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里仁第四 5 子曰富與貴章

071(04-05)
子曰、富與貴、是人之所欲也。不以其道、得之不處也。貧與賤、是人之所惡也。不以其道、得之不去也。君子去仁、惡乎成名。君子無終食之間違仁。造次必於是。顚沛必於是。
いわく、とみたっときとは、ひとほっするところなり。みちもってせざれば、これともらざるなり。ひんせんとは、ひとにくところなり。みちもってせざれば、これともらざるなり。くんじんりて、いずくにかさん。くん終食しゅうしょくかんじんたがうことく、ぞうにもかならここいてし、顚沛てんぱいにもかならここいてす。
現代語訳
  • 先生 ――「カネと身分は、だれでもほしいものだが…。無理に手に入れたのは、ごめんこうむる。貧乏と下積みは、ありがたくないものだが…。身から出たのでなければ、逃げだしはせぬ。人の道を離れて、なにが人物だ。まことの人は食事のあいだも道を離れぬ。どんなに急いでも道、とっさの場あいも道だ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「ふうを欲するのは人情だからそれを欲してわるいことはないが、それが人生の目的ではなくて、仁が最終目的だから、仁にかなう道によったのでなければ、たとえ富貴を得ても君子はやすんじない。貧賤ひんせんをいやがるのは人情だから、それから去ろうとするのはけっこうだが、仁にかなう道によってでなければ、君子は貧賤から去ることをいさぎよしとしない。君子が仁をはなれてどこに君子たるゆえんがあろうや。君子たる者は、一食をすます短い時間でも仁からはなれぬ。サアたいへんというあわただしいさいでも、きゅう存亡そんぼう瀬戸せとぎわでも、仁を忘れぬが君子というものぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「人は誰しも富裕になりたいし、また尊貴にもなりたい。しかし、正道をふんでそれを得るのでなければ、そうした境遇を享受すべきではない。人は誰しも貧困にはなりたくないし、また卑賤にもなりたくはない。しかし、道を誤ってそうなったのでなければ、無理にそれをのがれようとあせる必要はない。君子が仁を忘れて、どうして君子の名に値しよう。君子は、はしのあげおろしの間にも仁にそむかないように心がけるべきだ。いや、それどころか、あわを食ったり、けつまずいたりする瞬間でも、心は仁にしがみついていなければならないのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 富 … 財産の多いこと。
  • 貴 … 高い地位。
  • 人 … 一般の人。
  • 不以其道 … 富貴を得るための正しい方法によらないで。すなわち、不正な方法で。
  • 不~不 … 「~せざれば(せずんば)…せず」と読む。仮定形。「~しないならば…しない」と訳す。
  • 不処 … 富貴の地位に安住しない。
  • 貧 … 貧乏。
  • 賤 … いやしい身分。低い地位。
  • 不去 … 貧賤の境遇を避けようとしない。
  • 悪 … 「いずくにか」と読み、「どこに~あろうか(いやどこにもない)」と訳す。空間を問う反語の意を示す。
  • 終食之間 … 食事をすますだけの時間。わずかの時間のこと。
  • 違仁 … 仁の徳から離れる。
  • 造次 … 慌ただしく過ぎる短い時間。
  • 於是 … 「是」は仁を指す。「於」は「おいてす」と動詞に読む。
  • 顚沛 … 元は、つまずき倒れることの意。転じて、とっさの場合。つかの間。
補説
  • 『注疏』に「此の章は広く仁の行いを明らかにするなり」(此章廣明仁行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 富与貴、是人之所欲也 … 『義疏』に「富とは、財多きなり。貴とは、位高きなり。位高ければ、則ち身は他の崇敬する所と為る。財多ければ、則ち他の愛する所と為る。夫れ人生きては則ち此の二事に貪欲せざること莫し。故に云う、是れ人の欲する所なり、と」(富者、財多。貴者、位高。位高、則身爲他所崇敬。財多、則爲他所愛。夫人生則莫不貪欲此二事。故云、是人所欲也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「富とは財多く、貴とは位高きことなり。此の二者は、是れ人の貪り欲する所なり」(富者財多、貴者位高。此二者、是人之所貪欲也)とある。
