寒食(韓翃)
寒食
寒食
寒食
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二百四十五、『唐詩三百首』七言絶句、『三体詩』七言絶句・実接、『韓君平集』巻下(『唐五十家詩集』所収)、『文苑英華』巻一百五十七、『唐詩品彙』巻四十九、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十五(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、62頁)、『才調集』巻九、『唐詩紀事』巻三十、『唐詩別裁集』巻二十、『唐人万首絶句選』巻三、他
- 七言絶句。花・斜・家(平声麻韻)。
- ウィキソース「寒食 (韓翃)」参照。
- 詩題 … 『全唐詩』には題下に「一作寒食日即事」とある。『文苑英華』では「寒食日即事」に作る。
- 寒食 … 冬至の日から数えて百五日目の日のこと。陽暦では四月の初めに当たる。この日を挟んで三日間は火を断ち、煮たきしないで冷たい物を食べる風習があった。寒食節が終わると清明節になる。ウィキペディア【寒食節】参照。『荊楚歳時記』に「冬節を去ること一百五日、即ち疾風甚雨有り、之を寒食と謂う。火を禁ずること三日、餳と大麦の粥を造る」(去冬節一百五日、即有疾風甚雨、謂之寒食。禁火三日、造餳大麥粥)とある。冬節は、冬至に同じ。ウィキソース「荊楚歲時記」参照。春秋時代、介之推は晋の文公の不遇時代の忠臣であったが、文公が即位するとその功を忘れられていたので、山中に隠れていた。文公が後悔して召し出そうとしたが介之推は承知しなかった。文公は山を焼いて無理やり引き出そうとしたが、彼はそのまま山中で焼死した。文公は彼を憐れんで、その日に火を禁じ冷食を用いさせたという故事に基づく。『十八史略』巻一、春秋戦国に「公曰く、噫、寡人の過ちなり、と。人をして之を求めしむ。得ず。綿上の山中に隠る。其の山を焚く。之推死す。後人之が為に寒食す」(公曰、噫、寡人之過也。使人求之。不得。隱綿上山中。焚其山。子推死焉。後人爲之寒食)とある。寡人は、王侯が自分を謙遜していう言葉。徳の少ない人の意。綿上は、地名。山西省にある。『立斎先生標題解註音釈十八史略』巻一(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。ウィキペディア【介子推】参照。
- この詩は、長安における寒食の日の光景を詠んだもの。当時、高位高官や宦官が権勢を振るっていたので、このことを風刺した諷諭の作であるともいわれている。
- 韓翃 … 生没年不詳。中唐の詩人。南陽(河南省南陽市)の人。字は君平。天宝十三載(754)、進士に及第。淄青節度使の侯希逸(720~781)に招かれて幕下に入ったが、辞任してから約十年間流浪生活を送った。のち宣武軍(河南省開封市)節度使李勉(717~788)の幕下に入った。その後、徳宗(在位779~805)に認められて駕部郎中・知制誥に任ぜられ、中書舎人で終わった。盧綸・銭起・司空曙・耿湋らとともに大暦十才子の一人。『韓君平詩集』一巻がある。ウィキペディア【韓コウ】参照。
春城無處不飛花
春城 処として飛花ならざるは無し
- 春城 … 春の町。ここでは長安を指す。城は、城壁に囲まれた町。城市。
- 城無… 『全唐詩』には「一作風何」とある。『唐五十家詩集本』では「城何」に作る。
- 無処不 … ~でないところはない。どこもかしこも~だ。いたるところ~だ。
- 無~不 … 「~として…ざるなし」と読み、「どんな~でも…しないものはない」と訳す。二重否定。範囲・条件が限定されない意を示す。「無」と「不」の間に入る名詞には必ず「~として」の送り仮名を付ける。
- 飛花 … 落花が舞い飛ぶ。
- 飛 … 『全唐詩』には「一作開」とある。『才調集』『唐詩紀事』では「開」に作る。
- 花 … 『増註三体詩』では「華」に作る。
寒食東風御柳斜
寒食 東風 御柳斜めなり
