>   論語   >   述而第七   >   23

述而第七 23 子曰二三子以我爲隱乎章

170(07-23)
子曰、二三子以我爲隱乎。吾無隱乎爾。吾無行而不與二三子者。是丘也。
いわく、さんわれもっかくせりとすか。われかくすこときのみ。われおこなうとしてさんともにせざるものし。きゅうなり。
現代語訳
  • 先生 ――「諸君はわしに奥があると思うか。わしはきみたちにはアケスケだ。わしのすることで諸君に打ちあけないものはない。それがわたしなんだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「お前たちはわしが隠していると思うのか。わしはけっしてお前たちに隠しはしない。わしは何をするにもお前たちといっしょではないか。それがすべてお前たちに対するわしの講義なのじゃ。きゅうの丘たるゆえんはそこにある。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「おまえたちは、私の教えに何か秘伝でもあって、それをおまえたちにかくしていると思っているのか。私には何もかくすものはない。私は四六時中、おまえたちに私の行動を見てもらっているのだ。それが私の教えの全部だ。きゅうという人間はがんらいそういう人間なのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 二三子 … 弟子たちに呼びかける言葉。おまえたち。諸君。
  • 「以~為…乎」 … 「~をもって…となすか」と読む。「~が…すると思うか」と訳す。
  • 吾無隠乎爾 … 「乎爾」は句末を強勢する助辞。「のみ」と読む。また「爾」を「汝」と解し、「吾なんじに隠すこと無し」と読む説もある。
  • 「無~不…」 … 「~として…せざるなし」と読む。「どんな~でも…しないものはない」と訳す。
  • 不与 … 「与」は「共」に同じ。(行動を)ともにしない。
  • 者 … ここでは「行い」を指す。
  • 丘 … 孔子の名。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子人に教うるに隠し惜しむ所無きを言うなり」(此章言孔子教人無所隱惜也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 二三子以我為隠乎 … 『集解』の包咸の注に「二三子は、諸〻の弟子を謂うなり。聖人は智広く道深く、弟子之を学べども及ぶこと能わず、以為おもえらく、隠匿する所有りと。故に之を解くなり」(二三子、謂諸弟子也。聖人智廣道深、弟子學之不能及、以爲、有所隱匿。故解之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「二三子は、諸弟子なり。孔子の聖道は深遠にして、諸弟子学んで及ばざる所なり。而して怨み有る者恒に言う、孔子己に於いて隠惜する所有り、と。故に孔子まさに呼びて之に問うべくして曰く、汝等は言う、我汝に隠す所有るか、と」(二三子、諸弟子也。孔子聖道深遠、諸弟子學所不及。而有怨者恆言、孔子於己有所隱惜。故孔子合呼而問之曰、汝等言、我有所隱於汝乎)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「二三子は、諸弟子を謂うなり。聖人の知は広く道は深く、弟子之を学ぶも及ぶこと能わず、常に以て夫子に隠匿する所有りと為す、故に此の言を以て之を解く」(二三子、謂諸弟子也。聖人知廣道深、弟子學之不能及、常以爲夫子有所隱匿、故以此言解之)とある。また『集注』に「諸弟子、夫子の道高深にしてほとんど及ぶ可からざるを以て、故に其の隠すこと有るかと疑えり。而も聖人の作止語黙、教えに非ざる無きを知らざるなり。故に夫子此の言を以て之をさとす」(諸弟子以夫子之道高深不可幾及、故疑其有隱。而不知聖人作止語默無非教也。故夫子以此言曉之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 以我為隠乎 … 『義疏』では「以我為隠子乎」に作る。
  • 吾無隠乎爾 … 『義疏』に「爾は、汝なり。先ず呼んで之に問う。此れ更に之に語げて云う、吾汝に隠す所無きなり、と」(爾、汝也。先呼問之。此更語之云、吾無所隱於汝也)とある。また『注疏』に「言うこころはなんじ我を以て隠せりと為すか、我実に隠すこと無きなり」(言女以我爲隱、我實無隱也)とある。
  • 吾無行而 … 『義疏』では「吾無所行而」に作る。
  • 吾無行而不与二三子者。是丘也 … 『集解』に引く包咸の注に「我が為す所、爾と之を共にせざる者無し。是れ丘の心なり」(我所爲、無不與爾共之者。是丘之心也)とある。また『義疏』に「行は、猶お為のごときなり。丘は、孔子の名なり。孔子已にさきに云う、隠すこと無し、と。故に此れ更に自ら名を称して、隠すこと無きの事を説き、之をして信ぜしむるなり。言うこころは凡そ我為す所の事、汝と之を共にせざる者無しは、是れ丘の心此くの如きなり」(行、猶爲也。丘、孔子名也。孔子已向云、無隱。故此更自稱名、而説無隱之事、使之信也。言凡我所爲之事、無不與汝共之者、是丘之心如此)とある。また『注疏』に「言うこころは我が行う所為す所、爾等と之を共にせざる者無し、是れ丘の心なり。心と言うは、其の言を信ぜしめんとすればなり」(言我所行所爲、無不與爾等共之者、是丘之心也。言心者、使信其言也)とある。また『集注』に「与は、猶お示のごときなり」(與、猶示也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「聖人の道は、猶お天のごとく然り。門弟子、親炙して之に及ばんことをねがい、然る後其の高くして且つ遠きを知るなり。誠に以て及ぶ可からずと為さしめば、則ち趨向すうこうの心、怠るにちかからざらんや。故に聖人の教え、常に俯して之に就くこと此くの如し。独り資質庸下の者をして、勉め思い企て及ばしむるのみに非ずして、才気高邁なる者も、亦た敢えてりょうして進まざらしむるなり」(聖人之道、猶天然。門弟子、親炙而冀及之、然後知其高且遠也。使誠以爲不可及、則趨向之心、不幾於怠乎。故聖人之教、常俯而就之如此。非獨使資質庸下者、勉思企及、而才氣高邁者、亦不敢躐易而進也)とある。
  • 『集注』に引く呂大臨の注に「聖人は道を体して隠す無きこと、天象と与に昭然たり。至教に非ざること莫く、常に以て人に示すも、人自ら察せず」(聖人體道無隱、與天象昭然。莫非至教、常以示人、而人自不察)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し聖人の道は、高からず卑しからず、難きに非ず易きに非ず、天下に通じ、万世に達して、須臾も離すことを得ず。実に中庸の極みたるなり。其の聖人を以て、高しとして学ぶ可からずと為す者は、まことに道を知らず。近しとして学ぶに足らずと為す者も、亦た異端の流れ、益〻ますます道を知らざる者なり」(蓋聖人之道、不高不卑、非難非易、通於天下、達於萬世、而不得須臾離。實爲中庸之極也。其以聖人、爲高而不可學者、固不知道焉。爲近而不足學者、亦異端之流、益不知道者也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「人多くは此の章に於いて、爾を解してなんじとし、孟子に於いてはしかりと訓ず。皆なり。……包咸曰く、我が為す所、爾と之を共にせざること無き者はと、是と為す。言うこころは吾が行う所、必ず二三子と之を共にし、隠す所有りて独り行うこと莫しと、蓋し二三子の黙して之を識らんことを欲するなり。是れ丘なりとは、時の師は隠匿する所多きを言うなり」(人多於此章、解爾爲汝、於孟子訓然。皆非矣。……包咸曰、我所爲、無不與爾共之者、爲是。言吾所行、必與二三子共之、莫有所隱而獨行者、蓋欲二三子默而識之也。是丘也、言時師多所隱匿)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十