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学而第一 7 子夏曰賢賢易色章

007(01-07)
子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣。
子夏しかいわく、けんけんとしていろえ、父母ふぼつかえてはちからつくし、きみつかえていたし、朋友ほうゆうまじわり、いてしんらば、いままなばずとうといえども、われかならこれまなびたりとわん。
現代語訳
  • 子夏 ―― 「色よりはチエを買い、親のためには苦労をいとわず、国にはすすんで身をささげ、友だちづきあいに、ウソをつかなければ、無学な人でも、学問があるというわけさ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子夏が言うよう、「色を好むのは人間の真情だが、色を好むようなやむにやまれぬ気持で賢人を師とし友とすることを求め、父母につかえるには全力をつくし、君につかえては一身を投げ出し、友人との交わりに言ったことは必ずたがえぬ、そういう人物があるならば、当人はまだ学問が出来ておりませんと言おうとも、また他人があいつは無学だと言おうとも、私はその人こそ本当に学問の出来上がった人物だといたい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子夏しかがいった。――
    「美人を慕うかわりに賢者を慕い、父母に仕えて力のあらんかぎりをつくし、君に仕えて一身の安危を省みず、朋友と交って片言隻句も信義にたがうことがないならば、かりにその人が世間にいわゆる無学の人であっても、私は断乎としてその人を学者と呼ぶに躊躇しないであろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 賢 … 賢者。
  • 色 … 女性への情熱。
  • 賢賢易色 … 従来は「賢を賢として色にえ」「賢を賢として色を易え」等に訓読し、「色」を「女色」「美人」等に解し、「色を好むように賢者を敬う」「美人を慕うような気持ちで賢者を慕う」等に訳してきたが、宮崎市定は「賢賢たるかなとかげの色や、とあり」と訓読し、「とかげの色は賢々として周圍に應じて變るもの、という古語がある」と訳している(『論語の新研究』165頁)。
  • 竭 … 力を充分出し尽くすこと。
  • 君 … ここでは君主という意味ではなく、自分が仕える主人。
  • 致 … 一身に尽くす。
  • 朋友 … 友だち。
  • 有信 … 信義を重んじる。
  • 未学 … まだ学問をしていない。
  • 学矣 … 学問をした人。学問のできた人。「矣」は、文末につけて断定を表す助辞。
補説
  • 『注疏』に「此の章は生まれながら美行を知るの事を論ず」(此章論生知美行之事)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く孔安国の注に「子夏は、弟子の卜商なり」(子夏、弟子卜商也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「姓は卜、名は商、あざなは子夏」(姓卜、名商、字子夏)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「子夏は、孔子の弟子、姓は卜、名は商」(子夏、孔子弟子、姓卜、名商)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 賢賢易色 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは好色の心を以て賢を好めば則ち善なり」(言以好色之心好賢則善也)とある。また『義疏』に「凡そ人の情、色を好まざること莫くして、賢を好まず。今若し人有って能く色を好むの心を改易して、以て賢を好めば、則ち此の人便ち是れ賢者よりも賢なり。故に賢を賢として色に易うと云うなり。然して賢者よりも賢なりと云えるは、亦た是れ奨勧するの辞なり。又た一通に云う、上の賢字は、猶お尊重のごときなり。下の賢字は、賢人を謂うなり。言うこころは若し此の賢人を尊重せんと欲すれば、則ち当に其の平常の色を改易して、更に荘敬の容を起すべきなり」(凡人之情、莫不好色、而不好賢。今若有人能改易好色之心、以好於賢、則此人便是賢於賢者。故云賢賢易色也。然云賢於賢者、亦是奬勸之辭也。又一通云、上賢字、猶尊重也。下賢字、謂賢人也。言若欲尊重此賢人、則當改易其平常之色、更起莊敬之容也)とある。また『注疏』に「上の賢は、之を好尚するを謂うなり。下の賢は、有徳の人を謂う。易は、改なり。色は、女人なり。女に美色有りて、男子は之を悦ぶ、故に経・伝の文、通じて女人を謂いて色と為す。人は色を好みて賢を好まざる者多し。能く好色の心を改易して以て賢を好めば、則ち善し。故に賢を賢として色に易うと曰うなり」(上賢、謂好尚之也。下賢、謂有德之人。易、改也。色、女人也。女有美色、男子悅之、故經傳之文、通謂女人爲色。人多好色不好賢者。能改易好色之心以好賢、則善矣。故曰賢賢易色也)とある。また『集注』に「人の賢を賢として、其の色を好むの心にうるは、善を好みて誠有るなり」(賢人之賢、而易其好色之心、好善有誠也)とある。
