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述而第七 24 子以四教章

171(07-24)
子以四教。文行忠信。
もっおしう。ぶんこうちゅうしん
現代語訳
  • 先生の教え四すじ ―― 学問、行動、まごころ、信用。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様の教授要目は結局四つであった。まず古典の講義と徳行による垂範すいはん、しかしてその中心徳目とくもくは忠と信とである。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師は四つの教育要目を立てて指導された。典籍の研究、生活体験、誠意の涵養、社会的信義がそれである。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 四 … 四つの事柄。
  • 文 … 学問。詩・書・礼・楽を指す。
  • 行 … 実行。実践。
  • 忠 … 誠実。まごころを尽くすこと。
  • 信 … 信義。人を欺かない信頼できる態度。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子教えを行うに、此の四事を以て先と為すを記するなり」(此章記孔子行教、以此四事爲先也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子以四教。文行忠信 … 『集解』の何晏の注に「四者に形質有り、挙げて以て教う可きなり」(四者有形質、可舉以教也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子教えを為すに恒に此の四事を用て首と為す。故に云う、子四を以て教うるなり、と。李充曰く、其の典籍の辞義、之を文と謂う。孝・悌・恭・睦、之を行と謂う。人臣と為りては則ち忠、朋友と交わりては則ち信、此の四者は教うるの先とするなり。故に文以て其の蒙をひらき、行以て其の徳を積み、忠以て其の節を立て、信以て其の終を全うするなり」(孔子爲教恆用此四事爲首。故云、子以四教也。李充曰、其典籍辭義、謂之文。孝悌恭睦謂之行。爲人臣則忠、與朋友交則信、此四者教之所先也。故以文發其蒙、行以積其德、忠以立其節、信以全其終也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「文は先王の遺文を謂う。行は徳行を謂う。心に在るを徳と為し、之を施すを行と為す。中心隠すこと無き、之を忠と謂う。人言の欺かざる、之を信と謂う。此の四者には形質有り、故に挙げて以て教う可きなり」(文謂先王之遺文。行謂德行。在心爲德、施之爲行。中心無隱、謂之忠。人言不欺、謂之信。此四者有形質、故可舉以教也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「人を教うるに文を学び行をおさめて忠信を存するを以てするなり。忠信は本なり」(教人以學文脩行而存忠信也。忠信、本也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、四教は忠信を以て帰宿の地と為す。即ち忠信を主とするの意なり。蓋し忠信に非ざれば、則ち道以て明なること無く、徳以て成ること無し。礼は忠信の推にして、敬は忠信の発なり。乃ち人道の立つ所以にして、万事の成る所以なり。凡そ学者は忠信を以て主と為さざる可からざるなり。而るに後の諸儒、別に各〻宗旨を立て、以て学問の主意と為る者は何ぞや」(論曰、四教以忠信爲歸宿之地。即主忠信之意。蓋非忠信、則道無以明矣、德無以成矣。禮者忠信之推、敬者忠信之發。乃人道之所以立、而萬事之所以成也。凡學者不可不以忠信爲主也。而後之諸儒、別各立宗旨、以爲學問之主意者何哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「文・行・忠・信は、是れ孔門の四科しか。文は文学、行は徳行、忠は政事を謂い、信は言語を謂う。政事にして忠と曰い、言語にしては信と曰う、其の物なり。しゃぶつの如し、古え之れ有り。旧註は古言を識らず、程子の忠信を本と為すが如きは、亦た唯だ三つのみ。邢昺けいへいの如きも、亦た唯だ文・行のみ。凡そ政事はみな人の為に謀る者なり。故に忠を貴ぶ。善く言いて信ならずんば、亦た何ぞ貴ばんや。是れ忠・信を二科と為す所以なり」(文行忠信、是孔門四科。文文學、行德行、忠謂政事、信謂言語。政事而曰忠、言語而曰信、其物也。如射五物、古有之。舊註不識古言、如程子忠信爲本、亦唯三耳。如邢昺、亦唯文行耳。凡政事皆爲人謀者。故貴忠。善言而不信、亦何貴乎。是所以忠信爲二科也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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