為政第二 7 子游問孝章
023(02-07)
子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬何以別乎。
子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬何以別乎。
子游、孝を問う。子曰く、今の孝は、是れ能く養うを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば何を以て別たんや。
現代語訳
- 子游(ユウ)が孝行についてきく。先生 ――「いまどきの孝行は、養うことだという。犬でも馬でも、みな養われている。うやまわないと、区別がつかなくなるぞ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子游が孝を質問した。孔子様がおっしゃるよう、「今の親孝行というのは、よく親を養っているということのようだ。しかし飼犬飼馬でも、愛犬愛馬となれば、十分にたべものも与えるだろうし、寒ければ毛布の一枚もかけてやるだろう。敬うということがなくては、何で親と犬馬とを区別しようぞ。『能く養う』というだけでは、むしろ親を飼犬飼馬あつかいするもので、孝行どころか、とんでもない不敬なことじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子游が孝の道を先師にたずねた。先師がこたえられた。――
「現今では、親に衣食の不自由をさせなければ、それが孝行だとされているようだが、それだけのことなら、犬や馬を飼う場合にもやることだ。もし敬うということがなかったら、両者になんの区別があろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 子游 … 前506~前443?。姓は言、名は偃、子游は字。呉の人。孔門十哲のひとり。孔子より四十五歳年少。「文学には子游・子夏」といわれ、子夏とともに文章・学問に優れているとされた。武城の町の宰(長官)となった。ウィキペディア【子游】参照。
- 今之孝者 … 近頃の孝行は。「者」は主語を明示する語。「~は」「~とは」「~なるものは」などと読み、「~は」「~とは」と訳す。
- 能養 … 衣食住において不自由のないように扶養すること。
- 謂 … いう。あることについて批評していう。
- 至於犬馬、皆能有養 … 『集解』に二つの解釈がある。第一説は、犬は家の番をし、馬は車に引いて人間に奉仕する。親を敬う心が伴わないかぎり、犬や馬の奉仕と変わらず、孝行とはいえない。
第二説は、人間は犬や馬に対しても食糧を与えて養っている。ただ養うだけで敬う心が伴わなければ、親に対しても犬や馬に対する愛情となんら変わらない。原文は「補説」参照。 - 敬 … うやまう。尊敬する。
- 何以別乎 … 反語の形。どうして区別できようか、区別できない。「乎」は文末におかれ、疑問・反語の意を示す。省略することもある。
補説
- 『注疏』に「此の章は孝を為すには必ず敬すべきを言う」(此章言爲孝必敬)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子游 … 『史記』仲尼弟子列伝に「言偃は呉人。字は子游。孔子より少きこと四十五歳」(言偃呉人。字子游。少孔子四十五歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 子游問孝 … 『集解』に引く孔安国の注に「子游は、弟子なり。姓は言、名は偃なり」(子游、弟子也。姓言、名偃也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「亦た孝法を行うことを問うなり」(亦問行孝法也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「弟子の子游孝を行うの道を孔子に問うなり」(弟子子游問行孝之道於孔子也)とある。また『集注』に「子游は、孔子の弟子、姓は言、名は偃」(子游、孔子弟子、姓言、名偃)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、今之孝者、是謂能養 … 『義疏』に「答うるなり。今のとは、孔子の時に当たるを謂うなり。夫れ孝は体を為し、敬を以て先と為し、養を以て後と為す。而して当時は皆孝ならざること多し、縦い或いは一人有れども、唯だ飲食を進むることのみを知り、敬することを行うを知らず。故に云う、今の孝は、是れ能く養うを謂う、と」(答也。今之、謂當孔子時也。夫孝爲體、以敬爲先、以養爲後。而當時皆多不孝、縱或一人有、唯知進於飮食、不知行敬。故云、今之孝者、是謂能養)とある。また『注疏』に「此の下、孔子子游の為に須らく敬すべきの事を説く。今の人の所謂孝とは、是れ唯だ能く飲食を以て供養する者を謂うのみなり。皆敬する心無きを言う」(此下、孔子爲子游説須敬之事。今之人所謂孝者、是唯謂能以飮食供養者也。言皆無敬心)とある。