- 東風 … 春風。『礼記』月令篇に「孟春の月、……東風凍を解き、蟄虫始めて振るい、魚氷に上り、獺魚を祭り、鴻雁来る」(孟春之月、……東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻鴈來)とある。孟春は、春の初め。初春。孟は、初めの意。蟄虫は、冬ごもりしている虫のこと。獺は、かわうそ。獺祭は、かわうそが獲った魚を食べる前に並べておくこと。ウィキソース「禮記/月令」参照。
- 御柳 … お堀端の柳の枝。御は、御溝。天子の宮殿をとりまくお堀のこと。『三輔黄図』巻六、雑録の条に「長安の御溝は、之を楊溝と謂う。高楊を其の上に植うるを謂うなり」(長安御溝、謂之楊溝。謂植高楊於其上也)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之六」参照。
- 斜 … 斜めになびいている。
日暮漢宮傳蠟燭
日暮 漢宮より蠟燭を伝う
- 日暮 … 日が暮れると。『全唐詩』には「一作一夜」とある。『唐五十家詩集本』では「一夜」に作る。『文苑英華』でも「一夜」に作り、「集作日暮」とある。
- 漢宮 … 唐の宮中のこと。唐のことを漢に擬する表現は、唐代の詩文では常套的表現であった。白居易「長恨歌」の冒頭にも「漢皇色を重んじて傾国を思う」(漢皇重色思傾國)とあり、ここの漢皇は、実は唐の玄宗皇帝を指すが、遠慮して漢の武帝になぞらえている。ウィキソース「長恨歌」参照。
- 伝蠟燭 … 寒食節が終わって清明節になると、各家庭では新しく火を起こした。これを新火という。宮中では楡と柳の枝に火を付け、その種火を蠟燭に点して分け、臣下に賜った。伝は、使者によって伝達されるの意。いくつかの注釈書によれば、『後漢書』礼儀志に「清明に騎士火を伝う」(清明騎士傳火也)とあるが、確認できない。また『西京雑記』にも「寒食禁火の日、侯家に蠟燭を賜る」(寒食禁火日、賜侯家蠟燭)とあるが、確認できない。また、ここではまだ寒食節の夜なのに、新火が早くも下賜されていることが読み取れる。
靑煙散入五侯家
青煙は散じて五侯の家に入る
- 青煙 … 蠟燭の新火から立ち昇る青い煙。
- 青 … 『全唐詩』では「輕」に作り、「一作青」とある。『文苑英華』には「集作輕」とある。『唐詩三百首』『万首唐人絶句』『唐詩別裁集』『古今詩刪』『唐人万首絶句選』では「輕」に作る。軽煙は、薄い煙。
- 煙 … 『唐詩選』『増註三体詩』『古今詩刪』『唐詩別裁集』では「烟」に作る。異体字。
- 散 … 春風に散りながら。
- 五侯 … 五人の諸侯。前漢の成帝(在位前33~前7)の時、皇太后(孝元皇太后)王氏の一族の、王譚・王商・王立・王根・王逢時の五人が侯に封ぜられたことを踏まえて、唐代の高位高官をいう。ウィキペディア【王譚】参照。『漢書』元后伝に「河平二年、上悉く舅の譚を封じて平阿侯、商を成都侯、立を紅陽侯、根を曲陽侯、逢時を高平侯と為す。五人同日に封ぜらる。故に世に之を五侯と謂う」(河平二年、上悉封舅譚爲平阿侯、商成都侯、立紅陽侯、根曲陽侯、逢時高平侯。五人同日封。故世謂之五侯)とある。ウィキソース「漢書/卷098」参照。『群書拾唾』巻五、古今人品に「王氏五侯、王譚平阿侯、王商成都侯、王立紅陽侯、王根曲陽侯、王逢時高平侯」とある。また後漢の桓帝(在位146~168)の時、宦官の単超・徐璜・具瑗・左悺・唐衡の五人が同日に侯に封ぜられたことを踏まえて、権勢を振るっていた唐代の宦官を指すという説もある。ウィキペディア【単超】参照。『後漢書』宦者伝に「悺・衡、中常侍に遷る。超を新豊侯に封じ、二万戸、璜を武原侯、瑗を東武陽侯、各〻万五千戸、銭各〻千五百万を賜う。悺を上蔡侯、衡を汝陽侯、各〻万三千戸、銭各〻千三百万を賜う。五人同日に封ぜらる。故に世に之を五侯と謂う。……是より権は宦官に帰し、朝廷日〻に乱る」(悺衡遷中常侍。封超新豐侯、二萬戶、璜武原侯、瑗東武陽侯、各萬五千戶、賜錢各千五百萬。悺上蔡侯、衡汝陽侯、各萬三千戶、賜錢各千三百萬。五人同日封。故世謂之五侯。……自是權歸宦官、朝廷日亂矣)とある。ウィキソース「後漢書/卷78」参照。『群書拾唾』巻五、古今人品に「東漢五侯、單超新豐侯、徐璜武原侯、左琯上蔡侯、具瑗東武陽侯、唐衡汝陽侯」とある。
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