為政第二 8 子夏問孝章
024(02-08)
子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌。曾是以爲孝乎。
子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌。曾是以爲孝乎。
子夏、孝を問う。子曰く、色難し。事有れば、弟子其の労に服し、酒食有れば、先生に饌す。曾ち是を以て孝と為さんや。
現代語訳
- 子夏が孝行についてきく。先生 ――「態度がだいじだ。用のあるとき、若いものが手つだい、ごちそうがあれば目上にあげる、そんなことで孝行になるかね。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子夏が孝を問うた。孔子様がおっしゃるよう、「骨折り仕事があれば年寄りにさせないで若い者が引受け、ご馳走があれば親たちにさしあげる。もちろんけっこうなことだが、それだけで孝行といえるだろうか。その時の顔つきがむずかしいぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子夏が孝の道を先師にたずねた。先師がこたえられた。――
「むずかしいのは、どんな顔つきをして仕えるかだ。仕事は若いもの、ご馳走は老人と、型どおりにやったところで、それに真情がこもらないでは孝行にはなるまい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 子夏 … 前507?~前420?。姓は卜、名は商、字は子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
- 色難 … 「色」は、顔色・表情。『集解』では「色」を親の顔色とし、「父母の顔色を見て、気に入るように事えることは難しい」とする。『集注』では「色」を自分の顔色とし、「いつも自分の顔色を和らげて父母に事えることは難しい」とする。原文は「補説」参照。
- 事 … 仕事。ここでは骨の折れる仕事。
- 弟子 … ここでは若者・年少者。
- 服 … 従事する。
- 労 … 労働。労力。労苦。
- 酒食 … 酒と飯。「食」は『経典釈文』に「食は、音嗣」(食、音嗣)とあり、「し」と発音する。『経典釈文』(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)参照。「しょく」と読むと食べ物の意になる。
- 先生 … ここでは先に生まれた人。年長者・父兄。
- 饌 … 食事をすすめる。
- 曾 … 「すなわち」と読み、「まさか~ではあるまい」「よもや~ではあるまい」と訳す。反語の意を示す。また「かつて」と読む説もあるが、ここでは採らない。荻生徂徠は「乃と訓ずるを是と為す」と言う。詳しくは「補説」参照。
- 是以 … 「ここをもって」と読み、「こういうわけで」「このゆえに」「それゆえに」「だから」と訳す。「以是」は「これをもって」と読み、「この点から」「これにより」「これを用いて」と訳す。
- 乎 … 「か」「や」と読み、「~であろうか」と訳す。
補説
- 『注疏』に「此の章は孝を為すには必須ず父母の顔色を承順すべきを言うなり」(此章言爲孝必須承順父母顏色也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人、字は子夏。孔子より少きこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。時人以て之に尚うる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。三豕河を渡る、と。子夏曰く、非なり。己亥のみ。史志を読む者、諸を晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子卒して後、西河の上に教う。魏の文侯、之に師事して国政を諮る」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商字は子夏。孔子より少きこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 子夏問孝 … 『義疏』に「亦た孝を行うの法を問うなり」(亦問行孝法也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「弟子の子夏孔子に孝を為すの道を問うなり」(弟子子夏問於孔子爲孝之道也)とある。
- 子曰、色難 … 『集解』に引く包咸の注に「色難しとは、父母の顔色を承望すること乃ち難しと為すを謂うなり」(色難、謂承望父母顏色乃爲難也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「答うるなり。色は、父母の顔色を謂うなり。言うこころは孝を為すの道は、必ず須らく父母の顔色を承奉すべし。此の事難しと為す。故に曰く、色難し、と。故に顔延之云う、夫れ気色和すれば、則ち情志通ず。善く親の志を養う者は、必ず先ず其の色を和す、故に難しと曰うなり、と」(答也。色謂父母顏色也。言爲孝之道必須承奉父母顏色。此事爲難。故曰、色難也。故顏延之云、夫氣色和、則情志通。善養親之志者、必先和其色、故曰難也)とある。承奉は、人の意を受け事えること。また『注疏』に「之に答うるなり。父母の顔色を承順すること乃ち難しと為すを言うなり」(答之也。言承順父母顏色乃爲難也)とある。また『集注』に「色難しは、親に事うるの際、惟だ色を難しと為すを謂うなり」(色難、謂事親之際、惟色爲難也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 有事、弟子服其労 … 『義疏』に「此れ以下は是れ易くして、孝子の事に非ざるなり。事有るは、役使の事を謂うなり。弟子は、人の子弟たる者を謂うなり。服は、執持するを謂うなり。労は、労苦なり。言うこころは家中に役使の事有るときは、弟子自ら執持して、労苦を憚らざるなり」(此以下是易、而非孝子之事也。有事、謂役使之事也。弟子、謂爲人子弟者也。服、謂執持也。勞、勞苦也。言家中有役使之事、而弟子自執持、不憚於勞苦也)とある。
