、數也。言佞者口辭對人捷給無實、則數爲人所憎惡也)とある。また『注疏』に「夫子は更に或る人の為に佞人の短を説く。屢は、数なり。言うこころは佞人は人に禦当たるに口才の捷給しょうきゅうを以てし、屢〻しばしば憎悪を人に致す。数〻しばしば人の憎悪する所と為るを謂うなり。……佞は是れ口才捷利の名、本と善悪の称に非ず。但だ佞を為すは善悪有るのみ。善を為すに捷敏、是れ善佞なり。祝鮀は、是れなり。悪を為すに捷敏、是れ悪佞なり。即ち佞人を遠ざくは、是れなり。但だ君子は言に訥にして行いに敏ならんと欲す。言の多しと雖も、情或いは信ならず。故に云う、焉んぞ佞を用うるのみならんや、と」(夫子更爲或人説佞人之短。屢、數也。言佞人禦當於人以口才捷給、屢致憎惡於人。謂數爲人所憎惡也。……佞是口才捷利之名、本非善惡之稱。但爲佞有善惡耳。爲善捷敏、是善佞。祝鮀、是也。爲惡捷敏、是惡佞。即遠佞人、是也。但君子欲訥於言而敏於行。言之雖多、情或不信。故云、焉用佞耳)とある。また『集注』に「禦は、当なり。猶お応答のごときなり。給は、弁なり。憎は、悪むなり。言うこころは何ぞ佞を用いんや。佞人の人に応答する所以の者は、但だ口を以て弁を取りて、情実無し。だ多く人の憎悪する所と為るのみ」(禦、當也。猶應答也。給、辨也。憎、惡也。言何用佞乎。佞人所以應答人者、但以口取辨、而無情實。徒多爲人所憎惡爾)とある。
  • 屢憎於人 … 『義疏』では「屢憎於民」に作る。
  • 不知其仁。焉用佞 … 『義疏』に「佞の悪を為すの深きことを憎む、故に重ねて答えて或る人をこばむなり」(憎佞爲惡之深、故重答距於或人也)とある。また『注疏』に「言うこころは佞人は既に数〻人の憎悪する所と為れば、則ち其の仁徳有るの人なるかは知らざるも、復た安くんぞ其の佞を用いんや」(言佞人既數爲人所憎惡、則不知其有仁德之人、復安用其佞邪)とある。
  • 『集注』に「我未だ仲弓の仁を知らずと雖も、然れども其の佞ならざるは乃ち賢たる所以にして、以て病と為すに足らざるなり。再び焉んぞ佞を用いんと言うは、深く之をさとす所以なり」(我雖未知仲弓之仁、然其不佞乃所以爲賢、不足以爲病也。再言焉用佞、所以深曉之)とある。
  • 『集注』に「或ひと疑う、仲弓の賢にして、夫子其の仁を許さざるは、何ぞや、と。曰く、仁道は至大なり。全く体してまざる者に非ざれば、以て之に当たるに足らず。顔子亜聖の如きも、猶お三月の後に違い無きこと能わず。況んや仲弓賢なりと雖も、未だ顔子に及ばず。聖人固より得て軽〻しく之を許さざるなり、と」(或疑、仲弓之賢、而夫子不許其仁、何也。曰、仁道至大。非全體而不息者、不足以當之。如顏子亞聖、猶不能無違於三月之後。況仲弓雖賢、未及顏子。聖人固不得而輕許之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人を愛する者は人つねに之を愛す。仁の美徳たる所以なり。屢〻しばしば人に憎まるるが若き、正に佞の凶徳たることを見るなり。夫子之を戒むることむべなり。当時実徳日〻に病み、へつらいの風日〻に盛んに、人徒らに佞を重んずることを知って、仁を重んずることを知らず。故に夫子此を言いて、以て深く佞を用いる可からざるの意を明らかにす。或ひと曰く、仲弓の賢、顔子にぐ。而るに夫子其の仁を許さざる者は、何ぞや、と。曰く、仁は実徳なり。慈愛の徳、中に充実して、一毫の残忍刻薄の心無く、其の利沢恩恵、遠く天下後世に被りて、而る後に之を仁と謂う。所以に仲弓の賢と雖も、夫子猶お之を与えざるなり」(愛人者人恒愛之。仁之所以爲美德也。若屢憎於人、正見佞之爲凶德也。夫子戒之宜矣。當時實德日病、諛風日盛、人徒知重佞、而不知重仁。故夫子言此、以深明不可用佞之意。或曰、仲弓之賢、亞於顏子。而夫子不許其仁者、何哉。曰、仁實德也。慈愛之德、充實於中、而無一毫殘忍刻薄之心、其利澤恩惠、遠被于天下後世、而後謂之仁。所以雖仲弓之賢、夫子猶不與之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「夫れ慈恵を以て仁と為すは、世人の皆知る所、これを它書に考えて見る可し。時人佞を貴ぶ。つねに仁の佞を兼ねんことを欲し、以て全材と為す。……蓋し能く言う者は為すこと能わず、能く為す者は言うこと能わざるは、自然の符なり。故に孔子は仲弓の佞ならざるを喜ぶのみ。它日又た曰く、雍や南面せしむ可し、と。其の仁なるを謂うなり。……朱子曰く、仁の道は至って大なり。全く体してまざる者に非ずんば、以て之に当つるに足らず、と。是れ自ずから理学の見なるのみ。凡そ其の徳以て民を安んず可き者は、皆之を仁と謂う。但だ孔子は学を主とす。学なる者は先王の道を学ぶなり。故に以て天下の民を安んず可き者にして後に其の仁なるを許す。是れ仁の其の人をかたんずる所以なり」(夫以慈惠爲仁、世人所皆知、考諸它書可見也。時人貴佞。毎欲仁之兼佞、以爲全材。……蓋能言者不能爲、能爲者不能言、自然之符也。故孔子喜仲弓之不佞已。它日又曰、雍也可使南面。謂其仁也。……朱子曰、仁道至大。非全體而不息者、不足以當之。是自理學之見耳。凡其德可以安民者、皆謂之仁。但孔子主學。學也者學先王之道也。故可以安天下之民者而後許其仁。是仁所以難其人也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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