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述而第七 12 子之所愼章

159(07-12)
子之所愼、齊戰疾。
つつしところは、さいせんしつ
現代語訳
  • 先生の気を使われたのは、ものいみ、いくさ、やまい。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様の最も謹慎きんしんして考え、またあつかわれたことは、斎戒さいかいと戦争と病気とであった。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が慎んだ上にも慎まれたのは、斎戒さいかいと、戦争と、病気の場合であった。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 所慎 … 慎重に対処したものは。
  • 斉 … 「斎」に同じ。物忌み。祭祀の前に斎戒沐浴し、心を整えること。
  • 戦 … 戦争。
  • 疾 … 病気。
補説
  • 『注疏』に「此の一章は孔子の慎む所の行いを記するなり」(此一章記孔子所愼之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子之所慎 … 『集解』に引く孔安国の注に「比の三者は、人の慎む能わざる所にして、夫子能く之を慎むなり」(比三者、人所不能愼、而夫子能愼之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子慎む所の行いを記すなり」(記孔子所愼之行也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 斉 … 『義疏』に「斉とは、祭りに先だつの名なり。将に祭祀するを欲せんとすれば、則ち先ず散斉七日、致斉三日するなり。さいの言たる、せいなり。人心欲有れば、散漫して斉わず。故に将に神にまじわらんとすれば、先ず自ら寧静にし、食を変じ坐を遷し、以て自ら斉潔にするなり。時人神を漫す。故に斉するに於いて慎まず。而るに孔子之を慎むなり」(齊者、先祭之名也。將欲祭祀、則先散齊七日、致齊三日也。齊之言、齊也。人心有欲、散漫不齊。故將接神、先自寧靜、變食遷坐、以自齊潔也。時人漫神。故於齊不愼。而孔子愼之也)とある。また『注疏』に「将に祭らんとするとき、散斎すること七日、致斎すること三日なり。斎の言たる斉なり。斉しからざるを斉しくする所以なり。故に之を戒慎す」(將祭、散齋七日、致齋三日。齋之爲言齊也。所以齊不齊也。故戒愼之)とある。また『集注』に「斉のげんたるは、斉なり。将に祭らんとして其の思慮の斉わざる者を斉えて、以て神明に交わるなり。誠の至ると至らざると、神のくるとけざると、皆此に決す」(齊之爲言、齊也。將祭而齊其思慮之不齊者、以交於神明也。誠之至與不至、神之饗與不饗、皆決於此)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 戦 … 『義疏』に「戦いとは、両刃相交わりて、性命けいにして、身体髪膚弥〻いよいよ宜しく全く重んずべく、時に暴虎するもの多くして、毁傷を避けず。唯だ孔子のみ之を慎む。故に後に則ち云う、子、匡に畏る、及び云う、善人の民を教うること七年にして、亦たそくじゅうせず、と。又た云う、教えざるの民を以て戦わしむは、是れ之を棄つと謂う、と。並びに是れ戦いを慎むなり」(戰者、兩刃相交、性命俄頃、身體髮膚彌宜全重、時多暴虎、不避毁傷。唯孔子愼之。故後則云、子畏於匡、及云善人教民七年。亦不即戎。又云、以不教民戰、是謂棄之。竝是愼戰也)とある。俄頃は、しばらくの間。即戎は、戦争に従事すること。また『注疏』に「左伝に曰く、皆陳するを戦と曰う、と。夫れ兵は凶にして戦は危うく、其の勝つを必とせず。其の民の命を重んじ、固より当に之を慎むべし」(左傳曰、皆陳曰戰。夫兵凶戰危、不必其勝。重其民命、固當愼之)とある。また『集注』に「戦は、則ち衆の死生、国の存亡かかれり」(戰則眾之死生、國之存亡繫焉)とある。
  • 疾 … 『義疏』に「疾とは、宜しく将に養わんとして飲食を制節するなり。時を以て人慎まず。而るに孔子之を慎むなり。故に云う、子の慎む所は、斉・戦・疾なり、と」(疾者、宜將養制節飮食。以時人不愼。而孔子愼之也。故云、子之所愼、齊戰疾也)とある。また『注疏』に「君子は身をつつしみ体を安んず。若し偶〻たまたま疾病にかからば、則ち其の薬斉を慎みて以て之を治す。此の三者は、凡人の慎むこと能わざる所なるも、而も夫子は能く之を慎むなり」(君子敬身安體。若偶嬰疾病、則愼其藥齊以治之。此三者、凡人所不能愼、而夫子能愼之也)とある。また『集注』に「疾は、又た吾が身の死生存亡する所以の者、皆以て謹まざる可からざるなり」(疾又吾身之所以死生存亡者、皆不可以不謹也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「夫子謹まざる所無し。弟子其の大なる者を記すのみ」(夫子無所不謹。弟子記其大者耳)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「聖人は平生雍裕閑暇、其のあとを見せず。惟だ此の三の者に於いて、之を慎むこと甚だ至れり。故に門人之を記す」(聖人平生雍裕閑暇、不見其迹。惟於此三者、愼之甚至。故門人記之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「子の慎む所は、さい、仁斎先生何を以て、鬼神は孔子の貴ぶ所に非ず、と言うや。古え聖人をまつこれを天に配す、道の出づる所なり。故に聖人神道を以て教えをもうくと曰う。夫れ戦いは国の大事、やまいは身の死生存亡する所以にして、而うしてさいは乃ち是の二者にかんたり。聖人の心、其れ之を何とか謂わん」(子之所愼、齊、仁齋先生何以言鬼神非孔子所貴也。古者祀聖人配諸天、道之所出焉。故曰聖人以神道設教。夫戰者國之大事、疾者身之所以死生存亡、而齋乃冠是二者。聖人之心、其謂之何)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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