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送客知鄂州(韓翃)

送客知鄂州
客(かく)の鄂(がく)州(しゅう)に知(ち)たるを送(おく)る
韓翃(かんこう)
  • 七言絶句。雲・紛・君(上平声文韻)。
  • ウィキソース「送客知鄂州」参照。
  • 客 … ここでは、ある人の意。また、作者の家に客人として寄寓していた人という解釈もある。
  • 鄂州 … 今の湖北省武昌区。『読史方輿紀要』湖広、武昌府の条に「武昌府、禹貢荊州の域。春秋の時楚に属し、之を夏(か)汭(ぜい)と謂う。……隋、陳を平らげ、郡を廃し、改めて鄂州を置く」(武昌府、禹貢荊州之域。春秋時屬楚、謂之夏汭。……隋平陳、郡廢、改置鄂州)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷七十六」参照。ウィキペディア【武昌区】参照。
  • 知 … 知事。地方長官。ここでは、刺史(州の長官)を指す。『全唐詩』には「一作之」と注する。こちらは「之(ゆ)く」と読む。『万首唐人絶句』『唐詩別裁集』では「之」に作る。
  • 送 … 見送る。
  • この詩は、ある人が鄂州(今の湖北省武昌区)の刺史となって赴任するのを見送ったもの。
  • 韓翃 … 生没年不詳。中唐の詩人。南陽(河南省南陽市)の人。字(あざな)は君平。天宝十三載(754)、進士に及第。淄(し)青(せい)節度使の侯(こう)希(き)逸(いつ)(720~781)に招かれて幕下に入ったが、辞任してから約十年間流浪生活を送った。のち宣武軍(河南省開封市)節度使李(り)勉(べん)(717~788)の幕下に入った。その後、徳宗(在位779~805)に認められて駕部郎中・知制誥に任ぜられ、中書舎人で終わった。盧綸・銭起・司空曙・耿湋らとともに大暦十才子の一人。『韓君平詩集』一巻がある。ウィキペディア【韓翃】参照。
江口千家帶楚雲
江口(こうこう)の千(せん)家(か) 楚(そ)雲(うん)を帯(お)び
  • 江口 … 川のほとり。長江のほとり。江頭に同じ。鄂州は長江と漢水との合流点にある。
  • 千家 … 何千軒もの家並み。無数の人家。鄂州の町を指す。
  • 楚雲 … 楚の空に浮かぶ雲。楚は、湖北・湖南省一帯を指す。鄂州は昔の楚の地。
  • 帯 … そばに伴う。接する。連なる。まとう。
江花亂點雪紛紛
江(こう)花(か)乱点(らんてん)して雪(ゆき)紛紛(ふんぷん)たらん
  • 江花 … 川のほとりに咲く花。
  • 乱点 … あちこちに乱れ散ること。
  • 雪 … 雪のように。
  • 紛紛 … 落花が入り乱れて散るさま。南朝梁の呉均「湘州を発せんとして親故に贈って別るる詩三首」の第三首に「流(りゅう)蘋(ひん)方(まさ)に繞繞(じょうじょう)たり、落葉(らくよう)尚(な)お紛紛(ふんぷん)たり」(流蘋方繞繞、落葉尚紛紛)とある。流蘋は、流れうつる浮き草。繞繞は、まつわりつくこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷091」参照。
春風落日誰相見
春(しゅん)風(ぷう)落日(らくじつ) 誰(たれ)か相(あい)見(み)ん
  • 春風落日 … 春風吹く夕暮れ時に。
  • 誰相見 … 君は誰に会われるのだろう。
靑翰舟中有鄂君
青翰(せいかん)舟中(しゅうちゅう) 鄂君(がくくん)有(あ)らん
  • 青翰舟 … 青(せい)雀(じゃく)舟とも。船首に青雀、すなわち鷁(げき)という水鳥の形の飾りをつけた船。翰は、鳥の羽。楚の貴公子、鄂君(がくくん)子(し)皙(せき)はたいへんな美男子であった。ある日、青翰の舟に乗り、管弦の遊びをしたとき、越人の漕ぎ手がその美しさを讃えて歌った。鄂君はその漕ぎ手を抱擁し、刺繍のかいまきで覆い包んだという故事を踏まえる。『説苑』善説篇に「君独り夫(か)の鄂君(がくくん)子(し)皙(せき)が舟を新波の中に汎(うか)べしを聞かずや。青翰の舟に乗り、䓣(りょう)芘(ひ)を極め、翠蓋(すいがい)を張って犀(さい)尾(び)を㩉(う)ち、褂衽(かいじん)を班麗にし、鍾鼓の音畢(おわ)るに会うや、榜枻(ぼうえい)の越人(えつひと)楫を擁して歌う。歌辞に曰く、濫として草に抃(べん)し、予(よ)が昌(しょう)枑(こ)を濫にし、予が昌州を沢す、……鄂君子皙曰く、吾(われ)越の歌を知らず、子試みに我が為に之を楚説せよと。是に於いて乃ち越の訳(やく)を召して、乃ち之を楚説して曰く、今夕(こんせき)は何の夕べぞ、中洲の流れに搴(かか)る。今日は何の日ぞ、王子と舟を同じくするを得たり。羞を蒙り好を被れども、詬(こう)恥(ち)を訾(おも)わず。心幾(ほとん)ど頑にして絶えず、王子を得るを知らんや。山に木有り、木に枝有り。心に君を説(よろこ)べども君知らずと。是に於いて鄂君子皙、乃ち脩(しゅう)袂(べい)を㩉(ひ)き、行(ゆ)いて之を擁し、繡(しゅう)被(ひ)を挙げて之を覆う。鄂君子皙は、親しきこと楚王の母弟なり」(君獨不聞夫鄂君子皙之汎舟於新波之中也。乘青翰之舟、極䓣芘、張翠蓋而㩉犀尾、班麗褂衽、會鍾鼓之音畢、榜枻越人擁楫而歌。歌辭曰、濫兮抃草、濫予昌枑、澤予昌州、……鄂君子皙曰、吾不知越歌、子試為我楚說之。於是乃召越譯、乃楚說之曰、今夕何夕、搴中洲流。今日何日兮得與王子同舟。蒙羞被好兮、不訾詬恥。心幾頑而不絕兮知得王子。山有木兮木有枝。心說君兮君不知。於是鄂君子皙乃㩉脩袂、行而擁之、舉繡被而覆之。鄂君子皙、親楚王母弟也)とある。ウィキソース「說苑/卷11」参照。
  • 鄂君 … 戦国時代、楚国の公子。生没年不詳。名は啓、字(あざな)は子(し)皙(せき)。頃襄王(在位前298~前263)の同母弟。父は懐王。美男子として有名。ウィキペディア【鄂君启】(中文)参照。鄂君有らんとは、鄂君のような美しい人が舟に乗っていることだろう、鄂君のような美少年と会われるのだろう、の意。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百四十五(排印本、中華書局、1960年)
  • 『韓君平集』巻下(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十五(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十九([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『唐詩別裁集』巻二十([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
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