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子罕第九 17 子曰吾未見好徳如好色者也章

222(09-17)
子曰、吾未見好德如好色者也。
いわく、われいまとくこのむこといろこのむがごとくなるものざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「わしはまだ、道徳が女ほどすきな人には会わない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「色を好むごとく熱烈に徳を好む者を、わしはまだ見たことがない。かんなことじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「私はまだ色事を好むほど徳を好む者を見たことがない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 衛霊公第十五12」とほぼ同様。
  • 徳 … 道徳。徳義。荻生徂徠は「有徳者」と解釈している。
  • 色 … 美人。女性。女色。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子時人の徳に薄くして色に厚きをにくむなり」(此章孔子疾時人薄於德而厚於色也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 吾未見好徳如好色者也 … 『集解』の何晏の注に「時人の徳に薄くして色に厚きをにくむなり。故に此の言を発するなり」(疾時人薄於德而厚於色也。故發此言也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「時人、色を好むこと多くして徳を好むこと無し。孔子之をうれう。故に云う、未だ見ず、と。以て之をはげますなり」(時人多好色而無好德。孔子患之。故云、未見。以厲之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「好色を好み、悪臭を悪むは、誠なり。徳を好むこと色を好むが如きは、れ誠に徳を好むなり。然れども民之を能くすることすくなし」(好好色、惡惡臭、誠也。好德如好色、斯誠好德矣。然民鮮能之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に「史記(孔子世家)に、孔子衛に居りしとき、霊公、夫人と車を同じくし、孔子をして次乗と為らしめ、市に招揺して之を過ぐ。孔子之を醜む。故に是の言有り」(史記、孔子居衞、靈公與夫人同車、使孔子爲次乘、招搖市過之。孔子醜之。故有是言)とある。ウィキソース「史記/卷047」参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「学びて徳を好むに至れば、則ち其の学已に実なり。然れども真に好む者無し。夫子の歎ずる所以なり」(學而至於好德、則其學已實矣。然無眞好者。夫子之所以歎也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「天下豈に果たして徳を好むの人無からんや。子、南容をおもえらく、徳をたっとべるかなかくのごとき人と、以て見る可きのみ。故に此れ為にする所有るの言なり。朱註に史記を引くを、と為す。但だ徳を好むとは、有徳の人を好むなり。……古来いろを好むの君は賢を好まず、賢を好むの君は色を好まず、二者毎毎相反す、自然の符なり。故に孔子しかう。大氐たいてい孔子の言は、人君の為に之を言う者多し。後世きゅうだいの解は、遂に之を失するのみ」(天下豈果無好德之人乎。子謂南容尚德哉若人、可以見已。故此有所爲之言。朱註引史記、爲是。但好德者、好有德之人也。……古來好色之君不好賢、好賢之君不好色、二者毎毎相反、自然之符也。故孔子云爾。大氐孔子之言、多爲人君言之者焉。後世窮措大之解、遂失之爾)とある。窮措大は、貧しい学者。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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