退朝望終南山(李拯)
退朝望終南山
朝より退きて終南山を望む
朝より退きて終南山を望む
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻六百、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻三十七(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、65頁)、『唐詩品彙』巻五十四、『唐詩別裁集』巻二十、他
- 七言絶句。鸞・看・安(平声寒韻)。
- ウィキソース「全唐詩/卷600」参照。
- 退朝 … 宮中の朝礼から退出すること。朝は、朝見の儀。臣下が天子の居住する大明宮に参内し、天子の政務に関する伝達事項を聞く朝礼が行われた。
- 終南山 … 長安の南方にある山。今の陝西省南部、秦嶺山脈の中部あたりを指す。別名南山、中南山、太乙山。ウィキペディア【終南山】参照。
- 望 … 眺める。遠望する。
- この詩は、宮中の朝礼から退出し、真南に見える終南山を眺めての感慨を詠んだもの。反乱軍に翰林学士として仕えたときの作と思われる。
- 李拯 … ?~886。晩唐の詩人。隴西(甘粛省隴西県)の人。字は昌時。懿宗の咸通十二年(871)、進士に及第。節度使の幕僚となったが黄巣の乱に遭い、平陽(山西省臨汾市)に避難した。僖宗が都に還ると、召し出されて尚書郎・老功郎中・知制誥となった。その後、朱玫が反乱を起こしたとき、反乱軍に捕らえられ翰林学士に任ぜられたという。光啓二年(886)、朱玫が攻め滅ぼされたとき、反乱兵に殺された。ウィキペディア【李拯】参照。
紫宸朝罷綴鵷鸞
紫宸 朝罷んで鵷鸞を綴ね
- 紫宸 … 紫宸殿。大明宮の中にあった天子の御殿。宣政殿より一つ奥にあった。「ししいでん」とも。『唐会要』大明宮の条に「始めて紫宸殿に御し政を聴く」(始御紫宸殿聽政)とある。ウィキソース「唐會要/卷030」参照。また『雍録』漢唐宮殿拠竜首山の条に「含元の北を宣政と為し、宣政の北を紫宸と為す」(含元之北爲宣政、宣政之北爲紫宸)とある。ウィキソース「雍錄/卷03」参照。ウィキペディア【大明宮】参照。
- 朝罷 … 朝礼が終わって。朝見の儀が終わって。罷は、終わる。
- 鵷鸞 … 鵷雛と鸞。どちらも想像上の鳥の名。鳳凰の一種。整然と行列を作って飛ぶという。ここでは朝廷における百官の美しい行列に喩える。司馬相如「子虚の賦」(『文選』巻七)に「其の上には則ち鵷雛孔鸞、騰遠射干有り」(其上則有鵷雛孔鸞、騰遠射干)とある。ウィキソース「昭明文選/卷7」参照。
- 綴 … 列を連ねる。列を連ねて退出する。
丹鳳樓前駐馬看
丹鳳楼前 馬を駐めて看る
- 丹鳳楼 … 大明宮の南門、丹鳳門のある楼。『雍録』唐東内大明宮の条に「宮の南端の門を丹鳳と名づく」(宮南端門名丹鳳)とある。ウィキソース「雍錄/卷03」参照。
- 前 … ~の前で。
- 駐馬看 … 馬をとめて、あたりを眺めた。
唯有終南山色在
唯だ終南山色の在る有り
- 唯 … 『万首唐人絶句』では「惟」に作る。同義。
- 唯有終南山色在 … (何もかも変わり果てた世の中であるが)ただ終南山の山の景色だけが昔のままである。
- 山色 … 山の色合い。山の景色。
晴明依舊滿長安
晴明 旧に依って長安に満つ
- 晴明 … 空がよく晴れて明るい様子。
- 依旧 … 昔のままに。昔ながらに。昔と変わりなく。
- 満長安 … 長安の町中に満ち満ちている。
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