公冶長第五 22 子曰伯夷叔齊章
114(05-22)
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡。怨是用希。
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡。怨是用希。
子曰く、伯夷・叔斉は、旧悪を念わず。怨み是を用て希なり。
現代語訳
- 先生 ――「伯夷(ハクイ)・叔斉(シュクセイ)は、うらみを根にもたぬ。だからにくまれない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「伯夷と叔斉は道徳的潔癖家だから、不正不義をにくむこと甚だしいが、事をにくんで人をにくまず、かつ過ぎ去った他人の旧悪をいつまでも根にもつような狭量ではないから、人を怨みまた人に怨まれることが少ない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「伯夷・叔斉は人の旧悪を永く根にもつことがなかった。だから人にうらまれることがほとんどなかったのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 伯夷・叔斉 … 殷末・周初の賢人兄弟で、殷の孤竹国の王子。父が弟の叔斉を跡継ぎにしようとしたが、叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし、ついに二人とも国を去り、文王を慕って周に行った。しかし、周の武王が殷の紂王を討ったことを、不義であると諫言した。さらに周の穀物を食することを拒み、二人とも首陽山に入って餓死した。清潔・正義の人の代表とされる。夷・斉は、ともに諡。伯・叔は、兄弟の序列。上から、伯・仲・叔・季と数える。ウィキペディア【伯夷・叔斉】参照。
- 旧悪 … 以前に行った悪事。
- 念 … 「おもう」と読む。いつまでも気にかける。いつまでも記憶にとどめる。いつまでも根にもつ。
- 怨 … 他人の恨みをかうこと。また自分が怨むことの意も含む。
- 是用 … 「用」は「以」に同じ。「是以」は「ここをもって」と読み、「このゆえに」「それゆえに」「だから」と訳す。「以是」は「これをもって」と読み、「この点から」「これにより」「これを用いて」と訳す。
補説
- 『注疏』に「此の章は伯夷・叔斉二人の行いを美む」(此章美伯夷叔齊二人之行)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伯夷叔斉、不念旧悪。怨是用希 … 『集解』に引く孔安国の注に「伯夷・叔斉は、孤竹の君の二子なり。孤竹は、国名なり」(伯夷叔齊、孤竹君之二子也。孤竹、國名也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ夷・斉の徳を美むるなり。念は、猶お識録のごときなり。旧悪は、故憾なり。希は、少なり。人若し故憾を録するときは、則ち怨恨更に多し。唯だ夷・斉のみ豁然として懐を忘る。若し人己を犯すこと有るも、己之を怨録せず。人の与に怨むこと少なき所以なり」(此美夷齊之德也。念、猶識録也。舊惡、故憾也。希、少也。人若録於故憾、則怨恨更多。唯夷齊豁然忘懷。若有人犯己、己不怨録之。所以與人怨少也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「旧時の悪を念いて報復せんと欲するをせず、故に人の怨恨する所と為ること希なり。……春秋少陽篇に、伯夷姓は墨、名は允、字は公信。伯は、長なり。夷は、謚なり。叔斉名は智、字は公達、伯夷の弟なり。斉も亦た謚なり」(不念舊時之惡而欲報復、故希爲人所怨恨也。……春秋少陽篇、伯夷姓墨、名允、字公信。伯、長也。夷、謚。叔齊名智、字公達、伯夷之弟。齊亦謚也)とある。また『集注』に「伯夷・叔斉は、孤竹君の二子なり」(伯夷叔齊、孤竹君之二子)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集注』に「孟子に、其の悪人の朝に立たず、悪人と言わず、郷人と立ち、其の冠正しからざれば、望望然として之を去る、将に浼されんとするが若しと称す。其の介は此くの如く、宜しく容るる所無きが若かるべし。然れども其の悪む所の人、能く改むれば即ち止む。故に人も亦た甚だしくは之を怨まざるなり」(孟子、稱其不立於惡人之朝、不與惡人言、與郷人立、其冠不正、望望然去之、若將浼焉。其介如此、宜若無所容矣。然其所惡之人、能改即止。故人亦不甚怨之也)とある。
- 『集注』に引く程顥または程頤の注に「旧悪を念わざれば、此れ清なる者の量なり」(不念舊惡、此淸者之量)とある。
- 『集注』に引く程頤(?)の注に「二子の心、夫子に非ざれば孰か能く之を知らん」(二子之心、非夫子孰能知之)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ伯夷・叔斉の仁を明らかにす。……其の怨み是を用て希なりと曰う者は、蓋し其の仁を称するなり。孟子も亦た伯夷・伊尹・柳下恵を論じて曰く、三子は道を同じくせざるも、其の趨うところは一なり。一とは何ぞや、曰く、仁なり、と。以て相発明するに足れり」(此明伯夷叔齊之仁。……其曰怨是用希者、蓋稱其仁也。孟子亦論伯夷伊尹柳下惠曰、三子者不同道、其趨一也。一者何也、曰、仁也。足以相發明焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「蓋し旧時の悪は、乃ち時去り事移りて改めんと欲すれども得可からざる者有り、是れ旧悪なり。……西伯の時、周は益〻強大なりき、豈に必ずしも奪える国を復し侵せる地を反さん。亦た世移り事去り、而うして之を如何ともす可からず。而うして夷・斉は西伯作興すと聞き、往いて之に帰せり。亦た旧悪を念わざるの一事のみ。……怨みとは、伯夷の怨みなり。朱註に、人亦た甚だしく之を怨まず、と。是れ其の意は孟子に拠り、伯夷を以て聖人と為し、又た其の見る所の聖人は達磨の如し、故に諸を伯夷に属せず、而うして他人に属するのみ。殊に知らず怨みなる者は人情の無きこと能わざる所なるを。……伯夷は乃ち紂に事えんことを欲せず。父其の心を知り、叔斉を立てんと欲す。而るに叔斉は兄と心を同じうす。遂に之を仲子に譲る。故に譲は美徳たり。而るに孔子は之を称せず、独り志を降さず身を辱しめざるを以て之を称せり。……然れども首陽に餓え、海浜に隠れたる、其の迹は怨みたるに似たり。西のかた周に帰し、大老の養を享くるに及んで、而うして後怨みの迹洗然たり。故に孔子は旧悪を念わざるを以て之を表章するのみ」(蓋舊時之惡、乃有時去事移欲改而不可得者、是舊惡也。……西伯之時、周益強大、豈必復奪國反侵地。亦世移事去、而不可如之何。而夷齊聞西伯作興、往而歸之。亦不念舊惡之一事耳。……怨者、伯夷之怨也。朱註、人亦不甚怨之。是其意據孟子、以伯夷爲聖人、又其所見聖人如達磨、故不屬諸伯夷、而屬他人耳。殊不知怨者人情之所不能無也。……伯夷乃不欲事紂。父知其心、欲立叔齊。而叔齊與兄同心。遂讓之仲子。故讓爲美德。而孔子不稱之、獨以不降志不辱身稱之。……然餓於首陽、隱於海濱、其迹似怨。及於西歸於周、享大老之養、而後怨之迹洗然矣。故孔子以不念舊惡表章之耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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