>   論語   >   学而第一   >   9

学而第一 9 曾子曰愼終追遠章

009(01-09)
曾子曰、愼終追遠、民德歸厚矣。
そういわく、わりをつつしとおきをえば、たみとくあつきにせん。
現代語訳
  • 曽先生 ――「とむらい供養のしかたで、気風がずっとよくなるものだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 曾参そうしんの言うよう、「上に立つ人が、親の死んだ時の取りおさめ、すなわち葬式をていちょうにし、また先祖の祭を手厚くすれば、人民もそれに感化されて風俗がくなってゆく。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • そう先生がいわれた。――
    「上に立つ者が父母の葬いを鄭重にし、遠い先祖の祭りを怠らなければ、人民もおのずからその徳に化せられて、敦厚な人情風俗が一国を支配するようになるものである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 曾子 … 姓はそう、名はしんあざな子輿しよ。魯の人。孔子より四十六歳年少の門人。『孝経』を著した。ウィキペディア【曾子】参照。
  • 終 … 人生の終わりである葬式を指す。
  • 慎 … 心を込めて葬式を丁重に執り行うこと。
  • 遠 … 遠い先祖。
  • 追 … 遠い先祖を追慕し、心を込めてその祭祀を行うこと。
  • 徳 … 気風。
  • 厚 … 重厚。人情が厚くなること。
  • 帰 … 自然に~になる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は民君徳に化せらるるを言うなり」(此章言民化君德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、あざなは子輿。孔子よりわかきこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為おもえらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 慎終追遠 … 『集解』に引く孔安国の注に「終わりを慎しむとは、喪に其の哀を尽くすなり。遠きを追うとは、祭に其の敬を尽くすなり。人君此の二者を行えば、民は其の徳に化して、皆厚きに帰するなり」(愼終者、喪盡其哀也。追遠者、祭盡其敬也。人君行此二者、民化其德、而皆歸於厚也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人君の徳を明らかにするなり。終わりを慎しむは、喪に其の哀を尽くすを謂うなり。喪は人の終たり。人の子宜しく其の哀戚を窮むべし。是れ終わりを慎むなり。遠きを追うは、三年の後を謂う。之が為に宗廟、祭るに其の敬を尽くすなり。三年の後、親を去ることうたた遠し、而れども祭るに敬を極む、是れ遠きを追うなり。一に云く、初め有らずということし、克く終わり有ること鮮なし、終わり宜しく慎しむべきなり。久遠の事、録して忘れず、是れ遠きを追うなり、と。故に熊埋云く、新をよろこび旧を忘るることは、近情の常のわずらいなり、近きを信じ遠きにそむくは、義士の棄つる所なり。ここを以て終わりを慎むこと始めの如くなれば、則ち敗事有ることすくなし、平生忘れざれば、則ち久しくして人之を敬するなり、と」(明人君德也。愼終謂喪盡其哀也。喪爲人之終。人子宜窮其哀戚。是愼終也。追遠謂三年之後。爲之宗廟、祭盡其敬也。三年後、去親轉遠、而祭極敬、是追遠也。一云、靡不有初、鮮克有終、終宜愼也。久遠之事、録而不忘、是追遠也。故熊埋云、欣新忘舊、近情之常累、信近負遠、義士之所棄。是以愼終如始、則尠有敗事、平生不忘、則久人敬之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「終は、父母の喪を謂うなり。死とは人の終わりなるを以て、故に之を終と謂う。親の喪礼を執るには、須らく謹慎して其の哀を尽くすべきなり。遠は、親の終わりて既に葬り、日月已に遠きを謂うなり。孝子は時に感じて親をおもい、追いて之を祭り、其の敬を尽くすなり」(終、謂父母之喪也。以死者人之終、故謂之終。執親之喪禮、須謹愼盡其哀也。遠、謂親終既葬、日月已遠也。孝子感時念親、追而祭之、盡其敬也)とある。また『集注』に「終わりを慎むとは、喪に其の礼を尽くすなり。遠きを追うとは、祭るに其の誠を尽くすなり」(愼終者、喪盡其禮。追遠者、祭盡其誠)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 民徳帰厚矣 … 『義疏』に「上の下を化すること、草の風をなびかすが如くす。君上能く終わりを慎み遠きを追うの事を行えば、則ち民下の徳、日に厚きに帰するなり。一に云く、君能く此の二事を行えば、是れ厚徳の君なり。君の徳既に厚ければ、則ち民ことごとく之に帰依するなり、と」(上之化下、如風靡草。君上能行愼終追遠之事、則民下之德、日歸於厚也。一云、君能行此二事、是厚德之君也。君德既厚、則民咸歸依之也)とある。また『注疏』に「言うこころは君能く此の慎終・追遠の二者を行えば、民其の徳に化せられて、皆厚きに帰するなり。偸薄とうはくならざるを言うなり」(言君能行此愼終追遠二者、民化其德、皆歸厚矣。言不偸薄也)とある。偸薄は、人情が薄いこと。また『集注』に「民の徳は厚きに帰すとは、下民之に化し、其の徳も亦た厚きに帰するを謂うなり。蓋し終わりは、人のゆるがせにし易き所なり。而して能く之を謹む。遠きは、人の忘れ易き所なり。而して能く之を追う。厚きの道なり。故に此を以て自らおさむれば、則ち己の徳厚く、下民之に化せば、則ち其の徳も亦た厚きに帰するなり」(民德歸厚、謂下民化之、其德亦歸於厚也。蓋終者、人之所易忽也。而能謹之。遠者、人之所易忘也。而能追之。厚之道也。故以此自爲、則己之德厚、下民化之、則其德亦歸於厚也)とある。
  • 宮崎市定は「終りを愼しみ、遠きを追うとあり、民の德、あつきにせしかな」と訓読し、「親の老後をよく看とりし、遠い祖先の恩を忘れぬ、という古語がある。(その時代は)さても人氣が醇厚であったものだ」と訳している(『論語の新研究』166頁)。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「終わりを慎みてゆるがせにせざる者は、慮を用いるのあまねきなり。遠きを慕いてわすれざる者は、善を好むの厚きなり。上の好む所此くの如きなれば、則ち下民之を化して、厚からざる所無し」(愼終而不忽者、用慮之周也。慕遠而不遺者、好善之厚也。上之所好如此、則下民化之、而無所不厚也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「夫れ終わりを慎み遠きを追うは、孔安国既に以て喪祭の事と為せり。古来の伝うる所、豈に尽く廃すけんや。大氐たいてい後儒は先王の道を知らず、以て論語は章章皆身を修むる方法とす。之を失する所以なり」(夫愼終追遠、孔安國既以爲喪祭之事。古來所傳、豈容盡廢乎。大氐後儒不知先王之道、以論語章章皆修身方法。所以失之也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十