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八佾第三 14 子曰周監於二代章

054(03-14)
子曰、周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周。
いわく、しゅうだいかんがみて、郁郁いくいくとしてぶんなるかな。われしゅうしたがわん。
現代語訳
  • 先生 ――「周は夏(カ)と殷(イン)(の時代)を目やすにして、文化の花をさかせたのだ。お手本にしよう。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「周はいん二代の制度を参考にして盛んな礼楽れいがく文物ぶんぶつを建設した。それが今くずれかけてきたのは、まことになげかわしい。わしはあくまで周の文化を護持ごじしたい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    しゅうの王朝は、いん二代の王朝の諸制度を参考にして、すばらしい文化を創造した。私は周の文化に従いたい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 周 … 中国古代の王朝、西周のこと。前1046~前771。武王が殷を滅ぼして建てた。前771年、けんじゅうの侵攻によって洛邑(洛陽)に遷都した。それまでを西周、以後を東周という。東周は前256年、秦に滅ぼされた。ウィキペディア【西周 (王朝)】参照。
  • 監 … 観察する。参考にする。手本にする。
  • 二代 … 夏・殷の二王朝を指す。周を加えて三代という。
  • 郁郁乎 … 香気のかぐわしいさま。文化が栄えている様子。「いくいく」と読んでもよい。「乎」は、形容詞・副詞につけて、その状態を示す助辞。
  • 文 … 文化の美しく盛んなこと。
補説
  • 『注疏』に「此の章は周の礼文のみ独り備わるを言うなり」(此章言周之禮文獨備也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 周監於二代、郁郁乎文哉 … 『集解』に引く孔安国の注に「監は、視なり。言うこころは周の文章は二代より備う。当に(周に)従うべきなり」(監、視也。言周文章俻於二代。當從也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「周は、周代なり。監は、視なり。二代は、夏・殷なり。郁郁は、文章明著なり。言うこころは周世を以て夏・殷を比視すれば、則ち周家の文章は最も著明大備なり」(周、周代也。監、視也。二代、夏殷也。郁郁、文章明著也。言以周世比視於夏殷、則周家文章最著明大備也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「監は、視なり。二代は、夏・商を謂う。郁郁は、文章あるかたちなり。言うこころは今の周代の礼法・文章を以て、はるかに夏・商の二代を視るに、則ち周代は郁郁乎として文章有るかな」(監、視也。二代、謂夏商。郁郁、文章貌。言以今周代之禮法文章、迴視夏商二代、則周代郁郁乎有文章哉)とある。また『集注』に「監は、視なり。二代は、夏・商なり。其の二代の礼を視て之を損益するを言うなり。郁郁は、文の盛んなるかたち」(監、視也。二代、夏商也。言其視二代之禮而損益之。郁郁、文盛貌)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 吾從周 … 『義疏』に「周は既に備わることにいたり、教えのもちいる所と為る、故に孔子周に従わんと欲するなり」(周既極備、爲教所須、故孔子欲從周也)とある。また『注疏』に「言うこころは周の文章は二代より備わる、故に従いて之を行うなり」(言周之文章備於二代、故從而行之也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「三代の礼、周に至りて大いに備わる。夫子其の文をしとして之に従う」(三代之禮、至周大備。夫子美其文而從之)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「聖人はつねに奢を悪みて倹に従う。今周の礼に於いては、則ち独り其の文の郁郁たるに従う者は、何ぞや。蓋し道は当を得るを以て貴しと為す。自ら治むるの道は、倹ならざる可からず。朝廷の礼は、備わらざる可からず。夏・商の礼は、質にして備わらず。周の礼は、文にして当を得たり。此れ夫子特に周に従う所以なり。聖人事を処するの権衡けんこう、従いて知る可きなり」(聖人毎惡奢而從儉。今於周之禮、則獨從其文之郁郁者、何哉。蓋道以得當爲貴。自治之道、不可不儉。朝廷之禮、不可不備。夏商之禮、質而不備。周之禮、文而得當。此夫子所以特從周也。聖人處事之權衡、從而可知也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「周は二代に監す、孔安国曰く、監は、視るなり。皇侃・邢昺の疏に、比視・廻視を以て之を解す。余を以て之を観るに、よろしく殷にかんがみるべしの監の如し。蓋し二代を以て監戒と為し、つぶさに之が防を為す。……仁斎先生曰く、……知らずしていて之が解を為す者と謂う可きのみ。……且つ聖人の道は、文なり。夏は夏の礼を以て文と為し、殷は殷の礼を以て文と為し、周は周の礼を以て文と為す。皆其の時を以てするなり。夏・殷の時に当たって、豈に質を為すに意有らんや。のちより之を観て而して後に周を以て文と為せるのみ。文は即ちちゅうなり。文・質をへいして其の中を取るに非ざるなり。且つ周を以て文と為す者は、殷の質なるに就いて之に加えて以て文と為すに非ざるなり」(周監於二代、孔安國曰、監、視也。皇侃邢昺疏、以比視廻視解之。以余觀之、如儀監於殷之監。蓋以二代爲監戒、曲爲之防。……仁齋先生曰、……可謂不知而強爲之解者已。……且聖人之道、文也。夏以夏禮爲文、殷以殷禮爲文、周以周禮爲文。皆以其時也。當夏殷之時、豈有意於爲質乎。自後觀之而後以周爲文耳。文即中也。非比竝文質而取其中也。且以周爲文者、非就殷之質而加之以爲文也)とある。監戒は、手本とし、戒める。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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