  • 不以其道、得之不処也 … 『集解』に引く孔安国の注に「其の道を以て富貴を得ざれば、処らざるなり」(不以其道得富貴、不處也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「然るに二途は是れ人の貪り欲する所と雖も、もとめて当に之を取るに道を以てすべきは、則ち居る可きと為す。若し道理を用いずしてれば、則ち処る可からざるなり。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。ここを以て君子は処らざるなり」(然二途雖是人所貪欲、要當取之以道、則爲可居。若不用道理而得、則不可處也。不義而富且貴、於我如浮雲。是以君子不處也)とある。また『注疏』に「若し其の道を以てせずして之を得れば、是れ人の欲する所と雖も、而も仁者は処らざるなり」(若不以其道而得之、雖是人之所欲、而仁者不處也)とある。
  • 貧与賤、是人之所悪也。不以其道、得之不去也 … 『集解』の何晏の注に「時に否泰有り。故に君子は道を履めども反って貧賤なり。此れ則ち其の道を以てして之を得ざる者なり。是れ人の悪む所と雖も、違いて去る可からざるなり」(時有否泰。故君子履道而反貧賤。此則不以其道而得之者也。雖是人之所惡、不可違而去也)とある。また『義疏』に「財に乏しきを貧と曰い、位無きを賤と曰う。賤なれば則ち人のりょうする所と為り、貧なれば則ち身くるしみ凍餒とうたいす。此の二事は、人の憎悪する所と為る、故に是れ人の悪む所なりと云う。若し道理に依らば、則ち有道の者宜しく富貴なるべく、無道の者宜しく貧賤なるべきは、則ち是れ理の常道なり。今若し有道にして身反って貧賤なるは、此れは是れ其の道を以てせずして得るなり。我が道に非ずと雖も、而れども此の貧賤を招く。而して亦た之を安んじ命にしたがい、我が正道を除去して更に非理を作して之をむかう可からず、故に去らざるなりと云う」(乏財曰貧、無位曰賤。賤則爲人所欺陵、貧則身困凍餒。此二事者、爲人所憎惡、故云是人之所惡也。若依道理、則有道者宜富貴、無道者宜貧賤、則是理之常道也。今若有道而身反貧賤、此是不以其道而得也。雖非我道、而招此貧賤。而亦安之若命、不可除去我正道而更作非理邀之、故云不去也)とある。また『注疏』に「財乏しきを貧と曰い、位無きを賤と曰う。此の二者は、是れ人の嫌悪する所なり。時に否泰有り、故に君子道を履めども、而も反りて貧賤なり。此れは則ち其の道を以てせずして之を得るなり。是れ人の悪む所と雖も、而も仁者は違いて之を去らざるなり」(乏財曰貧、無位曰賤。此二者、是人之所嫌惡也。時有否泰、故君子履道、而反貧賤。此則不以其道而得之。雖是人之所惡、而仁者不違而去之也)とある。また『集注』に「其の道を以てせずして之を得るは、当に得からずして之を得るを謂う。然れども富貴に於いては則ち処らず、貧賤に於いては則ち去らず。君子の富貴をつまびらかにして貧賤に安んずること此くの如し」(不以其道得之、謂不當得而得之。然於富貴則不處、於貧賤則不去。君子之審富貴而安貧賤也如此)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 君子去仁、悪乎成名 … 『集解』に引く孔安国の注に「いずくにか名を成さんとは、名を成して君子と為るを得ざるなり」(惡乎成名者、不得成名爲君子也)とある。また『義疏』に「此れは更に正道を去りて、以て富貴を求む可からざることを明らかにするなり。悪乎(いずくにか)は、猶お於何(いずれに於いて)のごときなり。言うこころは人他人の我を呼びて君子と為すことを得る所以は、まさに我為すに由りて仁道有るが故のみ。若し仁道を捨去し、傍に富貴を求むれば、則ち何れの処に於いてか更に君子の名を成すを得んや」(此更明不可去正道、以求富貴也。惡乎、猶於何也。言人所以得他人呼我爲君子者、政由我爲有仁道故耳。若捨去仁道、傍求富貴、則於何處更得成君子之名乎)とある。また『注疏』に「悪乎は、猶お於何のごときなり。人君子たらんと欲すれば、唯だ仁道を行いてのみ乃ち君子の名を得るを言う。若し仁道を違去すれば、則ち何れに於いて名を成して君子と為すを得んや。仁を去れば則ち名を成して君子と為すを得ざるを言うなり」(惡乎、猶於何也。言人欲爲君子、唯行仁道乃得君子之名。若違去仁道、則於何得成名爲君子乎。言去仁則不得成名爲君子也)とある。また『集注』に「言うこころは君子の君子たる所以は、其の仁を以てなり。若し富貴を貪りて貧賤を厭えば、則ち是れ自ら其の仁を離れて君子の実無し。何ぞ其の名を成す所あらんや」(言君子所以爲君子、以其仁也。若貪富貴而厭貧賤、則是自離其仁而無君子之實矣。何所成其名乎)とある。
