>   論語   >   先進第十一   >   4

先進第十一 4 子曰孝哉閔子騫章

257(11-04)
子曰、孝哉閔子騫。人不間於其父母昆弟之言。
いわく、こうなるかなびんけんひと父母ふぼ昆弟こんていげんかんせず。
現代語訳
  • 先生 ――「『孝行者の騫(ビン)子騫(ケン)』 ――だれも親きょうだいのほめことばにケチをつけぬ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「孝行なことかな、閔子騫は。父母兄弟が彼をほめても、人が親ばか身びいきだと言わぬ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    びんけんはなんという孝行者だろう。親兄弟が彼をいくらほめても、誰もそれを身びいきだと笑うものがない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 孝哉 … 孝行者だなあ。「哉」は「かな」と読み、「~であるなあ」と訳す。感嘆・詠嘆の意を示す。
  • 閔子騫 … 前536~前487。姓はびん。名は損。あざなは子騫。孔門十哲のひとり。孔子より十五歳年少。魯の人。徳行にすぐれ、また孝行者でもあった。ウィキペディア【閔子騫】参照。
  • 昆弟 … 兄弟。「昆」は、兄の意。
  • 間 … 文句をつける。異議をさしはさむ。誤りを指摘する。そしる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は閔子騫の孝行を歎美するなり」(此章歎美閔子騫之孝行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 閔子騫 … 『孔子家語』七十二弟子解に「閔損びんそんひとあざなは子騫。孔子よりわかきこと十五歳。徳行を以て名を著す。孔子其の孝なるをたたう」(閔損魯人、字子騫。少孔子十五歳。以德行著名。孔子稱其孝焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「閔損、字は子騫。孔子より少きこと十五歳。孔子曰く、孝なるかな閔子騫。人、其の父母昆弟こんていの言をかんせず、と。大夫に仕えず、くんの禄をまず。如し我をふたたびする者有らば、必ずぶんほとりに在らん、と」(閔損字子騫。少孔子十五歳。孔子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言。不仕大夫、不食汙君之祿。如有復我者、必在汶上矣)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 人不間於其父母昆弟之言 … 『集解』に引く陳群の注に「言うこころは閔子騫の人とり、上は父母に事え、下は兄弟に順い、動静善を尽くす。故に人非間の言有るを得ざるなり」(言閔子騫爲人、上事父母、下順兄弟、動靜盡善。故人不得有非閒之言也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「間は、猶お非のごときなり。昆は、兄なり。兄を謂いて昆と為す。昆は、明なり。尊びて之を言うなり。言うこころは子騫は至孝なり。父母兄弟に事えて、美善を尽くす。故に凡そ人物の論、子騫を非間の言有る者無きなり。故に顔延之云う、言の間無きを美を尽くすと謂うなり、と」(閒、猶非也。昆、兄也。謂兄爲昆。昆、明也。尊而言之也。言子騫至孝。事父母兄弟、盡於美善。故凡人物論無有非閒之言於子騫者也。故顏延之云、言之無閒謂盡美也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「昆は、兄なり。間は、非毀ひきかんを謂う。言うこころは子騫は上父母に事え、下兄弟に順い、動静は善を尽くす、故に人に非間の言有るを得ず」(昆、兄也。間、謂非毀間厠。言子騫上事父母、下順兄弟、動靜盡善、故人不得有非間之言)とある。また『集注』に引く胡寅の注に「父母兄弟の其の孝友を称するに、人皆之を信じ、異辞無きは、蓋し其の孝友の実、以て中に積みて外に著わるる有り。故に夫子歎じて之をむ」(父母兄弟稱其孝友、人皆信之、無異辭者、蓋其孝友之實、有以積於中而著於外。故夫子歎而美之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『芸文類聚』巻二十に引く『説苑』佚文に「閔子騫は、兄弟二人なり。母死す。其の父更にめとり、復た二子有り。子騫其の父の為に車を御し、くつわを失う。父其の手を持す、衣は甚だひとえなり。父則ち帰り、其のこうの児を呼び、其の手を持す、衣甚だ厚く温かなり。即ち其のよめに謂いて曰く、吾汝を娶る所以は、乃ち吾が子の為なり。今汝我を欺く、去りて留むること無かれ、と。子騫すすみて曰く、母いませば一子ひとえなり、母去れば四子こごゆ、と。其の父黙然たり。故に曰く、孝なるかな、閔子騫。一言して其の母かえり、再言して三子温かなり、と」(閔子騫、兄弟二人。母死。其父更娶、復有二子。子騫爲其父御車、失轡。父持其手、衣甚單。父則歸、呼其後母兒、持其手、衣甚厚溫。即謂其婦曰、吾所以娶汝、乃爲吾子。今汝欺我、去無留。子騫前曰、母在一子單、母去四子寒。其父默然。故曰、孝哉、閔子騫。一言其母還、再言三子溫)とある。後母は、継母。ウィキソース「藝文類聚/卷020」参照。
  • 宮崎市定は「不間~之言」の部分を「~をかんするの言あらず」と読み、「子いわく、孝行者といえば閔子騫だ。誰も彼の父母昆弟の悪口を言う者がない」と訳している(『論語の新研究』269頁)。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「按ずるに韓詩外伝に、閔子早く母を喪す。父再び娶りて二子を生む。其の異母兄弟の間に処するに、宜しく間言の入り易き所なるべきなり。而るに閔子誠孝惻怛そくだつ、人にまことなる者有り。故に人亦た異母兄弟の言を以て、之を閔子に間せず。孝の至りなり」(按韓詩外傳、閔子早喪母。父再娶生二子。其處於異母兄弟之間、宜間言之所易入也。而閔子誠孝惻怛、有孚於人者。故人亦不以異母兄弟之言、間之於閔子。孝之至也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「孝なるかな閔子騫は、外人閔子を称するの言なり。而うして孔子之を誦す。人其の父母昆弟の言を間せず、人とは外人を謂うなり。父母昆弟以て孝と為し、外人も亦た以て孝と為す。此れ所謂非間せざるなり。大氐たいてい父母昆弟、うち或いは相とがむるも、外必ず人に向かいて其の善を称す。人の情しかりと為すなり。故に人多く其の父母昆弟相称美するの言を信ぜず。唯だ閔子、孝くにまことなり。故に外人其の孝を称して、其の父母昆弟の言を非間せざるなり。仁斎間を以てざんと為す。亦た孔子の弟子に於ける、其のあざなを称すからざるを知らざるなり」(孝哉閔子騫、外人稱閔子之言也。而孔子誦之。人不間於其父母昆弟之言、人謂外人也。父母昆弟以爲孝、外人亦以爲孝。此所謂不非間也。大氐父母昆弟、内或相尤、外必向人稱其善。人之情爲然也。故人多不信其父母昆弟相稱美之言。唯閔子、孝孚於邦。故外人稱其孝、而不非間其父母昆弟之言也。仁齋以間爲讒。亦不知孔子之於弟子、不容稱其字也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十