- 至於犬馬、皆能有養 … 『集解』に引く包咸の注に「犬は以て守禦し、馬は以て代労し、能く人を養う者なり」(犬以守禦、馬以代勞、能養人者)とある。また『義疏』に「此れ能く養えども敬無くんば、孝に非ざるの例を挙ぐるなり。犬は能く人の為に守禦す。馬は能く人の為に重きを負い人を載す。皆是れ能く養いて敬を行う能わざる者なり。故に犬馬に至るまで皆能く養うこと有りと云うなり」(此舉能養無敬、非孝之例也。犬能爲人守禦。馬能爲人負重載人。皆是能養而不能行敬者。故云至於犬馬皆能有養也)とある。
- 不敬何以別乎 … 『集解』に引く包咸の注に「一に曰く、人の養う所は、乃ち能く犬馬に至り、敬せずんば則ち以て別つこと無し、と。孟子曰く、養いて愛せざるは、豕として畜うなり。愛して敬せざるは、獣として畜うなり、と」(一曰、人之所養、乃能至於犬馬、不敬則無以別。孟子曰、養而弗愛、豕畜也。愛而弗敬、獸畜也)とある。豕は、いのしし。または家畜の豚。また『義疏』に「言うこころは犬馬とは、亦た人を養えども、但だ敬を為すことを知らざるのみ。人若し但だ養うを知るのみにして敬せずんば、則ち犬馬と何を以てか殊別を為さんや」(言犬馬者、亦養人、但不知爲敬耳。人若但知養而不敬、則與犬馬何以爲殊別乎)とある。また『注疏』に「此れ不敬の人の為に譬えを作すなり。其の説に二有り。一に曰く、犬は守禦を以てし、馬は代わりて労するを以てし、皆能く以て人を養う者有り。但だ畜獣は無知なれば、敬を人に生ずる能わず。若し人唯だ能く父母を供養すれども敬せずんば、則ち何を以て犬馬に別かたんや、と。一に曰く、人の養う所は、乃ち犬馬に至る。其の飢渇を伺い、之に飲ましめ之を食い、皆能く以て之を養うこと有るなり。但だ人の犬馬を養うは、其の人の用を為すに資るのみにして、此の犬馬を敬せざるなり。人若し其の父母を養えども敬せずんば、則ち何を以て犬馬を養うに別かたんや。以て別かつ無きを言う。孝は必須ず敬すべきを明らかにするなり」(此爲不敬之人作譬也。其説有二。一曰、犬以守禦、馬以代勞、皆能有以養人者。但畜獸無知、不能生敬於人。若人唯能供養於父母而不敬、則何以別於犬馬乎。一曰、人之所養、乃至於犬馬。伺其飢渇、飮之食之、皆能有以養之也。但人養犬馬、資其爲人用耳、而不敬此犬馬也。人若養其父母而不敬、則何以別於養犬馬乎。言無以別。明孝必須敬也)とある。また『集注』に「養は、飲食供奉を謂うなり。犬馬は人を待ちて食うも、亦た養うが若く然り。言うこころは人の犬馬を畜うも、皆能く以て之を養うこと有り。若し能く其の親を養うも、敬至らざれば、則ち犬馬を養う者と何ぞ異ならん。甚だしく不敬の罪を言い、深く之を警むる所以なり」(養、謂飮食供奉也。犬馬待人而食、亦若養然。言人畜犬馬、皆能有以養之。若能養其親、而敬不至、則與養犬馬者何異。甚言不敬之罪、所以深警之也)とある。
- 『集注』に引く胡寅の注に「世俗の親に事うるは、能く養えば足れり。恩に狎れ愛を恃みて、其の漸く不敬に流るるを知らざるは、則ち小失に非ざるなり。子游は聖門の高弟なれども、未だ必ずしも此に至らず。聖人直だ其の愛の敬を踰ゆるを恐る。故に是を以て深く之を警発するなり」(世俗事親、能養足矣。狎恩恃愛、而不知其漸流於不敬、則非小失也。子游聖門高弟、未必至此。聖人直恐其愛踰於敬。故以是深警發之也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ夫子、子游の問いに因りて、世の親に事うる者、多く不敬に流れて自ら知らざることを戒むるなり。今の孝という者を観て、見る可し。聖人、門弟子の問いに答うるに、面のあたり其の人の病に就きて之を警む。然り又た或いは門人の問いに因りて、広く世の戒めを為す者有り。此の章の若きは是れなり。一を執りて泥む可まらず」(此夫子因子游之問、而戒世之事親者、多流於不敬而不自知也。觀今之孝者、可見矣。聖人答門弟子之問、面就其人之病而警之。然又或有因門人之問、而廣爲世戒者。若此章是也。不可執一而泥焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「包氏曰く、犬は以て守禦し、馬は以て労に代わる、皆人を養う者なり、と。是と為す。後の説の如くんば、則ち皆能く養う有り、得て解す可からず。且つ親を犬馬に比す。聖人の言、是くの若く其れ鄙ならざるなり」(包氏曰、犬以守禦、馬以代勞、皆養人者。爲是。如後説、則皆能有養、不可得而解矣。且比親於犬馬。聖人之言、不若是其鄙也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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