  • 君子無終食之間違仁。造次必於是。顚沛必於是 … 『集解』に引く馬融の注に「造次は、急遽なり。顚沛は、きょうなり。急遽・僵仆と雖も、仁よりらざるなり」(造次、急遽也。顚沛、僵仆也。雖急遽僵仆、不違於仁也)とある。僵仆は、倒れ伏すこと。また『義疏』に「終食は、食間なり。仁既に去る可からず。故に復た飲食の間と雖も、亦た必ず心仁より違離すること無きなり。造次は、急遽なり。是は、仁を是とするなり。言うこころは復た身に急遽の時有りと雖も、亦た必ず心仁に存するなり。顚沛は、僵仆なり。言うこころは身僵仆を致すと雖も、亦た必ず心仁よりらざるなり」(終食、食間也。仁既不可去。故雖復飮食之間、亦必心無違離於仁也。造次、急遽也。是、是仁也。言雖復身有急遽之時、亦必心存於仁也。顚沛、僵仆也。言雖身致僵仆、亦必心不違於仁也)とある。また『注疏』に「仁はしゅも身を去る可からず、故に君子は食頃も仁道を違去すること無きを言うなり。造次は、急遽なり。顚沛は、えんなり。君子の人、身に急遽・偃仆の時有りと雖も、而も必ず是に於ける仁道を守りて、違去せざるを言うなり」(言仁不可斯須去身、故君子無食頃違去仁道也。造次、急遽也。顚沛、偃仆也。言君子之人、雖身有急遽偃仆之時、而必守於是仁道、而不違去也)とある。また『集注』に「食を終うるとは、一飯の頃なり。造次は、急遽苟且こうしょの時なり。顚沛は、傾覆けいふく流離の際なり。蓋し君子の仁を去らざることくの如く、但だ富貴貧賤取舎の間のみにあらざるなり」(終食者、一飯之頃。造次、急遽苟且之時。顚沛、傾覆流離之際。蓋君子之不去乎仁如此、不但富貴貧賤取舍之間而已也)とある。
  • 『集注』に「言うこころは君子の仁たる、富貴貧賤取舎の間より、以て終食造次顚沛の頃に至るまで、時と無く処として其の力を用いざること無し。然れども取舎の分明らかにして、然る後存養の功密なり。存養の功密なれば、則ち其の取舎の分益〻ますます明らかなり」(言君子爲仁、自富貴貧賤取舍之間、以至於終食造次顚沛之頃、無時無處而不用其力也。然取舍之分明、然後存養之功密。存養之功密、則其取舍之分益明矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「所謂道とは、即ち仁なり。故に下段之を言いて終う。……此れ又た仁者の仁に安んずるの意を言う。……唯だ君子の心、常に仁に安んず。故に処る可からざるの富貴に処らずして、去る可からざるの貧賤を去らず。此れ其の首として之を言う所以なり」(所謂道者、即仁也。故下段終言之。……此又言仁者安仁之意。……唯君子之心、常安於仁。故不處於不可處之富貴、而不去於不可去之貧賤。此其所以首而言之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「仁なれば則ち安富尊栄し、不仁なれば則ち之に反すること、古えの聖人の教え皆しかり。……不仁にして富貴を得たるは、是れ其の道を以てせざるなり。以て君子と為る可からず。故に処らず。仁にして貧賤を得たるは、是れ其の道を以てせざるなり。君子と為るに害せず。故に去らず。君子とはかみに在るの徳有る者なり。故に君これを子にくわえて以て之に名づく。人に君とっては仁にとどまる。是れ上に在るの徳なり。君子にして未だ仁ならざれば、是れ君子の名有りと雖も而も其のじつは未だ成らず。故にいずくにか名を成さんと曰う。……唯だ仁斎先生の解、其の辞を得ずして其の心を得たる者と謂う可きのみ。……蓋し命なる者は、彼よりして至る者なり。我より之を求むる者に非ざるなり。其の道を以てせずして富貴を得たるは、是れ富貴を求むる者なり。故に処らず。其の道を以てせずして貧賤を得たるは、是れ求めずして自ずから至れる者なり。故に去らず」(仁則安富尊榮、不仁則反之、古聖人之教皆爾。……不仁而得富貴、是不以其道也。不可以爲君子。故不處。仁而得貧賤、是不以其道也。不害於爲君子。故不去。君子者有在上之德者也。故君尚諸子以名之。爲人君止於仁。是在上之德也。君子而未仁、是雖有君子之名而其實未成。故曰惡乎成名。……唯仁齋先生之解、可謂不得其辭而得其心者已。……蓋命也者、自彼而至者也。非我求之者也。不以其道而得富貴、是求富貴者也。故不處。不以其道而得貧賤、是不求而自至者也。故不去)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十