- 有酒食、先生饌 … 『集解』に引く馬融の注に「先生とは、父兄を謂う。饌は、飲食なり」(先生、謂父兄。饌、飮食也)とある。また『義疏』に「先生は、父兄を謂うなり。饌は、猶お飲食のごときなり。言うこころは若し酒食有れば、則ち弟子敢えて飲食せずして、必ず以て飲食を父母に供するなり」(先生、謂父兄也。饌、猶飮食也。言若有酒食、則弟子不敢飮食、必以供飮食於父母也)とある。また『集注』に「先生は、父兄なり。饌は、之を飲食せしむるなり」(先生、父兄也。饌、飮食之也)とある。
- 有酒食 … 『集注』に「食は、飯なり」(食、飯也)とある。
- 曾是以為孝乎 … 『集解』に引く馬融の注に「孔子、子夏を喩して曰く、労に服し先に食す、汝此を謂いて孝と為すか。未だ孝と為すに足らざるなり。父母の顔色に承順して、乃ち孝と為すのみなり、と」(孔子喩子夏曰、服勞先食、汝謂此爲孝乎。未足爲孝也。承順父母顏色、乃爲孝耳也)とある。また『義疏』に「曾は、猶お嘗のごときなり。言うこころは人の子弟労を先にし食を後にすと為す。此れ乃ち是れ人の子、人の弟の常の事なり。最も処し易きのみ。誰か嘗て此を孝と為すと謂わんや。孝に非ざるを言うなり。故に江熙称す、或ひと曰く、労役は前に居り、酒食は後に処ることは、人の子の常の事、未だ孝と称するに足らざるなり、と」(曾、猶嘗也。言爲人子弟先勞後食。此乃是人子、人弟之常事。最易處耳。誰嘗謂此爲孝乎。言非孝也。故江熙稱、或曰、勞役居前、酒食處後、人子之常事、未足稱孝也)とある。また『注疏』に「孔子又た子夏を喩す、労に服し先に食せしむるは孝と為さざるなり。先生は、父兄を謂う。饌は、飲食なり。曾は、猶お則のごときなり。言うこころは若し家に労辱の事有りて、或いは弟或いは子其の勤労に服す、酒有り食有りて、進みて父兄に飲食を与う、汝は則ち是れを謂いて以て孝と為せるか。此れ未だ孝ならざるを言うなり。必須ず父母の顔色を承順すべきこと、乃ち孝と為すなり」(孔子又喩子夏、服勞先食不爲孝也。先生、謂父兄。饌、飮食也。曾、猶則也。言若家有勞辱之事、或弟或子服其勤勞、有酒有食、進與父兄飮食、汝則謂是以爲孝乎。言此未孝也。必須承順父母顏色乃爲孝也)とある。また『集注』に「曾は、猶お嘗のごときなり。蓋し孝子の深愛有る者は、必ず和気有り。和気有る者は、必ず愉色有り。愉色有る者は、必ず婉容有り。故に親に事うるの際、惟だ色を難しと為すのみ。労に服し養を奉るは、未だ孝と為すに足らざるなり。旧説に、父母の色に承順するを難しと為す。亦た通ず」(曾、猶嘗也。蓋孝子之有深愛者、必有和氣。有和氣者、必有愉色。有愉色者、必有婉容。故事親之際、惟色爲難耳。服勞奉養、未足爲孝也。舊說、承順父母之色爲難。亦通)とある。
- 『集注』に引く程顥または程頤の注に「懿子に告ぐるは、衆人に告ぐ者なり。武伯に告ぐるは、其の人の憂う可きの事多きを以てなり。子游は能く養いて、或いは敬を失う。子夏は能く義に直くして、或いは温潤の色少なし。各〻其の材の高下と、其の失う所とに因りて之を告ぐ。故に同じからざるなり」(告懿子、告衆人者也。告武伯者、以其人多可憂之事。子游能養、而或失於敬。子夏能直義、而或少温潤之色。各因其材之高下、與其所失而告之。故不同也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「親に事うるの道、愛敬を本と為す。然れども敬は猶お或いは勉めて能くす可し。愉色に至りては、則ち誠に深愛有りて、終始衰えざる者に非ざれば、能わず。故に曰く、色難し、と。……道愈〻虚なれば、則ち言愈〻高し。徳愈〻実なれば、則ち言愈〻卑し。自然の符なり。故に天下の言、能く其の高きを為すことを得て、卑しきを為すこと能わざるは、其の徳無ければなり。武伯孝を問う以下三章の若き、天下の言、此より卑しきは莫く、亦た此より実なるは莫し。惟だ孔子能く之を言いて、他人の言うこと能わざる所なり。聖言たる所以なり」(事親之道、愛敬爲本矣。然敬猶或可勉而能。至於愉色、則非誠有深愛、而終始不衰者、不能。故曰、色難。……道愈虚、則言愈高。德愈實、則言愈卑。自然之符也。故天下之言、得能爲其高、而不能爲卑、無其德也。若武伯問孝以下三章、天下之言、莫卑於此、亦莫實於此。惟孔子能言之、而他人之所不能言焉。所以爲聖言也)とある。聖言は、聖人の言葉。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「色難しは、朱註に戴記を引けるを勝れりと為す。包咸謂う、父母の顔色を承順すること、乃ち難しと為す、と。何を以て承順の意を見んや。皇疏に、曾は猶お嘗のごときなり、と。古者曾は皆乃と訓ず。而して嘗と訓ずるは唯だ墨子に之れ有り。文の意を味わうに、乃と訓ずるを是と為す」(色難、朱註引戴記爲勝。包咸謂、承順父母顏色、乃爲難。何以見承順之意矣。皇疏、曾猶嘗也。古者曾皆訓乃。而訓嘗者唯墨子有之。味文意、訓乃爲是)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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