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子張第十九 13 子夏曰仕而優則學章

484(19-13)
子夏曰、仕而優則學、學而優則仕。
子夏しかいわく、つかえてゆうなればすなわまなび、まなびてゆうなればすなわつかう。
現代語訳
  • 子夏 ――「職についてゆとりがあれば、学問をする。学問してゆとりができたら、職につく。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子夏の言うよう、「学問が十分に進んで余力ができたらはじめて仕官すべきである。そして仕官した以上全力をやくきにそそぐべきは当然だが、しかし余力があったら学をはいすることなく絶えず勉強して、とくを増進し人物を大成たいせいすべきである。ところが仕官をすると学問をほうしてしまうのがかんの通例で、それははなはよろしくない。」(前半と後半とを入れ替えて訳している)(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子夏がいった。――
    「仕えて余力があったら学問にはげむがいい。学問をして余力があったら、出でて仕えるがいい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 仕 … 役人として仕えること。仕官すること。官途に就くこと。
  • 優 … 余力があること。余裕があること。
補説
  • 『注疏』に「此の章は学を勧むるなり」(此章勸學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 仕而優則学 … 『集解』に引く馬融の注に「行いて余力有れば、則ち以て文を学ぶ可きなり」(行有餘力、則可以學文也)とある(学而第一6)。なお、底本には「可」の字がないが、諸本に従い補った。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「亦た学を勧むるなり。優は、行いて余力有るを謂うなり。若し官に仕うれば官を治む。官は法のみ。力優余有れば、則ち更に先王の典訓を研学す可きなり」(亦勸學也。優、謂行有餘力也。若仕官治官。官法而已。力有優餘、則更可研學先王典訓也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは人の官に仕え、己の職を行いて優間ゆうかんにして余力有れば、則ち以て先王の遺文を学ぶなり」(言人之仕官、行己職而優間有餘力、則以學先王之遺文也)とある。優間は、ゆったりとして、暇のあるさま。「優閑」に同じ。また『集注』に「優は、余力有るなり。仕と学とは、理同じくして事異なり」(優、有餘力也。仕與學理同而事異)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 学而優則仕 … 『義疏』に「学びて既に無ければ、当に官に立つべし。官に立ちては治めざるを得ず。故に学業優足なれば、則ち必ず進仕するなり」(學既無、當於立官。立官不得不治。故學業優足、則必進仕也)とある。また『注疏』に「若し学びて徳業優長なる者は、則ち当に仕進して以て君臣の義を行うべきなり」(若學而德業優長者、則當仕進以行君臣之義也)とある。
  • 『集注』に「故に其の事に当たる者は、必ず先ず以て其の事を尽くすこと有りて、而る後に其の余に及ぶ可し。然れども仕えて学べば、則ち其の仕に資する所以の者益〻深し。学びて仕うれば、則ち其の学を験する所以の者益〻広し」(故當其事者、必先有以盡其事、而後可及其餘。然仕而學、則所以資其仕者益深。學而仕、則所以驗其學者益廣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ言うこころは仕うると学ぶとは本と二致無し。学は以て其の道を致し、仕は以て其の志を行う。故に仕えて能く其の事をゆたかにせば、則ち未だ必ず学ばずと雖も、然れども学の理に違わず。学びて能く人に及べば、則ち未だ必ず仕えずと雖も、亦た仕の道に戻らず。知る可し学びて仕うと雖も、然れども若し其の職にかなわざれば、則ち学びざると同じ」(此言仕與學本無二致。學以致其道、仕以行其志。故仕而能裕其事、則雖未必學、然不違乎學之理。學而能及乎人、則雖未必仕、亦不戻於仕之道。可知雖學而仕、然若不稱其職、則與不學同)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「朱註之を尽くせり。優は余力有るなり。言うこころは仕えてかん成れば、そう有りと雖も、亦た優に為す所、是れ余力有り、以て学ぶ可し。学んでぎょう成れば、未だ成らざる者有りと雖も、亦た歳月の能くう可きに非ざれば、則ち以て仕う可しと。仁斎乃ち是れ亦た政をるなりを引きて曰く、仕うれば必ずしも学ばず、学べば必ずしも仕えず、と。真に乱道するかな」(朱註盡之矣。優有餘力也。言仕而宦成、雖有曹事、亦所優爲、是有餘力、可以學焉。學而業成、雖有未成者、亦非歳月之可能卒、則可以仕焉。仁齋乃引是亦爲政而曰、仕不必學、學不必仕。眞亂道哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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