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子罕第九 18 子曰譬如爲山章

223(09-18)
子曰、譬如爲山。未成一簣、止吾止也。譬如平地。雖覆一簣、進吾往也。
いわく、たとえばやまつくるがごとし。いまいっさざるも、むはむなり。たとえばたいらかにするがごとし。いっくつがえすといえども、すすむはくなり。
現代語訳
  • 先生 ――「山をつくるときに、あと一ぱいの土でも、やめたら、それっきりだな。くぼ地をうめるときに、ただ一ぱいの土でも、入れたら、そこからだな。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「たとえ山を築く場合に、もうひとモッコというところで山が出来上がらないのは、だれのせいでもない自分がやめたのじゃ。また、たとえばならしをする場合に、たったひとモッコあけただけでも、それだけ自分で仕事をはかどらせたのじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「修行というものは、たとえば山を築くようなものだ。あといっというところで挫折しても、目的の山にはならない。そしてその罪は自分にある。また、たとえば地ならしをするようなものだ。いっでもそこにあけたら、それだけ仕事がはかどったことになる。そしてそれは自分が進んだのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 譬如 … たとえば~のようである。
  • 為山 … 築山つきやまをつくる。「為」は「つくる」と動詞に読む。
  • 未 … 「いまだ~(せ)ず」と読み、「まだ~しない」と訳す。再読文字。
  • 一簣 … 一モッコ一杯分。「簣」は、土を運ぶのに用いる竹のかご。モッコ。
  • 平地 … 地面のデコボコをならして平らかにする。
  • 覆 … (一モッコ分を)ひっくり返して地面にあける。
  • 吾往也 … 自分が進んでやったからである。自分が進歩し、前進したのだ。
  • 故事成語「一簣の功」「九仞の功を一簣に虧く」も参照。
補説
  • 譬如為山。未成一簣、止吾止也 … 『集解』に引く包咸の注に「簣は、ろうなり。此れ人を勧めて道徳に進ましむるなり。山を為る者、其の功はなはだ多しと雖も、未だ一籠を成さずして中道に止むれば、我其の前功の多きを以てして之をみせず。其の志の遂げざるを見て、故にくみせざるなり」(簣、土籠也。此勸人進於道德也。爲山者、其功雖已多、未成一籠而中道止者、我不以其前功多而善之。見其志不遂、故不與也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ人、善を為して成るになんなんとして止むる者を戒むるなり。簣は、土籠なり。言うこころは人、善を作して足るに垂して止まば、則ち善事成らず。山を為るに足るに垂として唯だ一籠の土のみをきて止めば、則ち山成らざるが如し。此は是れ功を建つるに篤からず。作らざると異なる無し。則ち吾も亦た其の前功の多きを以て善と為さず。如し善を為して成らざれば、吾も亦た其の前功の多きをめざるなり。故に云う、吾止むなり、と」(此戒人爲善垂成而止者也。簣、土籠也。言人作善垂足而止、則善事不成。如爲山垂足唯少一籠土而止、則山不成。此是建功不篤。與不作無異。則吾亦不以其前功多爲善。如爲善不成、吾亦不美其前功多也。故云、吾止也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「簣は、土籠なり」(簣、土籠也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 譬如平地。雖覆一簣、進吾往也 … 『集解』に引く馬融の注に「地を平らかにすとは、将に進みて功を加えんとするに、始めて一簣を覆すと雖も、我其の見功の少なきを以てして之をかろんぜざるなり。其の進まんと欲するに拠りて之にくみするなり」(平地者、將進加功、雖始覆一簣、我不以其見功少而薄之也。據其欲進而與之也)とある。また『義疏』に「此れ人始めて善を為してとどまらざる者をすすむるなり。譬えば平地に於いて山を作る。山乃ち多土をちて、始めて一籠を覆す。一籠少なしと雖も、交〻こもごも是れ其の進めんと欲するの心よみす可きもの有り。人始め善を為すが如し。善は乃ち未だ多からず。交〻進むるを求むるの志重くす可からざれば、吾其の功を以て少なからずして之を善とせず。之を善として成るになんなんとして止む者に勝る有り。故に云う、吾往くなり、と」(此奬人始爲善而不住者也。譬於平地作山。山乃須多土、而始覆一籠。一籠雖少、交是其有欲進之心可嘉。如人始爲善。善乃未多。交求進之志可重、吾不以其功少而不善之。善之有勝於垂成而止者。故云、吾往也)とある。また『集注』に「書に曰く、山をつくること九仞なるも、功を一簣にく、と。夫子の言、蓋し此よりづ。言うこころは山成りて但だ一簣をくに、其の止むは吾自ら止むのみ。地を平らかにして方に一簣を覆すに、其の進むは吾自ら往くのみ。蓋し学者自ら強めて息まざれば、則ち少を積みて多を成す。中道にして止めば、則ち前功ことごとく棄つ。其の止み其の往くこと、皆我に在りて人に在らざるなり」(書曰、爲山九仞、功虧一簣。夫子之言、蓋出於此。言山成而但少一簣、其止者吾自止耳。平地而方覆一簣、其進者吾自往耳。蓋學者自強不息、則積少成多。中道而止、則前功盡棄。其止其往、皆在我而不在人也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「天下の事、進退の差、小なりと雖も成壊の迹甚だ大なり。わずかに進まば則ち未だにわかに成らずと雖も、然れども成るの機已にあらわる。纔かに退かば則ち未だにわかに壊れずと雖も、然れども壊るるの端已にきざす。其の進み其の止むは、皆おのれに在るのみ。自ら勉めざる可けんや」(天下之事、進退之差、雖小而成壞之迹甚大。纔進則雖未遽成、然成之機已著。纔退則雖未驟壞、然壞之端已萠。其進其止、皆在己而已耳。可不自勉哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「譬えば山をつくるが如しは、蓋し孔子書を解するの言なり。詩・書・礼・楽は、先王の四術なり。孔子当に詩・書を解するの言有るべし。其の自ら言うときも亦た多く古語を称引す。顔淵・仲弓の請う斯の語を事とせんというを観て、以て見る可きのみ。故に、先王の法言に非ざれば、敢えて道わずと曰う。人多く此の意を知らず。此の下の五章は類を以て之を録す」(譬如爲山、蓋孔子解書之言。詩書禮樂、先王四術。孔子當有解詩書之言。其自言亦多稱引古語。觀顏淵仲弓請事斯語、可以見已。故曰、非先王之法言、不敢道也。人多不知此意。此下五章以類錄之)とある。書は、『書経』周書・旅獒りょごう篇を指す。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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