  • 事父母能竭其力 … 『義疏』に「子父母に事えて、左右就き養うことみち無し、是れ能く力をつくすなり」(子事父母、左右就養無方、是能竭力也)とある。また『注疏』に「小孝を謂うなり。言うこころは子と為りて父に事うるには、未だとぼしからざること能わずと雖も、但だ其の力を竭尽けつじんして、其の勤労に服するのみなり」(謂小孝也。言爲子事父、雖未能不匱、但竭盡其力、服其勤勞也)とある。
  • 事君能致其身 … 『集解』に引く孔安国の注に「忠節を尽くし、其の身をしまざるなり」(盡忠節、不愛其身也)とある。また『義疏』に「致は、極なり。士は危を見て命を致す。是れ能く其の身を致し極むるなり」(致極也。士見危致命。是能致極其身也)とある。また『注疏』に「言うこころは臣と為りて君に事うるには、未だ其の美を将順して、其の悪を匡救きょうきゅうすること能わずと雖も、但だ忠節を致し尽くして、其の身をしまざること、童汪踦のごとくするなり」(言為臣事君、雖未能將順其美、匡救其惡、但致盡忠節、不愛其身、若童汪踦也)とある。また『集注』に「致すは、猶お委ぬるがごとし。其の身を委致するは、其の身を有せざるを謂うなり」(致、猶委也。委致其身、謂不有其身也)とある。
  • 与朋友交、言而有信 … 『義疏』に「入りては則ち親に事え、出でては則ち君に事う。而して朋友と交接し、義は欺かざるを主とす。故に必ず信有りと云うなり」(入則事親、出則事君。而與朋友交接、義主不欺。故云必有信也)とある。また『注疏』に「朋友と交わりを結び、切磋琢磨すること能わずと雖も、但だ言は約してつねに信有るを謂うなり」(謂與朋友結交、雖不能切磋琢磨、但言約而毎有信也)とある。
  • 雖曰未学、吾必謂之学矣 … 『義疏』に「仮令たとい学ばざれども、生まれながら知りて前の如くなれば、則ち吾も亦た之を学びたりと謂うなり。此れ人に学ぶを勧むるの故なり。故に王雍云く、言うこころは能く此の四つの者を行わば、未だ学ばずと云うと雖も、而も己は学びたりと謂う可きなり。生まれながらにして知る者は上なり、学びて知る者は次なり。若し未だ学ばずして能く知るは、則ち学ぶに過ぎたり、と。蓋し仮に之を言いて以て善行を勧むるなり」(假令不學、而生知如前、則吾亦謂之學也。此勸人學故也。故王雍云、言能行此四者、雖云未學、而可謂己學也。生而知者上、學而知者次。若未學而能知、則過於學矣。蓋假言之以勸善行也)とある。また『注疏』に「言うこころは人は生まれながらにして此の四事を行うを知れば、未だ嘗て師に従い学問を伏膺せずと曰うと雖も、然れども此れ人の行いの美なる者と為れば、学と雖も亦た是れ過ぎず、故に吾は必ず之を学びたりと謂わんとなり」(言人生知行此四事、雖曰未嘗從師伏膺學問、然此爲人行之美者、雖學亦不是過、故吾必謂之學矣)とある。また『集注』に「四者は皆人倫の大なる者にして、之を行うには必ず其の誠を尽くすなり。学はくの如きを求むるのみ。故に子夏言う、能く是の如きの人有れば、いやしくも生質の美に非ざれば、必ず其れ学を務むるの至りならん。或いは以て未だ嘗て学を為さずと為すと雖も、我は必ず之を已に学びたりと謂わん、と」(四者皆人倫之大者、而行之必盡其誠。學求如是而已。故子夏言、有能如是之人、苟非生質之美、必其務學之至。雖或以為未嘗為學、我必謂之已學也)とある。
  • 『集注』に引く游酢ゆうさくの注に「三代の学は、皆人倫を明らかにする所以なり。是の四者を能くせば、則ち人倫に於けるや厚し。学の道たる、何を以てか此に加えん。子夏は文学を以て名ありて、其の言此くの如ければ、則ち古人の所謂学なる者を知る可きなり。故に学而の一篇は、大抵皆本を務むるに在り」(三代之學、皆所以明人倫也。能是四者、則於人倫厚矣。學之爲道、何以加此。子夏以文學名、而其言如此、則古人之所謂學者可知矣。故學而一篇、大抵皆在於務本)とある。
  • 『集注』に引くよくの注に「子夏の言、其の意善し。然れども詞気の間、抑揚はなはだ過ぎたり。其の流の弊、将に或いは学を廃するに至らんとす。必ず上章の夫子の言の若くにして、然る後に弊無しと為すなり」(子夏之言、其意善矣。然詞氣之間、抑揚太過。其流之弊、將或至於廢學。必若上章夫子之言、然後爲無弊也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人の賢を賢として、顔色を変易すとは、善を好むの誠有るを言うなり。致すは、猶お委ぬるがごとし。其の身を致すとは、其の身を有るとせざるを謂うなり。子夏言う、学とはくの如きを求むるのみ。いやしくもくの如きの人有らば、或いは未だ嘗て学を為さずと雖も、我は必ず之を既に道を学ぶの人と謂わん」(賢人之賢、而變易顏色、言好善之有誠也。致、猶委也。致其身、謂不有其身也。子夏言、學者求如是而已。苟有如是之人、雖或未嘗爲學、我必謂之既學道之人矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「能く其の身を致すとは、身を其の職に致すを謂うなり。およそ致すと曰う者は、皆之をして至らしむるを謂うなり。……身を其の職にれて、官を視ること家の如くす。是れを之れ身を致すと謂う。……蓋し学は以て徳を成す。学んで其の徳を成す能わざる者はおおし。故に子夏云爾しかいう」(能致其身、謂致身其職也。凡曰致者、皆謂使之至也。……納身其職、視官如家。是之謂致身。……蓋學以成德。學而不能成其德者衆。故子夏云爾)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十