為政第二 6 孟武伯問孝章
022(02-06)
孟武伯問孝。子曰、父母唯其疾之憂。
孟武伯問孝。子曰、父母唯其疾之憂。
孟武伯、孝を問う。子曰く、父母は唯だ其の疾を之れ憂う。
現代語訳
- 孟武さんが孝行についてきく。先生 ――「父・母には、病気だけが心配です。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孟武伯が孝とは何かと質問したら、孔子様はこう答えられた。「父母はただ子の病気を心配するものでござりますぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 孟武伯が孝の道を先師にたずねた。先師はこたえられた。――
「父母はいつも子の健康のすぐれないのに心をいためるものでございます」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は孝子は妄りには非を為さざるを言うなり」(此章言孝子不妄爲非也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 孟武伯問孝 … 『集解』に引く馬融の注に「武伯は、懿子の子、仲孫彘なり。武は、諡なり」(武伯、懿子之子、仲孫彘也。武、諡也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孟武伯は懿子の子なり。亦た孔子に孝を行うの法を問うなり」(孟武伯懿子之子也。亦問孔子行孝之法也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「武伯は、懿子の子の仲孫彘なり。夫子に孝を為すの道を問う」(武伯、懿子之子仲孫彘也。問於夫子爲孝之道)とある。また『集注』に「武伯は、懿子の子、名は彘」(武伯、懿子之子、名彘)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、父母唯其疾之憂 … 『集解』に引く馬融の注に「言うこころは孝子は妄りに非を為さず、唯だ疾病ありて、然る後に父母をして之を憂えせしむるのみなり」(言孝子不妄爲非、唯疾病、然後使父母之憂耳也)とあり、「病気になって父母に心配をかけてしまうのは仕方がない。病気以外のことでは心配をかけないようにするのが孝行だ」と解釈しているが、これについて宮崎市定は「どうも素直な發想ではないように思われる」と言っている(『論語の新研究』175頁)。また『義疏』に「答うるなり。其は、其の人の子なり。言うこころは人の子常に敬慎して自ら居し、法に非ざることを為さず、横に父母をして憂えしめざらんと欲するなり。若し己の身疾有れば、唯だ此の一条のみ、人の及ぶ所に非ず。尊者の憂いを測る可きのみ。唯だ其れ疾を之れ憂えしむるのみなり」(答也。其、其人子也。言人子欲常敬愼自居、不爲非法、横使父母憂也。若己身有疾、唯此一條、非人所及。可測尊者憂耳。唯其疾之憂也)とある。また『注疏』に「夫子之に答えて曰く、子の父母に事うるや、唯だ其の疾病ありて然る後に父母をして之を憂えしむ可きのみ。疾病の外は、妄りに非法を為して、憂いを父母に貽すを得ざるなり」(夫子答之曰、子事父母、唯其疾病然後可使父母憂之。疾病之外、不得妄爲非法、貽憂於父母也)とある。また『集注』に「言うこころは父母の子を愛するの心、至らざる所無し。唯だ其の疾病有るを恐れ、常に以て憂いと為すなり。人の子此れに体して、父母の心を以て心と為せば、則ち凡そ其の身を守る所以の者は、自ら謹しまざる容からず。豈に以て孝と為す可からざらんや」(言父母愛子之心、無所不至。唯恐其有疾病、常以爲憂也。人子體此、而以父母之心爲心、則凡所以守其身者、自不容於不謹矣。豈不可以爲孝乎)とあり、「父母は子供の病気のことを一番心配している。だから身体に気をつけて健康でいるのが何よりの孝行である」と解釈している。
- 『集注』に「旧説に、人の子の能く父母をして其の不義に陥ることを以て憂いと為さしめず、独り其の疾を以て憂いと為さしむれば、乃ち孝と謂う可し、と。亦た通ず」(舊説、人子能使父母不以其陷於不義爲憂、而獨以其疾爲憂、乃可謂孝。亦通)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』では原文を「父母には唯だ其の疾を之れ憂えよ」と読み、また「父母已に老ゆれば、則ち侍養の日既に少なし。況んや一旦病に染むれば、則ち孝を為さんと欲すと雖も、得可からざるなり。故に父母の疾を以て憂いと為せば、則ち日を愛するの誠、自ら已むこと能わずして、愛慕の心、至らざる所無し。孝を為さざらんと欲すと雖も得んや。武伯を警むる所以の者深し」(父母已老、則侍養之日既少。況一旦染病、則雖欲爲孝、不可得也。故以父母之疾爲憂、則愛日之誠、自不能已、而愛慕之心、無所不至。雖欲不爲孝得乎。所以警武伯者深矣)とあり、「子供が父母の健康を心配し、父母が病気にかからないようにと憂えるのが孝行である」と解釈する。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「古註に、言うこころは孝子は妄りに非を為さず。唯だ疾病ありて然る後に父母をして憂えしむ、と。朱註に、言うこころは父母が子を愛するの心、至らざる所無し。唯だ其の疾病有らんことを恐る。常に以て憂いと為すなり。人の子此れに体して、父母の心を以て心と為さば、則ち凡そ其の身を守る所以の者、自ずから謹まざるを容れず、と。未だ武伯の人と為り何如なるを審らかにせず。安くんぞ二説の孰れか当たれりと為すを知らんや。……是れに由って之を観れば、旧註を優れりと為す」(古註、言孝子不妄爲非。唯疾病然後使父母憂。朱註、言父母愛子之心、無所不至。唯恐其有疾病。常以爲憂也。人子體此、而以父母之心爲心、則凡所以守其身者、自不容於不謹矣。未審武伯爲人何如。安知二説孰爲當乎。……由是觀之、旧註爲優)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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